部活動 十一
翌日の朝も早い時間、ローズ宅のリビングにはゴスロリ少女の姿があった。
何故かと言えば、西野が呼び出したからである。
今すぐにこちらが指定する地点に向かえ。でなければ命の保証はできない。そのような文面を起床から間もない頭で目の当たりとしたガブリエラは、差出人の名前を確認して直後、食べるものも食べずに駆けつける羽目となった。
「ねぇ、西野君。どうしてこの女がここにいるのかしら?」
おかげで家主もまた困惑の最中にある。
何故に自宅まで、この女がやって来ているのだと。
ここは私と西野君の聖域なのにと。
「それは俺が呼び出したからだ」
「そういうことを聞いているのではないわ」
学園カーストの最下層で藻掻くフツメンが、どうしてカースト上位である彼女の連絡先を知っているのか。それはひとえにダンス大会のおかげである。イベントへ参加するに差し当たり、アドレスを交換していた面々だ。
つい数週間前まではゼロであった学内関係者の連絡先が、今や彼女の他に竹内君、更には下級生である向坂を迎えて、なかなか賑やかになっている。彼女への連絡に際して、その一覧を眺めては、思わず口元をニヤけさせていたフツメンだ。
ここ最近、何かに付けては眺めてニヤニヤしている。
「悪いがこれから少しばかり、この女とデートに出かけてくる」
「……え?」
「夜には戻る予定だ」
「ちょ、ちょっと西野くん、それはどういうことかしらっ!?」
フツメンからの与えられたのは、突拍子もないデートの申告だった。
休日のお出かけ。
しかも、自分以外の女と二人きり。
まさかそんな台詞が飛び出すとは思わず、焦りに焦るローズ。ガブリエラを呼び出した時点で、何かしらあるのだろうとは考えていた彼女だが、これは想定外である。相変わらず動きの読めないフツメンだ。それでいて行動力があるから質が悪い。
「待って下さい。どうして私が貴方とデートしなけレばなラないのですか? 私はお姉様とデートがしたいです。いいえ、デートなどと贅沢は言いません。一緒にお風呂に入って、一つのベッドで眠リたいです」
「貴方は黙っていなさい」
相変わらずなガブリエラを叱りつけて、ローズは西野に向かう。
その表情は真剣そのものである。
「理由を聞かせて欲しいわ、西野君」
「アンタもしばらく、俺から距離を取ったほうが良い」
「……どういうこと?」
「細かい話はフランシスカに聞け。より深く事情に通じている筈だ」
「…………」
予期せず耳にしたフランシスカの名前。これを受けてはローズも思うところがないでもない。渦中の相手が目の前の女ともなれば尚の事だ。なし崩し的にクラスメイトとして過ごしているものの、その背景に関しては未だ及ばない点も多い。
「急な話で悪いが、失礼させてもらう」
「っ……」
ガブリエラの腕を引く西野。
すると間髪を容れず、彼女の義手が射出された。パシュッと乾いた音を立てて、右腕が肘から先、西野に掴まれたまま本体より切断される。本体はフツメンから距離を取るよう、床を蹴って数メートル後方へ。
しかしながら、これに動じるフツメンではない。
「大人しく付いてくるといい」
「っ……」
持ち前の不思議パワーを用いて彼女の肉体を拘束する。
すると彼女は、これといって身体を掴まれた訳でもないのに、その歩みを西野の下へ向けて、一歩、また一歩を進めてゆく。数秒ばかりを眺めていれば、すぐにその身体は彼の傍らに並ぶこととなった。
床に落ちた義手を拾うことも忘れない。
「や、やめて下さいっ! 私は貴方のような男が嫌いですっ!」
「俺は大好きだ。さっさと行くぞ」
「うぅっ……」
なんて羨ましい軽口を叩かれているのかしら。
ローズの脳血管はガブリエラに対する憤怒で破裂寸前だ。一度でも良いから、冗談でも良いから、そんな台詞を言われてみたい。そう切に願うマジキチは、奥歯を噛み砕き、歯茎を押しつぶし、それでも足りない、全然足りていない、歯応え。
「…………」
去りゆく二人の姿を見送って直後、金髪ロリータは直ちに動いた。
その手はフランシスカに連絡を取るべく、端末を片手に電話を掛けていた。
◇ ◆ ◇
ローズ宅を後にした西野とガブリエラは秋葉原に向かった。
休日というロケーションも手伝い、同所は人に溢れている。昨今ではアジア圏からの観光客も増えて、通りを歩むにも人の動きに気を使わなればならないほど。中国人の他に、フィリピン人やベトナム人といった、東南アジア圏の姿が目立つ。
「こんな場所へ連レてきて、何をすルつもリですか?」
「なんてことはない。デートらしくショッピングを楽しもう」
「いよいよ頭にウジでも湧き始めましたか?」
「この街は海外でも人気だと聞いたが、気に入らなかったか?」
「アニメや漫画の看板ばかリが並んだ、人が多くてゴミゴミとした小汚い街の何処がいいのですか? 町並みだけであレば、そう大して費用を掛けルこともなく、他所で幾ラでも再現できます。まるで不細工な女が厚化粧をしていルような街です」
「なるほど、それはまた言い得て妙な評価だ」
「本当に素晴ラしい街とは、旅先に訪レたとしても、終末の家を持ち住んだとしても、いずレであっても良いと思える場所なのです。そレがまさか、このような場所を選ぶ者が居ルだなどと、私にはまルで気が知レません」
「……そうか」
「このような場所へ女を誘う男の気もまた、到底理解できません」
「…………」
思い起こせば生まれて初めて、自分から異性を誘ってのお出かけとなる西野。
デートという響きこそ平素からの軽口であったとしても、行き先のチョイスに関しては、多少なりとも相手を気に掛けてのことである。だからこそ、まさかここまで一方的にこき下ろされるとは思わなくて、少しばかりショックを受けた童貞である。
秋葉原じゃ駄目だったか、と。
「だとすると、逆にアンタの理想が気になるのだが……」
「今更そんなことを聞くのですか?」
「再び女を誘う機会に恵まれた時にでも活用したい」
「女に飢えていルという噂は本当だったようですね」
「否定はしない」
「…………」
場所は秋葉原駅を発って神田側から末広町に向かい万世橋を少し越えた辺り。
休日の歩行者天国を目前に控えて、フツメンと絶世の美少女は見つめ合う。後者の存在も手伝い、付近を行き交う者たちからは、否応なく視線が向けられる。何だかんだで諸外国からの観光客も増えた都内ながら、それでも色白い美少女の姿は目立った。
「これ以上、あっちこっちと動き回ルのも苦痛です。さっさと終わラせましょう。そレで貴方は、この小汚い街のどこをどのように案内すルというのですか? そう大したものがあルようには思えませんが」
「……ついてくるといい」
初っ端から格段と難易度を上げて思われるデートのエスコート。
それもこれも慣れない台詞を口にしてしまったが所以の失態である。
◇ ◆ ◇
まず最初に西野が向かった先はゲームセンターだ。
それも路上に面した店舗の一階フロアに設けられた、クレーンゲームの筐体の前である。透明なプラスチックの向こう側には、頼りない作りのアームがぶら下がっており、その下にこれでもかと、動物のぬいぐるみが敷き詰められている。
「あリきたリですね」
全くもってその通りだった。
しかしながら、これに構わず西野は言葉を続ける。
「手を使わないで取ってみろ」
「どういうことですか?」
「腕や足を動かすのと同じだ」
「…………」
西野の上から目線にいよいよカチンと来たのだろう。
ガブリエラは即座に動いた。
敷き詰められたぬいぐるみ全てが、ドクンと脈打つように震えた。
しかしながら、震えただけだ。
「どうした?」
「っ……」
その真っ赤な瞳が、隣に立った西野を睨みつける。
「な、なんのつもリですかっ!?」
「一つでも景品を取れたのなら、デートはこの場で終了だ。すぐにでもあの女の下へ戻るといい。だが、俺がこっちのクレーンで先にぬいぐるみを取ってしまったら、アンタの負けだ。デートはこのまま続行させてもらう」
どうやらフツメンもまた、摩訶不思議な力を用いることで、ぬいぐるみを引き上げようとするガブリエラの行為を阻んでいるようであった。目に見えない何かが、筐体の内側でぶつかり合っているのだろう。
「じょ、上等です」
彼女はそう悩むこともなく、素直に応じてみせた。
連日に渡りローズとの交流を邪魔されている点も手伝ってのことだろう。その眼差しは真剣なものとなり、筐体の内側に並んだぬいぐるみを見つめる。何が何でも取ってやるという心意気が感じられる表情だ。
他方、西野はそんな彼女に向けて、おずおずと切り出す。
「ということで、悪いが硬貨を貸してはもらえないか?」
「……はい?」
「ワンプレイ二百円だ」
「…………」
まさかデートの最中、お小遣いをせびられるとは思わない。
咄嗟に素の反応を返してしまったガブリエラである。
「持ち合わせがないんだ。少しばかり貸して欲しい。いつか返す」
「…………」
異性をデートに誘って、ワンプレイ二百円を払えない男、西野五郷である。
それもこれもローズとの約束が原因である。昨今の彼には経済活動へ参加する自由すら与えられていない。商売敵を相手に強がりを繰り返した結果、生活必需品の全てが現物支給となった彼である。
しばらくを見つめ合ったところで、ガブリエラの腕が動いた。
肩に掛けた鞄から財布を取り出し、これをフツメンに渡す。女性向け高級ブランドの品である。実店舗では購入が不可能なオーダーメイド品だ。津沼高校の学食で取り出した際には、周囲の女子生徒からキャーキャーと言われた。
まさか財布ごと渡されるとは思わなかったフツメンは、少なからず萎縮した様子でこれを受け取る。自身が格好悪いことを言っていることは理解していた。しかし、これでは傍目にも、完全にヒモである。
すぐ隣の筐体でプレイしていたカップルからも凝視だ。
「……すまない、感謝する」
「…………」
そんな西野を見つめる彼女の眼差しは、まるでアマゾンの奥地、図鑑にも乗っていない珍獣と遭遇したようであった。何を語るでもなく、ジッと彼の顔を見つめていた。目の前の相手の存在そのものが信じられないと訴えんばかり。
流石の西野もこれには堪えた様子だ。
女から財布を受け取るという行いは、男としての面子を大切にする彼にとって、非常に刺激的な経験であった。また更に彼には、そこから札を取り出して、両替機で小銭に両替して、再びこれを返却するという作業が待っていた。
貨幣の大切さを肌で学んだフツメンである。
近い将来、ローズとの間で交渉の場を持とうと決めた瞬間だった。
そんなこんなで硬貨の投入から、二人の賭け事はスタートである。
「では始めるとしよう」
「分かリました」
気を取り直してゲームスタートである。
西野の言葉に合わせて、ガブリエラの意識が筐体内に敷き詰められたぬいぐるみの一つに向かう。極めて真剣な表情からは、何が何でもぬいぐるみをゲットして、西野とのデートを切り上げるという意志が窺えた。
西野の腕が動くに応じて、クレーンが移動を始める。
上下左右、ボタン操作に応じてアームが移動してゆく。プレイを始めた彼の心中は、余裕の一言に尽きる。すぐに終えてしまっては、なんの為にこうした機会を用意したのか分からない。適当に手を抜いてプレイしようと考えていた。
結果的に西野は、取り立てて考えもなく、アームを動かし続けた。
そんな彼の傍らで彼女は、ケージ内のぬいぐるみに力を送り続ける。必死の形相である。何が何でも傍らのフツメンより解き放たれて、自由となり、ローズの元に戻るのだという意志が窺えた。
「アンタは力の使い方が大雑把だ。もう少し繊細さを意識するべきだろう」
「ず、随分と偉そうに言ってくレますね」
「悔しかったら一つでも引き上げて、自らの手に抱いて見せればいい」
「っ……」
しかし、どれだけ強く念じようとも、ぬいぐるみはピクリとも動かなかった。
西野の力は彼女の力を圧倒していた。
ただ、そうした彼もまた、決して順風満帆とは言い難い。
何故ならば、こちらのフツメンは、本日がクレーンゲーム初体験だった。
筐体に向かって当初こそ、一つくらいなら大した苦労なく取れるだろうと考えていた。狙いも碌に定めずに、適当にボタンを押してアームを操作していた。それもこれも全ては必要な段取りである。すぐに取ってしまっては意味が無いと。
しかしながら、そろそろ良いだろうと考えて本気で取り掛かることしばらく。
「…………」
彼は気づいた。
このゲームが想像した以上に高難易度であることに。
「……一つ確認したいのだですけれど、まだ取れないのですか?」
「っ……」
しまいにはガブリエラからせっつかれるほどだ。
数十分に渡って挑戦した結果、どうやら彼女はぬいぐるみの取得を諦めたらしい。強張っていた肉体からは緊張が消えて、寂しげな表情が顔に浮かんでいる。事実、クレーンゲームの筐体内では両者の鬩ぎ合いも失われていた。
ただ、それでも西野はぬいぐるみが取れなかった。
ケージの内側に並んだふわふわのモコモコが、どうしても取れなかった。
だが、そうは言っても既に格好つけてしまった手前もあって、彼は諦めるという選択肢を取れなかった。更には同日、以降に予定している段取りも手伝い、何が何でもぬいぐるみをゲットする必要に駆られるフツメンだ。
「悪いが、財布を貸してくれ」
「…………」
孤独な戦いは始まった。
幾らコインを入れても、上手く釣り上がらないぬいぐるみ。数度に渡りガブリエラから財布を借りて、両替機と筐体の間を行き来する。当初予定していたフツメンの目論見は、その時点ですでに瓦解していた。
そうこうすれば、先んじて独力での取得を諦めたガブリエラから、アドバイスが飛び始める始末だ。
「もうちょっと左ですっ! ああぁ、そうじゃなくて、もっと左にっ!」
「ぐっ、だがしかしっ……」
「ああもうっ、もう少し左なのですよっ!」
「アームの力が弱いんだ。第一、その位置からだと間に入り込めない」
「違うのです、アームの開く力を利用して……ああぁ、だかラそうではなくてっ!」
「くっ、これでも駄目か……」
「格好つけてないで、ちゃんと操作して下さいっ!」
段々と白熱してゆく二人。
だが、それでも西野はぬいぐるみを釣り上げることが出来なかった。
やがてガブリエラの財布から、現金が消えた。
数枚ばかり忍ばされていた諭吉が、全て百円玉となって消えていた。それで尚もぬいぐるみは、彼らの下へ訪れる兆しが見られない。むしろ西野が散らかしたおかげで、ケージ内は当初より更に難易度を上げていた。
「悪いが銀行で現金を調達して来てはもらえないか?」
「この遊技場はカードが使えないのですか?」
「この手の施設は基本的に現金で遊ぶものだ」
「まったく、こレだからアジア圏は嫌なのです。ちょっと待っていて下さい」
カードを片手に屋外へ向かおうとするゴスロリ少女。
そんな彼女の背後から、申し訳なさそうに声が掛かる。
「あの、お、お客様。大変申し訳ありません、どうやら少しばかり配置が悪かったようでして、大変申し訳ありませんが、差し支えなければお好きな景品をお取りさせて頂けたらと思うのですが……」
終ぞ店舗の店員から気を遣われてしまう西野だった。
◇ ◆ ◇
結果的にクレーンゲームでの一戦は、なし崩し的に終えられた。
「今回は引き分けだな」
いけしゃあしゃあと語ってみせる西野。
その腕には店員の手によりケージから取り出してもらったぬいぐるみが抱かれている。ちなみに同じものがガブリエラの手にも見受けられる。ただし、こちらは抱くというより、その一端を指先で握りぶら下げている。
「…………」
「どうした?」
「……なんでもないです」
意気揚々と語る彼に、ガブリエラはジト目を向けるばかりだった。
言いたいことは山ほどある彼女だが、どう足掻いてもフツメンに太刀打ちできない力関係上、別れを切り出すことができないでいる。依然として苛立ちより恐怖が勝っているようだ。結果的に臆病女は、秋葉原の街で晒し者の憂き目を見ている。
黄色フツメンと白人美少女、その組み合わせは否応なく人目を引いた。
「それで、次はどうすルのですか?」
酷く疲れた様子でガブリエラが問い掛ける。
一方、答える西野は未だやる気満々だ。
「少し早いが食事に向かおう」
「……分かりました」
観念した様子でゴスロリな彼女は呟いた。
本日一日、付き合うと決めた様子だ。
そうして西野主導のもと、二人の歩みが向かった先は、駅前の大型商業施設となる。主に家電製品やパソコン機器を扱う店舗だ。最上階にはレストラン街。秋葉原らしく、そこでランチにしよう、とかなんとか考えたフツメンのチョイスである。
他に大勢の買い物客が行き交う只中、二人は立ち並ぶ飲食店を見て回る。
「何か食べられないものはあるか?」
「男と一緒に食べる食事ですね」
「ならばビュッフェはどうだ? 串揚げらしいが、色々とあるみたいだ」
「…………」
向かう先に掲げられた看板を眺めてフツメンが語る。
しかしながら、付き合う彼女は相変わらずの渋い顔だ。
「貴方は食が太いほうですか?」
「いや、そこまでではないが……」
「なラば他を選ぶべきです。この手の店舗は質を量で補うことで売っています。そレになによリ、調理と呼べル過程を経ルことなく、串に刺さレルがまま提供さレたものを、顧客の手によって揚げたものなど、とても料理とは呼べません」
「自ら串を揚げることに情緒と歓びを覚える者もいるのではないか?」
「貴方がデートに誘った女は、そういったことに価値を見出しません」
「…………」
そして、足を止めることなく進む二人だから、西野が挙げた店舗は早々に傍らを流れて、段々と後方へ遠ざかってゆく。流石の西野もガブリエラが頷かなければ、強引の行く先を先導することもない。
ただし、その視線は串揚げが恋しそうだ。
大した量を食べられる訳でもないのに、ビュッフェとの横文字が、社会経験の薄いフツメンの食欲を刺激する。結果的に他にすれば良かったと、腹が膨らんでから思うだろう近い未来を見据えても、思わず店に向かい一歩を踏み出したくなる。
自らの手で串を揚げることに価値を見出してしまうフツメンだった。
対してガブリエラが向かった先はというと、ラーメン屋である。
「……こんなのがいいのか?」
「一杯一ドルしないインスタント製品が売ラレていル一方、一杯二十ドルを超える商品もまた、街には平然と並んでいル。そして、どちラも価格に対して満足のいく味を備えていル。興味を覚えルのに当然の料理です。文化と称しても差し支えあリません」
「だが、これは……」
「これをラーメンの本場であル日本、その市井で食べルことには意味があリます」
デートの相手はラーメンに首ったけであった。フロアには他にラーメン屋も見当たらない為、他所へと目移りする様子も見られない。その顔には是が非でもラーメンを食べてやるという意志が窺えた。
自ずとフツメンの口からは突っ込みが漏れる。
「ラーメンの本場は中国だ」
「あの国のラーメンの地位は、この国の立ち食いそばのようなものです。日本はかの国にエレクトロニクスの技術を盗まレて、代わリにラーメンという食文化を盗んだのです。この国の企業は、投資の方向性が狂っていますね。そレがまた面白いです」
「…………」
ガブリエラは頑なにラーメンを望んだ。
この女、いちいち面倒なことを考えて生きているのだな、とはこれを耳にした西野の寸感である。思い起こせば、こうして世間話を交わすのも初めてのことだ。今更ではあるが、彼女の価値観や物の考え方を、少しばかり理解したフツメンである。
「……分かった、入ろう」
「当然です」
先んじて折れたのは西野である。
何故ならば、昨今の彼は財布を携帯していない。恨むべきは自らの懐のさもしさである。我先にと店内へ向かうガブリエラに対して、待ったを掛ける権利を、こちらのフツメンは持ち合わせていなかった。
◇ ◆ ◇
昼食を終えた西野たちは、電気街の賑やかな辺りまで戻ってきた。
「なかなか悪くないラーメンでした」
「……それは良かった」
色々と納得の行かない西野だが、とりあえず頷いておく。
どちらかといえば家系ラーメンが好みのフツメンだ。味濃いめ、麺硬め、健康に気遣い油少なめのほうれん草マシマシ。だが、残念ながらランチに訪れた店舗は、どす黒いスープが売りのご当地ラーメンであった。
「そレで、これかラどうすルのですか?」
「そうだな……」
観念した様子でガブリエラが尋ねる。
西野は考える素振りを見せながら、通りの右から左へ見渡す。事前に用意した午後のプランは存在しているものの、直行するには少しばかり時間が早い。彼の予定では、ウィンドウショッピングなる行いで小一時間ほど過ごす予定だった。
しかしながら、デート相手の秋葉原という街に対する態度は冷やかだ。
アニメショップなど巡っても、これといって良い反応が得られるとは思えない。それくらいは童貞野郎でも想像がついた。だが、そうなると逆にガクッと選択肢が狭まるのが、彼と彼女の訪れた街の在り方である。
できれば小一時間ばかり過ごしたい。
映画館の一つでもないものかと界隈の様子を窺う。
「お、おい、もしかして西野か?」
そんな彼に声を掛ける者の姿があった。
どことなく耳に覚えのある響きだった。割と日常的に聞いているような気がするものの、即座に相手が思い浮かぶほどでもない。そんな声色から名前を呼ばれたことで、自ずと彼は声の聞こえてきた側を振り返る。
すると、そこには二年A組が誇る剽軽者の姿があった。
「こんなところで会うとは奇遇だな、荻野君」
「お前、こんなところで何してるんだよ?」
教室での剽軽具合は鳴りを潜めて、酷く驚いた様子で語ってみせる。
学内有力者の視線の有無により、振る舞いが豹変するのが剽軽者の特徴だ。そして、今の彼に向けられる視線はフツメンとガブリエラの二名。他に知り合いの視線がないことを理解した彼は、剽軽度合いを控えての対応となる。
「しかも、隣のクラスのガブリエラさんと一緒とか……」
驚いた様子を見せる剽軽者。
対してフツメンは淡々と問い掛ける。
「こちらこそ意外だな。家電でも買いに来たのか?」
「あ、ああ、まぁ……」
ガブリエラは黙ってこれを眺める限り。
ローズ以外、学校の人間に興味はないようだ。
「っていうか、他に誰か一緒なのか? まさか二人だけって訳じゃ……」
「見ての通りデートの最中だ」
「っ……」
躊躇なく語ってみせるフツメン。
すぐ隣にガブリエラの視線があるにも関わらず、まるで気にした様子がない。清々しいまでの立ち振る舞いだった。だからだろうか、これを受けては剽軽者も酷く驚いた様子でデート相手を見つめる。
「え、マジ?」
「無理やり付き合わされているだけです」
早々にガブリエラから訂正の言葉が漏れた。
その表情は甚だ不服そうだ。
「そ、そうだよね? いやもう、俺、ビックリしたなぁ」
「…………」
少しばかり寂しい気持ちのフツメンだろうか。
しかしながら、彼には彼女の言葉を訂正する資格がない。伊達に昼食のラーメンも、ガブリエラの驕りで食べていない。付け合せに餃子まで一緒に頂いてしまった。そして、残すところ午後のデートもまた、その尽くを頼る予定の貧乏野郎である。
それもこれもローズとのお小遣い交渉を一方的に放棄したフツメンが悪い。
「ところで荻野君、教室とは少しばかり雰囲気が違うな」
「っ……わ、悪いか?」
西野からの問い掛けを受けて、剽軽者の眉がピクンと震えた。
本人もまた気にしていたところだ。
剽軽者が剽軽を控えた時、そこには素の人格が残る。果たしてそれが良いものか、悪いものか、他の誰でもない剽軽者自身もまた、明確な答えを持たない。評価とは周囲から与えられるものだと考えているからだ。
だからこそ、剽軽者という化粧を失った彼は、とても普通の生徒だった。
「気を悪くしたのなら謝る。素直な感想だ、他意はない」
「そういうお前はまるで変わらないんだな……」
「そうか?」
「そうだよ。見てて羨ましいくらいだ」
「羨ましいだなどと言われたのは初めての経験だな」
「…………」
一方で剽軽者の指摘通り、普段となんら変わらない受け答えをするのが西野である。しかもそれは酷く気さくなものだ。まるで古くからの友人に対するようである。過去の関わり合いを思い起こせば、罪悪感を覚える荻野である。
剽軽者とは、クラスのカースト上位を味方に付けてこそ、元気に剽軽できるのだ。剽軽をするにも色々と心の準備が必要なのである。まさか人通りも多い街中で、味方となる勢力の援護もなしに剽軽できるほど、彼に度胸はない。
「そ、そんじゃあなっ!」
だからだろうか、気付けば荻野君は踵を返していた。
「ああ、また月曜日に学校で会おう」
「っ……」
別れ際に答えた西野の言葉が、彼の肩を大きく揺らした。
◇ ◆ ◇
結局のところ、西野はウィンドウショッピングを省略して、次なる目的地に向かうことにした。今更勿体ぶったところで評価が下がるだけだと、正しく理解できた為である。だったらさっさと向かってしまおうという判断だ。
そんなこんなで二人が訪れた先は、秋葉原でも数少ないデートスポット。
「……どうしてフクロウなのですか?」
「珍しくはないか?」
「…………」
一時期から都内で急に数を増やした動物との触れ合いを売りにしたカフェ。そのなかでも割とメジャーどころとなるフクロウカフェだった。森の中を思わせる木々の茂った店内には、所狭しと大小様々なフクロウが見て取れる。
カフェとは銘打たれているが、パッと見た感じ飼育小屋のような内装だ。客が十人も入れば手狭に感じられる店内。中央にベンチが設けられており、これを囲うように用意された樹木の下、足にヒモの巻かれたフクロウが幾十匹も至る所に並んでいる。
「フクロウは嫌いか?」
「嫌いではあリません」
「それにしては機嫌が悪いようだが……」
「あまリにも今更な問い掛けです」
「…………」
相手は女性である。可愛らしい動物を目の当たりにすれば、多少は気分も良くなるのではないかと考えたフツメンである。故に少なからず自信を伴っての来店だろうか。
しかし、いざフクロウを前にしてみると、相手の反応は薄い。一杯七百円のラーメンを啜っていた時の方が遥かに機嫌が良い。ちなみに同店の入場料一人頭八百九十円もまた、ガブリエラの財布から支払われた。併せて千七百八十円。
「……金はいつか返す」
「結構です」
「フクロウより猫の方が好みだったか?」
「…………」
近所に猫カフェなる店舗があることも、昨晩のうちに調べていたフツメンだ。どちらが良いか迷った末に、よりレアリティの高いフクロウをチョイスした次第である。なんなら今からでも場所を移そうかと思案し始める。
そんな彼にガブリエラは言った。
「どうして貴方は私に構うのですか?」
ローズ宅を発ってから、今の今まで疑問に感じていた彼女である。
しかし、そうした彼女の純粋な疑問も、異性とのお出かけに沸き立つ彼の心には届かない。思い起こせば自ら女性を誘ってのデートは生まれて初めての経験となるフツメンだ。ここぞとばかりに、その口は有る事無い事喋りたくる。
「出掛ける前にも言っただろう? 俺はアンタが大好きだと」
「貴方が大好きだと訴える女は、すぐにでも帰リたいと思っています。お姉さまの元に戻リたいと願っています。こういった場合、惚れた相手の都合を優先すルのが、男の甲斐性というものではあリませんか?」
「アンタの言いたいことは分かる。だが、それはできない」
「何故ですか?」
「悪い男に惚れられたと思って諦めてくれ」
「っ……」
嘗てない苛立ちがガブリエラの内側に生まれる。
もしも相手がフツメンでなかったら、問答無用で首根っこを引き千切っていたことだろう。人前にも関わらず、咄嗟に力を振るいかけた彼女である。転校初日の一件がなければ、まず間違いなく暴挙に出ていた。
そうこうしていると、二人の下に同店の店員さんがやってきた。
「いらっしゃいませ、フクロウを見るのは初めてですか?」
もしかしたら二人の間に不仲を感じて、気を利かせてくれたのかもしれない。
朗らかな笑みを浮かべて、西野とガブリエラに問い掛ける。年の頃は二十代も中頃といった辺り。パーカーにジーパンといったラフな格好である。肩口ほどのボブカットを茶色に染めている。人の良さそうな笑顔が印象的な女性だ。名を幸子という。
幸子は同店舗で中堅どころの店員である。高校在学中、両親からの虐待に耐えかねて単身で上京。デリヘルで食い扶持と住まいを得るも、代わりに心身を病んだ。そうした最中、お客のアキバ系男子から教えてもらった同店のフクロウに癒やされて、今に至る。
「もしよければ、フクロウのことをご説明しましょうか?」
「初めてだ。ぜひ色々と教えてもらいたい」
普段通りサクサクと受け答えをする西野。
自ずと幸子が気になったのは、その妙ちくりんな言葉遣いだろうか。ただ、それも彼の傍らにガブリエラの姿を眺めて、すぐに納得がいった。曰く、気になる女の子の前で、格好つけたいのだろう、と。
お客の心中を推し量り、彼女は声色も穏やかに問い掛ける。
「それなら手に乗せてみますか?」
「いいのか?」
「フクロウはとても大人しい鳥なんです。人の腕に乗っても、ジッとしているから大丈夫ですよ。もしも怖いようだったら無理にとは言わないけれど、差し支えなければどうですか? きっとフクロウが好きになりますよ」
ニコリと笑ってみせる幸子。
そうして私はデリヘルを辞めることができたの、と彼女は過去の自分を振り返る。お店を卒業するに際しては、各種性病の検査も行い、オールグリーン。きれいな身体で今という時間を謳歌している。当面の目標は年収七百万以上のイケメンと結婚すること。
それもこれもフクロウのおかげだと、幸子は信じている。ラブ、フクロウ。
「どうですか?」
「そういうことであれば、ぜひ頼みたい」
ならばと西野は、彼女のご厚意に甘えることにした。
こちらのフツメンは、常にチャレンジ精神を大切にするフツメンだ。
「それじゃあ、そちらの可愛いお客様には……」
店内に並んだ鳥たちを眺めつつ、吟味するように歩み始めた幸子。彼女はしばらくを悩んだところで、二人の下まで一羽づつ、異なる種のフクロウを連れてきた。ガブリエラの手にはシロフクロウが、西野の手にはアメリカワシミミズクが乗せられた。
「意外と軽いものだな」
「……フクロウを腕に乗せたのは初めてです」
幸子からフツメンとゴスロリ女にフクロウが移される。
鍋つかみのようなものを片手に嵌めて、その上に乗せる形だ。また、フクロウの足首には金具が嵌められており、そこから紐が伸びている。その一端をフクロウの留まる手の指で掴むのが同店におけるルールのようだ。
「足につながってるヒモはちゃんと握っていてくださいね? それとフクロウを撫でるときは、手の甲を使ってゆっくりと、優しく撫でて上げて下さい。あまり強く撫でると、ビックリしちゃいますから」
「分かった」
「あと、相手は動物なので、急に排泄することもあるので、少し腕を伸ばして……」
幸子の説明の最中、それは起こった。
戦犯はガブリエラの手に乗ったシロフクロウである。
その尾羽根がピクリと上に上がったかと思いきや、まるで吹き出すように糞便が飛び出した。ビシャっという音と共に瑞々しい液体が飛び散る。白と黒の入り混じった瑞々しいそれは、他の鳥類と大差ない。
そして、肘を曲げていた為に、糞は彼女の衣服を直撃した。
「っ……」
まるでこの世の終わりのような表情となる幸子。
何故ならば、ガブリエラの着用したゴスロリ服は見るからに高そうだ。というより、事実として高い。高級ブランドのロゴなど入っていたりして、素人目にも価格帯が想像できた。そこいらに売っているゴスロリとは一線を画したゴスロリである。
もちろん大手格安衣料品店で全身コーデするフツメンとは雲泥の差だ。どうしてよりによって、そっちの子が粗相してしまうのよ、とは二人にフクロウを渡した彼女の素直な思いである。男の子の方だったら、全身一万円も掛からなかっただろうにと。
「も、申し訳ありませんっ!」
大慌てで頭を下げる。その表情は今にも泣き出しそうだ。
一方、素知らぬ顔で店内を眺めているのが、脱糞シロフクロウ。その自由気ままな振る舞いは、ここ最近の二年A組の教室で、日々好き勝手に振る舞って止まないどこぞのフツメンを彷彿とさせる。
そして、これに応じるガブリエラはといえば、落ち着いたものである。
「構いません」
「今すぐに拭くものを用意しますのでっ!」
幸子は酷く慌てた様子で、パタパタと店の奥に駆けてゆく。
もしも弁償となれば、確実に五桁を超えるだろう。
幸子は少しだけフクロウが嫌いになった。
これと併せて周囲に居合わせた客からは、ガブリエラに対してチラリチラリと視線が向けられ始めた。これまでも少なからず注目されていた彼女だが、衣服にフクロウの糞を受けたことで、それは殊更に影響を強めていた。
西野とガブリエラ、二人は黙ってフロアを後にする幸子を見送る。
その姿がバックルームに消えたところで、ふと前者が後者に向かい口を開いた。
「例えばアンタが、その服を洗濯でもしたように、生地からフクロウの糞を綺麗に浮かすことができたら、デートはこの場で解散にしてもいい。どうだろうか? 挑戦してみる気はないか?」
「そんなこと出来ルわけがないです。私を馬鹿にしていルのですか?」
「即答か?」
「貴方は本当に嫌な男です」
「……アンタはもう少しばかり、諦めの悪い女だと思ったんだがな」
少しばかり寂しそうに呟いた西野。その視線がガブリエラのドレスに移る。
かと思えば数秒の後、排泄されたフクロウの便に変化があった。
ゴスロリ少女の衣服に付着したフクロウの糞、その一部分がいつの間にやら、薄っすらと浮かび上がっていた。遠目には分からないほど、ほんの僅かではあるが、たしかに衣服の生地との間に空間が生まれてる。
浮かんだ糞便の下には、まるで濡れた様子の見られない生地がある。繊維の間に染みていた、ほんの僅かばかりの液状までもが、綺麗さっぱり浮かび上がっている。今し方の台詞ではないが、洗濯したかのように本来の艶やかさだ。
「っ!?」
それは極々些末な現象だった。ドレスを着用した本人にしか分からないほどの変化だ。傍目には何が起こっているのか、気づく余地もないことである。
しかしながら、目にした彼女にとっては驚愕に価する現象だった。
「アンタの力の使い方には些か繊細さが欠ける」
ガブリエラが瞳を見開いたのを確認して、西野はここぞとばかりに畳み掛ける。
ドヤ顔で続く言葉を語ってみせる。
「別にフクロウの糞でなくとも構わない。溶けたチーズでも、自信があるのなら醤油やマヨネーズでも、なんでもいいから試してみることだ。なにも物を壊すばかりが力ではない。神は細部に宿るとは、良く言った言葉だ」
「っ……」
甘く囁くように語られたウザったらしいアドバイスを受けて、ガブリエラの全身に鳥肌が立った。恐れからではない、純粋な気持ち悪さからである。しかしながら、それでも彼女には返す言葉がなかった。
「精進するといい。俺を超えることも決して夢ではない」
「…………」
何故ならば、彼にできたことが、彼女にはできない。結果としてゴスロリ女は、恐怖に身体を震わせながら、憤怒と苛立ちに身体を震わせる羽目となる。西野に目を付けられたばかりに、気苦労の絶えない女である。
そうこうする内に、幸子がタオルを手に戻ってきた。
「申し訳ありませんっ、すぐにお拭きさせて頂きますのでっ!」
「大丈夫です。自分で拭けます」
「ですがっ……」
「フクロウがやったことなのですから、貴方が気にかける必要はありません」
「……も、申し訳ありません」
店員からタオルを受け取り、彼女は自らの手で衣服を拭う。
フクロウの粗相を気にしていないというのは事実のようだ。なんら構った様子もなく、淡々と汚れを拭っていく。タオルを握るのとは別、もう一方の手に乗ったシロフクロウに対しても、これといって怒りをぶつけることはない。
むしろ西野に対する苛立ちの方が遥かに大きい。
「それで尚も憤りを覚えるとすれば、このような窮屈極まりない場所に、翼を持った生き物たちを押し込めている点です。このフクロウもまた、本来であれば広大な森と空を自由に飛び回っていたでしょう」
誰に言うでもなく、愚痴をこぼすようにガブリエラが呟いた。
彼女の視線の先には、自らの手に乗ったシマフクロウの姿がある。
「え?」
疑問の声は幸子から。
代わりに答えたのが、隣に腰掛けたフツメンである。
「そう言ってやるな。一億と数千年前までは、哺乳類こそ鳥類の祖先の餌として日々を生きていたのだ。我々人類も含めて、世の中は強いものが上に向かうよう成り立っている。そこにはこういった施設もまた含まれるのだろう」
例によって勿体ぶったスタイルでのトークだ。
「分かったような口を聞きますね?」
「アンタの家がアンタにどのような教育を施しているのかは知れない。それはそれは上等で高等な教えの数々なのだろう。だが、下々は今を生きるのに必死なんだ。それともアンタは、このフクロウが串に刺さって、皿の上に並べられているほうが好みか?」
「…………」
あ、このカップル、なんかヤバいかも。
今を生きるのに必死な下々の幸子は、二人の間に不穏な空気を感じた。下手に同所に留まって、一度は許容された衣服の汚れを再び追求されても堪らない。そう感じさせるだけの緊張感が、フツメンとゴスロリ少女の間にはあった。
その足は自ずと遠退いて、バックルームへ逃げるように去っていった。
愛すべきフクロウ二匹は置き去りだ。
「ただまあ、そうした気遣いは悪くないと思う」
「……貴方の意見など聞きたくあリません」
結果、後に残されたのは、どうしようもない雰囲気が漂う西野とガブリエラ。今の今まで二人の様子を窺っていた周囲の客たちもまた、露骨なまでに意識を他所へと向け始める。これを理解しないのは、彼と彼女の手の上に乗ったフクロウたちだけだ。
◇ ◆ ◇
ガブリエラのゴスロリ衣装を汚すに終わったフクロウカフェ。
同所を後にした二人は何をするでもなく、神田の町並みを眺めながら秋葉原を東京方面に向かい歩んでいた。それもこれも他に宛の無くなった西野から、少し歩いてみないかと提案があった為である。
フツメンに対して反論の余地がない彼女は素直に頷かざるを得なかった。
結果的に何をするでもなく、彼と彼女は続く町並みを眺めながら歩んでいる。万世橋を越えて、神田を丸の内方面に向けての散歩だ。午後の昼下がり、穏やかな秋風に髪を揺らしながら、交わす言葉も少なに通りを歩く。
大きな道路から少し外れて、車通りも少ない細い道を行く。
そうしてどれほどを歩いただろうか。
黙々と足を動かしていたガブリエラの歩みが止まった。
「……どうした?」
「…………」
その視線は行く先から外れて、道端に向けられている。
何か珍しいものでもあっただろうかと、西野もまた彼女が見つめる側に意識を向けた。するとそこにはビルとビルの間に挟まれて、六畳ほどの空間に打たれた、非常にこぢんまりとした神社があった。
掃除こそされているものの、建材として利用されている木材は腐食も激しく、社は塗装がハゲている。土地を囲うように設けられた玉垣も、ところどころ砕けていたり、変色していたりと、重ねてきた歴史を感じさせる。
玉垣の切れ目、出入り口には金属製の扉が設けられており、敷地に入ることは禁じられている。というより、そもそも境内自体が酷く手狭いもので、大人が一人、二人入ったら、それだけでも窮屈に感じられることだろう。それくらい小さな社だった。
「こレはなんですか?」
「見てわからないか? 神社だ。アンタたちで言う教会のようなものだ」
「随分と小さいのですね。そレに歴史を感じます」
ガブリエラは甚く関心した様子で神社を眺めていた。傍らから様子を窺う西野にしても、少なからず気になる表情だろうか。本日のデートにおいては、昼食にラーメンを食べていた際にも増して興味を引かれて思われる。
「奉納者の名の連なりから察するに、第二次大戦前後のものだろう」
境内の隅の方に設えられた名板を視線に指し示してフツメンが言う。
そこには指摘通り、何かの名と思しき文字が並んでいた。昭和初期、或いはそれ以前を思わせる古めかしい字面によって描かれている。個人と法人とが半々といった具合だ。木札の数にして四十ほどだろうか。
「…………」
奉納者の名札を眺めて、ガブリエラは殊更に感嘆してみせた。
何が楽しいのか、小汚い木の板を一枚一枚、舐めるように見つめている。
「……どうした? 何か気になるものでも見つけたか?」
「そんなに昔からあルのですか?」
「当然だろう? 神社とはそういうものだ」
「東京は空襲があったのではないのですか?」
「全てが全て焼き尽くされた訳ではない。神田や丸の内、それにアンタたちの大好きな銀行があった辺りは、空襲を免れたと聞いている。逆に上野や浅草といった繁華街は焼かれてしまったから、あの辺りにある神社は比較的新しいものが多い」
「…………」
「古いものを探すというのであれば、都内より地方の方が数は多いだろう」
西野が幼少期を生まれ育った地元にも、同じように二、三百年ほどを重ねる神社や史跡が、日常へ溶け込むよう、そこかしこに転がっていた。学校の授業などで調べて初めて、普段遊び場として利用している場所が、どれくらい前からあったのかを知るのだ。
「行くぞ」
「ちょ、ちょっと待って下さい」
「どうした?」
「もう少し、見ていたいです」
そうして訴えるガブリエラは、いつになく真剣な眼差しであった。つい今し方まで、フツメンとのデートに辟易していた彼女とは程遠い表情である。西野に猶予を願う口調も、多分に素直な響きが感じられた。
おかげで少しばかり、彼女という人格を理解したフツメンだろうか。
「……好きにしろ」
その傍らに立ち並び、彼もまた神社を眺めて時間を過ごした。
◇ ◆ ◇
西野とガブリエラがローズ宅に戻ったのは、そろそろ日も暮れようかという頃合いである。良い仲の男女であれば、そのまま夕食を共にして、最後はホテルにでも向かいそうなものだ。しかし、残念ながら彼と彼女とはそこまで親密ではなかった。
夕食は同宅のダイニングで、家主であるローズと共に三人で取った。それから順番に入浴を済ませつつ、リビングで映画を眺めたり、ブレイクダンスの練習をしたり、各々適当に寛いでいると、時間は早々に過ぎていった。
西野に引っ張り回された心労が祟ってだろう。ローズ宅に宿泊するという絶好の機会にも関わらず、ガブリエラはこれといって何をすることもなく客間へと向かっていた。相当に疲れているのだろう。その面持ちは傍目にも困憊して窺えた。
そんなこんなでローズと西野、二人きりとなったリビングでのこと。
「どうしてあの女を泊めなければならないのかしら?」
意中の相手がガブリエラを呼び寄せた件を巡って、ローズから西野に詰問が為されていた。リビングのソファーに腰を落ち着けて、ソファーテーブル越しに言葉を交わす。フツメンを見つめる金髪ロリータの表情は、これでもかと厳しいものだ。
「ここが一番安全だと判断した」
「……安全?」
フツメンの言葉に首を傾げるローズ。
そんな彼女に彼は淡々と言葉を続ける。
「気づいていなかったか?」
「なんのこと?」
「以前のダンスイベントの最中、あの女は狙撃されている」
「…………」
どうやら気づいていなかったようだ。形の良い眉がピクリと動いた。しかしながら、ローズが見せた反応は、それだけである。だからどうしたとばかり、続けられた言葉は酷く淡々としたものである。
「それならそれで、私としては願ったり叶ったりなのだけれど」
「そう言ってやるな。あれでも同じ学校の生徒だ」
すると例によって、妙な甲斐甲斐しさを見せるのが西野。
もしも出会って当初であれば、ここまで気をかけることもなかっただろう。だが、転校からしばらく、既に彼にとっての彼女とは、津沼高校に籍をおく同じ学校に通う生徒というポジションに至っていた。
仮にガブリエラ本人に対する思い入れがなくとも、ガブリエラが失われたことに対するネガティブな思い出を、自らの夢見る理想の青春に混ぜ込みたくない。そんな酷く自己中心的且つ、完璧主義極まる思想からである。
「貴方って本当に学校が好きなのね」
「悪いか?」
「別に悪いとは言っていないわ」
ソファーテーブルから湯気を上げるカップを手に取り、ゴクリと喉を鳴らす。見た目麗しい彼女が行うと、非常に絵になる光景だ。窓の先に延々と広がる都心部の夜景をと相まって、まるで映画のワンシーンのようである。
「ついでに言うと、今日の日中だけでも狙撃が五回あった」
「あの女は知っているのかしら?」
「さぁな」
「貴方に子守の趣味があるとは知らなかったわ」
ローズの真似をして、西野もまたティーカップに手を伸ばす。自分も負けてはいられない、訴えんばかりである。わざわざ足など組み替えたりして、存分に勿体ぶりながら口を付ける。これでもかと雰囲気を出して、ゴクリと喉を鳴らせる。
もちろん似合っていない。
もしも委員長が居合わせたのなら、まず間違いなく顔を顰めていただろう。
「そんな危ない相手をよくまあ勝手に泊める気になったわね?」
「ここなら最低限のセキュリティは保たれている。相手が強硬策に出た場合はどうだか分からないが、それを避ける為に必要な見せしめは十分に行っておいた。相手も馬鹿じゃない。そこまで無茶はしてこないだろう」
「私を巻き込まないで欲しいのだけれど」
「アンタは眺めているだけでいい」
「眺められる場所に立っている時点で、既に巻き込まれていると思わない?」
「……申し訳ないとは思う」
どうやら一方的に巻き込んでしまったという意識はあるようだ。しゅんと頭を下げて、西野は素直に謝罪の言葉を口にしてみせる。相手が個人であれば、先手を打つこともできた彼だが、どうやら今回はその限りでないようだ。
「あの子を放り出すという選択肢はないのかしら?」
「ないな」
「即答なのね」
「…………」
ガブリエラの扱いに関しては、頑なに譲る姿勢を見せない西野だった。これを確認して、ローズもまた諦めた表情となる。こうなると目の前のフツメンが頑固なことは、彼女もまたここ数週間の付き合いから理解していた。
「まあいいわ、この貸しは後でちゃんと返してもらうのだから」
「重々承知している。なんでも言ってくれ」
「あら嬉しい」
それからしばらく、同所では真夜中のティータイムが続けられた。
◇ ◆ ◇
ところ変わって、こちらは二年A組が誇る委員長のお宅である。
西野とローズが高級マンションの一室で優雅に紅茶など口にしている一方、志水は六畳一間の自室で、クラムシェル型の端末を前に妙な踊りを踊っていた。背後では彼女が好きなバンドグループの楽曲が流れている。
どうやら自身のダンス映像を撮影しているようだ。
彼女が飛んだり跳ねたりするに応じて、畳がバタバタと音を立てる。その正面ではカメラによって撮影された彼女の姿が、端末の画面に映っている。また、映像には彼女の他に幾つものコメントが連なる。
ネットを利用して生中継を行っているようだった。
ただ、視聴者の数はそう多くない。
現役JKのダンス教室。
そんな題目に引かれた野郎たちが十数名ばかり、
「もうちょっとジャンプしてよ、ジャンプ」「俺はさっきのブリッジがもう一回みたいな」「スパッツかわいいよスパッツ」「なんでもいいから早くパンツ見せろよ」「っていうか、マスクは外さない? 顔見せてよ」「マジ可愛いんですけど」
右から左へ好き勝手なコメントが流れてゆく。
その幾つかは辛辣でありながら、同時にまた幾つかは暖かくもある。おかげで志水は自身が想像したより、一生懸命にダンスを踊っていた。視聴者からの要望に対しても、放送規約に触れない限り答えていく。
「こ、こうかな?」
「かわいい! かわいい!」「おぉ、スパッツがスジってない? スジってない?」「現役JKたまりませんわ」「いい体つきしてるよな」「めっちゃ引き締まってる。マジ犯したい」「もしかして、学校では運動部なのかな?」
「っ……」
何気ない自らの行いの一つ一つが、ダイレクトに評価された上、生々しい反応となって返ってくる。それは定期試験の点数の比ではない。だからだろうか、そうした視聴者との交流は、過去に志水が経験したことのないものであった。
おかげで委員長の賢い脳味噌は絶好調である。
曰く、私、今すごく輝いてる。
つい数日前、西野や竹内君のダンス映像を巡って教室が賑わった件が、彼女の背中を押していた。クラスメイトだって似たようなことをしているのだから、自分だって挑戦しても良いのではないかと。
一生に一度、僅か三年しか経験できない女子高生。
だったら存分に楽しまなきゃ損じゃないのよ、と。
「……わ、わたしって、本当に可愛いの?」
「かわいいよぉ!」「かわいいよ、かわいいよ!」「かわいいからパンツ見せてよっ! パンツっ!」「スパッツなんて抜いじゃおうよっ!」「マンコが見たい!」「せめて顔を見せてよっ! 顔を見せてくれたら、もっとかわいいよっ!」「凄くイケてるよ!」
男の欲望がダイレクトにぶつけられる。
それでもなかなか、悪い気がしない委員長だった。
私、求められてる。
本当の私が求められてる。
少しばかり知能指数を下げて、心をフワフワとさせている。
だが、それでも彼女は二年A組を支える委員長、とても賢い女の子である。勢いにのってパンツを披露したりはしない。あくまでもアプリの利用規約を厳守して、匿名のまま、スパッツ動画を披露する。もちろん口元にはマスクだ。
そう、伊達に東京外国語大学を目指していなかった。
「それじゃあ、もうちょっと踊るねっ! みんな、ちゃんと見ててねっ?」
そうした本人の意志も手伝って、委員長の中継は続けられた。
途中で会話など織り交ぜながら、凡そ小一時間ほどの生放送だ。
本人は気づいていないが、これが思いの他、エッチなものである。シャツにスパッツという格好で踊る委員長は、如実に全身の凹凸が確認できる。それは胸の形から股間の縦スジに至るまでハッキリと。
「みんな、今日は私の放送を見てくれてありがとにゃんっ!」
頭の悪そうな締めの台詞が、委員長から視聴者の下に伝えられる。
放送の為に起動していたアプリが落とされる。
途端に静かになる自室。
ダンスの余韻から、胸の鼓動を早くする身体。
「……なによ。私だって、やれば出来るじゃないの」
生まれて初めて経験する高揚を受けて、確実に黒歴史を作りゆく委員長だった。そのトチ狂った語尾からも判断できるとおり、完全に調子に乗っている。今この瞬間、西野のことを強く言えない彼女である。
たった一晩の過ち。
どうせ生放送だからという、ほんの僅かばかりの心の緩み。
年若い少女のちょっとした冒険。
それが今後どのように作用するのか、委員長はまだ知らない。
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