職業体験

三者面談 一

 翌日の週明け、西野はこれまで通りシェアハウスから登校した。


 他に人気のない一軒家は、他者との交流に飢える彼の心を少しだけ感傷的にした。それは満員電車に揉まれての登校を終えた後でも変わらなかった。おかげで日課となった朝の挨拶運動もまた、そうした彼の心の内を反映したものとなる。


「今日は風が冷たいな。帰燕も久しく、近所の家の軒先に見つけた巣が寂しい。だが、そうした寂しさもまた、翌年の春を待つ楽しみとしたのならば、これからの冬を前向きに過ごすことができそうだ」


 しかも、いつもより少し長かった。


 おかげでクラスメイトの苛立ちも普段より大きなものとなる。一部の生徒は帰燕なる単語の意味が分からず、殊更にムカムカとした。


 そのなかには自席で一時間目の授業の支度をしていた委員長も含まれる。彼女の手は憤怒と共に机の中の電子辞書へ伸びた。委員長、屈辱の国語辞典である。


 一方で挨拶を終えた彼は、そのまま自席に向かった。


 すると彼が席へ着くや否や、教室に他クラスの生徒が訪れた。


 ローズである。


 彼女は後方の出入り口から入って、彼の席までやって来た。


「西野君、少しいいかしら?」


「……なんだ?」


 先週までの彼であれば、よくないな、などと軽口を漏らして、再びクラスメイトをイライラさせていたに違いない。しかし、黒ギャルやユッキーとの一件でローズに借りを作ってしまった彼は、これを無下にすることができなかった。


 相手もまたそうした背景を考慮してだろう、過去になくグイグイと来る。


「今日の放課後、少し付き合ってもらえないかしら?」


「また随分といきなりだな」


「あら、もしかして他に用事が入っていたりするの?」


「……いいや、承知した」


 ローズも彼が自身に負い目を感じていると理解している為、この場で断られるとは考えていなかった様子だ。渋々ながらも頷いてみせた西野を眺めて、満足気に笑みを浮かべてみせる。予定通り、といった表情だ。


「合流地点と必要な情報を以前のアドレスに送っておいてくれ」


「そっちじゃないわ。私の引っ越しの手伝いよ」


「……アンタの引っ越し?」


 てっきり仕事の手伝いだとばかり考えていた西野である。


 ローズは笑顔をそのままに言葉を続ける。


「以前にも話したと思うのだけれど、あの家は無駄に広いのよね。無理をしてセキュリティを確保する必要もなくなったから、他所へ移ろうと思うの。せっかくだし日本の一般的な家屋にも住んでみたいじゃないの」


「それはまた贅沢な話もあったものだ」


 てっきりヤリマンであると考えていた目の前の相手が、実は処女であったと理解して、なんとも言えない気分のフツメンだ。自ずと思い起こされたのは、海外旅行に際して目の当たりにしたマイクロビキニ姿だったりする。


 そうした二人のやり取りを耳して、居合わせた二年A組の生徒にも反応があった。ローズの口にした引っ越しの手伝いなるワードを受けて、どうして西野のヤツが、といったヒソヒソ話が交わされ始める。


 とりわけ顕著な反応を示したのは鈴木君だ。


 ここ最近、西野に対して鬱憤を貯めていた彼である。それがローズと一緒になって、引っ越しがどうの、新居がどうの、賑やかに話をしていたら当然だが面白くない。試験の出来が想像以上に良くなかった苛立ちも手伝い、彼は椅子から腰を上げた。


 ツカツカとフツメンの席まで歩み寄り、ローズに語り掛ける。


「ローズちゃん、それだったら俺も手伝おうか?」


「え?」


「西野より役に立つと思うぜ? これでもベンチで百とか余裕だし」


 鈴木君は得意顔で腕っぷしをアピールしてみせる。


 昨年からジムに通い始めて、先々週になり初めて百を上げたばかりの彼である。可愛い女の子の前で、少しだけ話を盛ってしまった次第である。ただし、残念ながら彼が誇ってみせた相手は、片手で五百を軽々と持ち上げる化物だ。


「…………」


 チラリとローズの視線が竹内君に向かう。


 その眼差しはどこまでも冷淡なものだ。


 意図に気づいたイケメンは、大慌てで席を立った。


 そして、何気ない風を装い鈴木君の下に向かう。


「鈴木、ちょっといいか? 授業の前に少し話があるんだけど」


「はぁ? なんでこのタイミングだよ?」


「いいからちょっと来いって。オマエの為にもなることだから」


「……俺の為?」


 竹内君からの意味深な文句に誘われて、鈴木君は素直に従った。


 なんだかんだで女子のみならず、男子からの信頼も厚いイケメンである。その彼が本人の為になると言えば、これを押し切ってまで我を通そうとする生徒は稀である。


 二人はクラスメイトに見送られて教室を出て行った。


「…………」


 そうした彼らのやり取りを眺めて、胸の内に危惧を抱いたのが委員長である。まさか竹内君まで、隣のクラスの金髪ロリータに脅されているのではないか、そんな恐れだ。自身も同じ立場にあるからこそ、思い至ってしまった志水である。


 そして、彼女の想像は正しかった。


「西野君、それじゃあ放課後になったら迎えに行くわね」


「あ、あぁ……」


 フツメンの脳裏に浮かんだのは、フランシスカと交わした昨晩の会話だ。


 ただ、具体的に結びつく事柄もなくて、彼は普段どおり授業の支度に移った。




◇ ◆ ◇




 同日の昼休み、学内の廊下に中間試験の結果が張り出された。


 答案用紙の返却は個別に各々の科目ごと授業中に行われる。ただし、試験の点数については試験が行われた週の翌週に、こうして張り出されるのが通例であった。大きな用紙に印刷されて、上から下まで生徒全員の名前が点数と共に記載される。


 結果が張り出された直後から、同所は生徒の姿で溢れかえる。


 当然、西野も興味津々のエリアだ。


 大学進学を念頭において、力試しの意味でも大切な中間試験であった。試験の結果次第で、今後の勉強方針を決定しようと意気込んでいる。塾に通っていないことも手伝い、受験する大学のレベルについても、学内の試験を参考にしようと考えていた。


「…………」


 すると彼が同所に足を運んだ直後、居合わせた生徒から注目が集まった。


 フツメンの姿を視界に収めるやするや否や、皆々が驚いた様子でその姿を見つめる。これまでの彼であれば、そうして向けられる視線の大半が嫌悪から来るものであった。しかし本日に限っては、それにも増して驚愕の色が濃い。


 ヒソヒソと言葉を交わす生徒たちを眺めて、本人も首を傾げる。


 はて、何か問題でもあっただろうかと。


 その理由は試験結果の一覧を目の当たりにしたことで明らかになった。


 総合得点及び各科目毎の一覧が廊下には張り出されている。そのうち英語と数学について、西野の名前が一番上にあったのだ。数学については二位から五点引き離しての一番。英語に関してはローズやガブリエラと同着で満点だった。


「……なるほど」


 数学の点数は彼が想定した以上に良い点数であった。


 自然と口元も綻ぶ。


 ただし、他の科目についてはその他大勢に埋もれている。それでも比較的物理の出来栄えがよくて、上から十番目。これに続く形で世界史が二十三番目、化学が二十七番目といった塩梅だ。


 最も出来が悪かったのは現国で、九十九番目とギリギリ二桁になる。


 総合では上の下といった位置づけだろうか。


「やはり、現国が難点か……」


 答案用紙の回答具合を思い出しつつ、その場で反省を始めるフツメン。


 昨年までは中の中、これといって上にも下にも目立つことのなかった彼だ。おかげで急に突出して点数が上がった秋季の中間試験、元来の悪評と相まって、その存在は周囲からこれでもかと浮いていた。


 当然、これを面白くないと考える者も出てくる。


「西野、オマエ、カンニングとかしてないよな?」


 声を掛けたのは鈴木君だった。


 朝のホームルーム前には、碌に何を語るまでもなく竹内君に回収されてしまった彼である。その鬱憤を晴らすように語ってみせる。友人であるタケッちからのお話も、これといって彼には魅力のあるものではなかった。他愛のない話であった。


 スポーツ推薦を目指す彼にとって、試験関連のイベントは地雷以外の何物でもない。そこで活躍している者たちは、スポーツ一筋の鈴木君にとって、どうしてもちょっとムカついてしまう存在であった。


 その場に西野が躍り出たとあらば、叩かなければ収まらないのが彼だ。


「前の期末だと、こんなに点数良くなかっただろ?」


「たしかに鈴木君の言わんとすることは分からないでもない」


「カンニングするにしても、満点とかやりすぎじゃね?」


「だが、カンニングはしていない。夏までは卒業したら就職するつもりだったんだが、この秋で大学に進学しようと考えを改めたんだ。ただ、そうは言っても塾には通っていないから、今回の試験はそのための瀬踏みだな」


「っ……」


 西野はこの秋、就職から進学に進路を切り替えた。


 どうしようもない情報が、居合わせた面々の長期記憶に深く根付いた。彼と同じく大学進学を目指す生徒たちなど堪ったものではない。塾に通わず二つの科目で学年一位を取ってみせたその行いが、これでもかと自尊心を刺激する。


「いやいやいや、絶対にカンニングでしょ? 外国人のローズちゃんと同着で一位とか、流石にやりすぎじゃん。前の試験でオマエの名前、どの辺りにあったんだよ? 幾ら何でも上がりすぎじゃね?」


 鈴木君もそうした生徒の一人だ。


 幾分か語調を強くして、非難の声を上げる。


 すると、そんな彼に声を掛ける者の姿があった。


「……少なくとも英語についてはしてないと思うわ」


 二年A組の委員長、志水である。


「い、委員長?」


 彼は意中の相手から予期せず話し掛けられたことで慌てた。ただ、態度が崩れたのも僅かな間のことである。無様な姿は見せられないとばかり、すぐさま平然とした態度を取り戻して、彼は彼女に問い掛けた。


「委員長、どうしてそんなことが分かるんだ?」


「だって西野君、英語ペラペラだもの」


「え……」


 すると続けられたのは、これまた予期せぬ返事であった。


 よりによって自分が苦手とする英語を西野なんかがペラペラ、その事実が鈴木君のメンタルをかき乱す。主要五科目のうちでも、唯一彼に必要かもしれない英語。おかげで心中穏やかでないイケメンだ。


 しかも声を上げたのが委員長というのも大問題である。


「な、なんで委員長がそんなこと知ってるの?」


「この前の旅行で、普通に現地の人と話しているのを見たから……」


「…………」


 そう言われてしまうと、ぐぅの音も出ない鈴木君だった。


 西野が現地で皆々と合流していたことは、彼も竹内君から聞いていた。


 おかげで居合わせた生徒たちのヒソヒソ話は、これでもかと盛り上がる。クラスの垣根を超えて多くの生徒が集まっている為、二年A組で耳にするそれよりも、殊更に大きなものとして響く。


「西野って英語とか話せたのかよ?」「でも、前の試験だともっと低かったよね?」「っていうか、今回の試験だと数学も割と難しかったよね?」「二番目の人って、たしかいつも満点近い点数だし」「なぁ、荻野のヤツが数学で五番目に入ってるんだけど」「それがアイツ、物理でも七番目なんだよな」「地味に英語も高くない?」「だよな」


 西野に混じって、剽軽者に対する言及も耳に届けられた。


 どうやら彼ほど目立つ形ではないが、かなり良い成績を収めているようだった。


「っ……」


 おかげで面白くないのが鈴木君だ。


 試験期間中、剽軽者と交わした会話が、ふと彼の脳裏に思い起こされる。それは教室の自席で試験勉強に勤しむ荻野君に対して、彼から一方的にちょっかいを出した際のやり取りである。


『明日までは試験期間だから、五月蝿くして皆の邪魔をする訳にもいかないって言うか、流石にそろそろ真面目に勉強しなきゃ不味いっしょ。声を掛けてもらったところ悪いけど、今日は勘弁。試験が終わったらネタを仕入れてくるから』


 当時耳にした台詞を思い起こしたことで、鈴木君の中に苛立ちが募っていく。


 まるで自分が剽軽者に馬鹿にされているような気分の彼だった。実際には決してそのようなことはない。だがしかし、こうして試験結果を目の当たりにした後だと、鈴木君にはそんなふうに感じられた。


「英語は違ったとしても、数学は怪しいよな!」


 声も大きく呟いて、彼は同所から去っていった。




◇ ◆ ◇




 その日、委員長は嘗てない衝撃を受けていた。


 原因は昼休みに確認した中間試験の結果である。とりわけ総合順位の一覧において、彼女は自らの目を信じられないでいた。なんと自身の名前の一つ上に、西野五郷なる名前が乗っかっていたのである。


「っ……」


 最初は見間違えかと思った志水だ。


 しかし、何度見ても彼女の名前の上には、フツメンの名前があった。


 おかげで平静ではいられない委員長である。


「そ、そんなっ……」


 語学については諦めていた志水だ。何故か分からないが、英語のみならず諸外国の言葉をペラペラと喋ってみせるフツメン。その事実をどうにか咀嚼して、まあ、そういうこともあるでしょう、と飲み込んだのが数週間前のこと。


 しかし、英語に加えて数学やら物理やら、複数科目で越されたとあっては、彼女も自分を納得させることができなかった。しかもその大半は、彼女が得意な理系科目である。志水千佳子という人格そのものを否定されたにも等しい衝撃であった。


 あまりにも悔しくて、目元に涙が浮かんでしまう。


 委員長は負けず嫌いな女の子だった。


 すると、そんな彼女に声を掛ける生徒の姿が一人。


「委員長?」


「っ……」


 すぐ後ろから声を掛けられて、大慌てで目元を拭う志水。


 彼女の元に訪れたのは同じクラスの女子生徒だった。


「ぁ……」


 咄嗟に振り返って、しかし、上手いこと続く言葉が出てこない委員長。


 先週までの彼女であれば、あ、リサ、どうしたの? などと適当に声を掛けていただろう。しかしながら、相手の顔を目の当たりにして直後、週末の告白が脳裏に浮かんだ委員長は、咄嗟に掛けるべき挨拶を口にできなかった。


 他方、リサちゃんはと言えば以前と同様に気軽い感じ。


「もしかして、試験の点数が悪かったとか?」


「え、あ、う、うん……そんな感じかな」


「委員長、凄い頑張ってたのに、やっぱり悔しいよね……」


「…………」


 休日の校舎裏、声高らかに伝えられた告白。


 その事実をまるで感じさせない言動だった。


「あの、リ、リサ……」


「えっと、私の名前はっと……あ、あった! 前の試験と同じ順位だっ!」


「…………」


 おかげで委員長はどうして接したものか、戸惑いを隠せない。


 あのときの出来事は試験勉強に疲れた自分が見た、夢や幻であったのではないか。そんな阿呆なことさえ考え始めてしまう。しかし、直後に続けられたリサちゃんの言葉は、そうした委員長の妄動を否定する。


「委員長。私は委員長のこと、他の誰よりも好きだよ」


「っ……」


 耳元でボソリと呟かれた愛の告白。


 そこに性的な響きを感じて、委員長は二の腕に鳥肌が浮かぶのを感じた。ちゃんと男の子が、それも竹内君のようなイケメンが好みの志水である。同性愛の気ない。リサちゃんから告白を受けた日の晩、レズ物のAVに手を出して撃沈した彼女だ。


 一方で相手はグイグイと迫る。


「ねぇ、委員長。期末に向けて私の家で勉強会とかしない?」


「いや、そ、その……今日はちょっと予定があって……」


「そう? それなら余裕ができたら教えてねっ!」


「う、うん……」


 日常生活がアグレッシブな彼女は、恋愛に対しても積極的であった。


 伊達に父親を逆レイプしかけていない。


 その矛先が今度は委員長に向けられていた。


 志水としては、どうして自分がと疑問に思わざるを得ない。思い返してみれば、リサちゃんが告白するに至った理由を確認していなかった彼女だ。校舎裏で告白を受けた直後、混乱した彼女は時間が欲しいと伝えて、リサちゃんと分かれていた。


 現状、保留状態となる二人の関係である。


「あの、リサはどうして私のことを、その……」


「格好良かったの」


「え?」


「試験の打ち上げのとき、二人で変なのに攫われたでしょ?」


「う、うん」


「あのときの委員長、凄く格好良かった」


「…………」


 ローズに詰られ、見ず知らずの男に殴られ、西野に格好つけられ、鬱憤も募り募っていた当時の委員長。そのストレスの爆発と共に訪れた大活躍が、居合わせたリサちゃんのハートを射止めた様子だった。


 当時のリサちゃんが、パパの赤ちゃんプレイに幻滅、意中の相手を見失っていたことも影響している。家庭の事情と突拍子のない誘拐騒動、二つが揃ったことで彼女の心は大きく動かされていた。


「それじゃあ、私は教室に戻るね」


 ニコリを笑みを浮かべて、リサちゃんは同所を去っていった。


 気付けば脇の下を汗でびっしょりと濡らしている委員長であった。




◇ ◆ ◇




 その日の放課後、西野はローズの引っ越しを手伝う運びとなった。


 何となく嫌な予感はしていた彼である。


 その思いが確信に変わったのは、彼らが乗り込んだタクシーの前方、荷物を積んだトラックが残すところ一キロを切った辺りである。それでも沈黙を貫いていた彼の目前、業者の車は無常にも、西野も見慣れた一軒家の前に停車した。


「……そういうことか」


「あら、何か問題でもあったかしら?」


 現在の彼の住まいでもあるシェアハウスだ。


 黒ギャルとユッキーの代わりに同所へ転がり込んだローズだった。


 次々と運び込まれる荷物を眺めて、彼女は語ってみせる。


「大家とは正規の手続きを経て契約したわよ? もしも不安だというのであれば、この物件の登記を確認してみればいいわ。以前から何も変わっていない筈だから。ちゃんと折り菓子を持ってご挨拶にも行ったのよ?」


「…………」


 過去のやり取りから、彼女が嘘をついているとは西野も考えない。


 おかげで切ない気持ちのフツメンである。


 その脳裏に過ぎていくのは、黒ギャルやユッキーと交わした何気ない会話たち。生まれてこの方、家族だとか団らんだとか、その手の単語に縁がなかった彼としては、とても大切な思い出だろうか。


「……どうしたのかしら?」


「なんでもない。さっさと運び込んでしまうといい」


「ええ、そうさせてもらうわね」


 まさか素直に語ってはバカにされるのが目に見えている。西野はそっけない態度で促すと共に、自身は自らの部屋に戻ろうと踵を返す。するとそんな彼に対して、背後から続けざまに声が掛かった。


「貴方は私と一緒にリビングよ」


「……何故だ?」


「同じ家に住むのだから、ルール作りは必要でしょう?」


「…………」


 颯爽と歩み出した金髪ロリータ。


 その背を眺めて渋々と言った様子で後に続く。


 すると二人が足を運んだ先、リビングには見知った相手の姿があった。その人物を目の当たりにしては、ローズもまた驚きから声を上げてみせる。どうやら想定外の遭遇であったようだ。


「どうして貴方がここにいるのかしら? フランシスカ」


「ローズちゃんの引っ越しの保証人になっているのだから、いても不思議ではないでしょう? どういった前提で社会活動を営んでいるのか、多少は自身の身の上を顧みてもらえると私も嬉しいわね」


「…………」


 飄々と語るフランシスカに対して、ローズは悔しそうな表情を浮かべる。


 これといって落ち合うような約束をしていた訳でもなさそうだ。顔をしかめる後者とは対象的に、前者は機嫌も良さそうにソファーへ腰を落ち着けて、どこから調達してきたのか、缶ジュースなど傾けている。


「アンタに家の鍵を渡した覚えはないが?」


「保護者という名目で、大家からスペアを預かったのよ」


「……そうか」


 そう言われてしまうと、彼も続く言葉が浮かばない。


 今回に限っては適法に活動している似非ブロンド親子だった。


「いい大家さんね。ここの家賃も良心的だったわよ?」


「……だろうな」


 どうやらローズの居室は三階のようだ。せわしなく階段を上り下りする引越し業者の姿を眺めて、西野は金髪ロリータの入居先を確認する。当の本人はと言えば、フランシスカの対面、ソファーに腰掛けて寛いでいる。引っ越し初日にも関わらず、自宅さながらだ。


「気になるのは一階の和室が、私たちが確認したときにはもう埋まっていた点なのよね。どこの誰が抑えたのかしら? おかげで少し計画が狂ってしまったのだけれど。そっちは何か言われた覚えはないかしら?」


「大家は何と言っていたんだ?」


 これまた驚いたフツメンである。


 元ユッキー部屋のみならず、元黒ギャル部屋まで埋まっているという。しかし、それにしては一階は静かなものだ。これといって引越し業者が出入りした様子もなく、戸口も開けっ放しの上、室内はがらんどうであった。


「細かいことは会って確認して欲しいと言われたわ」


「まあ、そうだろうな」


 大家の人となりを思い出して、フツメンは相槌を打つ。


 そんな彼と彼女の会話に割り込むように、ローズが声を上げた。


「ねぇ、西野君」


「……なんだ?」


「家事の担当表を作ろうと思うのだけれど」


 彼女の手には真っ白なコピー用紙が数枚ばかり摘まれていた。


 火事の連絡を受けて以降、より近しい距離感での同居生活に、あれこれと想像を膨らませてきた金髪ロリータである。こうして投げ掛けた言葉も、本来であれば西野が彼女の家を後にした翌日には口にする予定であった。


 いざそれを伝えたことで、お股をジュンとさせるマジキチである。


「……わかった」


 当初は黒ギャルやユッキーと共に行う予定であった共同作業。その相手にローズの姿を眺めて、フツメンとしては複雑な気分だった。しかし今の彼には、彼女からの提案を断るという選択肢がない。ここ数日の負い目が彼を従順にさせていた。


 ローズに続いて、ソファーに腰を落ち着ける。


 お互いに顔を向き合わせる配置だ。


 おかげでフランシスカとは隣同士。


 これを受けて股臭おばさんの眉ががピクリと動いた。視線がツツツと隣の彼に向かっては、すぐに元の位置に戻される。ローズが見たら声を荒げそうな反応だ。しかし、彼女は筆記用具を取り出そうとカバンを漁っていた為、騒動は回避された。


 その直後、何やら思い出した様子でフランシスカが声を上げた。


「ちょっと待って頂戴、ローズちゃん」


「何かしら? 邪魔をしないで欲しいのだけれど」


「貴方たちの学年では明日、三者面談があると聞いたのだけれど」


「……誰から聞いたのかしら?」


「同じクラスの親切な生徒が言っていたわ」


「…………」


 ガブリエラを指しての話だろう、とは西野も容易に想像がついた。そして彼もまた同日、クラス担任から連絡を受けている。ただし、フツメンの場合は家庭に事情がある旨を入学当初より伝えており、その手のイベントが実現した試しは一度もない。


「どんな洋服を着ていこうかしら」


「……まさか来るつもりなの?」


「冗談よ。今の台詞、一度言ってみたかったのよねぇ」


「相変わらず冗談がつまらないわね」


「ここ最近、学生の頃の友人や知人から、結婚や出産の連絡がよく届くのよね。近い内にそういった話題も上がるんだろうなと考えると、今のうちから心構えを持っておくべきだとは思わない?」


「貴方のプライベートに興味はないわ」


「嫉妬かしら? たしかに貴方には縁の薄い話かもしれないわね」


「…………」


 ローズとフランシスカの間柄は相変わらずだ。


 そうした賑やかなやり取りを耳にしてだろう。リビング脇の廊下を行き来する引越し業者からは、同所を通り過ぎるたびにチラリチラリと視線が向けられる。どうしてあんな冴えないフツメンが、とは居合わせた作業員一同に共通する見解である。


 冴えない顔の少年が、美女や美少女と親しげに話している様子は、傍から眺めればハーレム以外の何者でもなかった。しかもそんな彼は終始仏頂面で、つまらなそうに受け答えしているから、これまた第三者からすれば腹立たしい光景である。


「ところで【ノーマル】はどうなのかしら?」


「……何がだ?」


「三者面談には、六本木の彼が足を運んでいたりするのかしら?」


「バカを言ってくれるな。事情を伝えて済ませている」


「あら、つまらない」


「何の用件だ? 話があるならさっさと済ませろ」


「別に用事なんてないわよ? ローズちゃんの引越し先の下見に来ただけだもの。以前とはセキュリティのレベルが大幅に落ちるということだったから、一度は自身の目でも確認しておこうと思って」


「仕事熱心で結構なことだ。しかし、それならもう用事は済んだだろう?」


「あら、そんなにローズちゃんと二人きりになりたいの?」


「……言っていろ」


 ソファーセットに向かい合わせで腰掛けた西野とローズ。その姿を眺めて、フランシスカはニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべてみせた。ここ最近、段々とフツメンの取り扱いに慣れてきた才女である。


「オバさんは放っておけばいいわ」


「…………」


 黒ギャルが煎れてくれたお茶が恋しいフツメンだった。

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