現地 六
破落戸に拿捕された太郎助が、少年少女の手前で無様を晒してる一方、同じくフィラの街中でのこと。異性の間で苦心する少年の姿があった。他の誰でもない、津沼高校が誇るフツメンの中のフツメン、西野五郷その人である。
「委員長はどこか、行きたいところはないのか?」
「別に……」
「そうか」
今、彼はバイクに跨がっていた。
広くゆったりとしたタンデムシートには、他に志水の姿もある。彼女は運転手である彼から可能な限り距離を取るよう、シーシーバーに背を寄せている。ただ、それでも落下は怖いのか、その手は自らの目前、フツメンの肩をぎゅうと痛いほどに掴む。
そんな嬉し恥ずかし二人乗り。
「そもそもの話、どうして免許なんて持っているの? これハーレーっていうのでしょう? 私の知識が正しければ、たしか大型バイクだった筈よ。私たちの年齢だと免許は取れない筈じゃない」
女の癖にバイクに詳しい志水。理由は彼女の父親もまたバイク乗りだからである。その指摘通り、ハーレーが区分される400cc超の大型自動二輪を扱う免許は、その取得の為に必要な条件として、満十八歳以上であることが挙げられる。
「たしかに日本のものは持っていない。だがライセンスはアメリカで取った」
「なによそれ……」
「日本では大型や中型といった区分が存在するが、海外では多くの場合で一つだ。それにこのような田舎なら、多少の違法は目を瞑ってくれる。その証拠として、現に今もメットを被っていないだろう?」
「そ、そういうことじゃなくてっ!」
「それに免許を所持しているという観点では、隣を走っているヤツも同じだ」
「それは……そ、そうかも知れないけど……」
西野が顎に指し示した先では、ハーレーと大差ない排気量のメガスポーツに跨がるローズの姿がある。フランシスカが乗っていた車両だ。その巨大な車体に対して、余りにも小柄な体型が酷く不格好である。
ちなみに示された側はと言えば、隣を走る彼らの様子に気が気でない。
ハンドルを握っている都合、前方に意識を向けながらも、会話の聞こえてくる側に対して、チラリチラリと視線を向けて止まない金髪ロリータである。数秒おきに西野と志水に対して血走った眼が向けられている。
「……どうして、どうして豚女ばっかり二人乗りなのよっ」
西野や志水には聞こえない程度の声量で、ブツブツと言っている。
どうやら委員長が羨ましいらしい。本来であれば、そこに収まるのは自分であった筈なのに、などと勝手な嫉妬を胸に抱きつつも、委員長はバイクを運転できないのだから仕方がないと、酷く真っ当な意見からフツメンに論破された結果である。
不意に行く先、交差点で車の流れが止まる。
ブレーキの掛けられるに応じて、少しばかり志水の胸が西野の背中に接した。割とバストの大きな委員長であるから、ふにゃりと柔らかな感触が二つ、薄革のジャケット越しに童貞へ伝えられる。
これを目の当たりとして、ローズが吠えた。
いよいよ我慢の限界が近そうだ。
「ちょっとちょっと、志水さん。距離が近いわ。その手を肩から離しなさい」
「は、放したら落ちちゃうでしょっ!?」
「むしろ好都合ね。その方が手間も掛からなくて良いわ」
「なっ……」
西野の面前に在りながら、なんら遠慮のないローズの物言い。本来であれば隠すべきところまで出てしまっている。それもこれもフツメンと委員長のタンデムが気に入らないからだ。今すぐにでも襲いかかりそうな気迫が感じられる。
「だからローズの方に乗るべきだと言ったんだ。女同士の方が気も楽だろう?」
「嫌よっ! あっちのはもっと乗るところ小さいでしょっ!?」
確かにローズの跨がるレプリカはタンデムシートが小さい。リアフェンダーの上に気持ちばかり乗せられたシートが精々だ。ローズが小柄であるから、前に詰めれば幾分か余裕はある。ただ、西野の跨がるロングシートと比較しては雲泥の差だ。
更にシートの後方へ、七十センチオーバーのシーシーバーまで設けられていれば、搭乗先としていずれを選ぶべきであるか、賢い志水は即断だった。伊達に東京外国語大学を目指していない。
「そもそも碌に足着いてない子のバイクになんて、乗れる訳ないわっ」
「本当に失礼な女ね。片側に寄って頑張れば、片方だけちょびっと着くわよ」
「それは着いているとは言わないのっ! 今も先っちょプルプルしるじゃない」
「してないわ」
「絶対にしてるっ!」
確かにプルプルしている。
碌に着いていない。
志水の指摘通り、眺めていて不安になるほど、ローズは無理をしていた。凡そ正しく乗車しているとは言えないほどの傾き具合である。直立とは程遠い。彼らの後ろを走る自動車の運転手など、彼女が停車する度に肝を冷やしている。
「膝をしっかりと締めて、腰紐を両手で掴んでいれば、滅多に落ちることはない」
西野がフォローにまわるも、委員長はこれを受け入れない。
「落ちるんじゃなくて、お、落とされるのよっ! 危ないにもほどがあるわっ!」
「あら、失礼ね。これでも単車の扱いは、そちらの彼より長い筈よ?」
「そんなの絶対に嘘よっ!」
真顔で語ってみせるも、圧倒的に傾いた車体を眺めては説得力もゼロだ。
圧倒的にタッパの足りていないローズが、それでも途中幾度かの停止を無事に済ませたのは、その類い希なる身体能力が所以である。もしもアジア人の生まれであったのなら、それでも足の長さが足りず、とても悲しいこととなっていただろう。
「ところで志水さん、これから行く先なのだけれど、貴方に当てがないと言うのなら、私に付いてきてもらっても良いかしら? サントリーニを訪れたのなら、一度は尋ねてみたいと思っていた場所があるの」
「……別に、私はいいけど」
「いいだろう。委員長が良いと言うのであれば向かうとしよう」
志水を中継ハブとして円滑な意思疎通。
状況はローズの思うがままだった。
実際のところ、これから訪れようとしている場所は、今回の旅行に差し当り、ローズが悩みに悩んで決めた一つである。いつぞやの日曜日に予定が立ってから、本日に至るまで、彼女の興味は西野と共にゆく旅行が全てだった。
フツメンには知る余地もない話だが、ローズの自宅には、付箋だらけとなった旅行のパンフレットや、大量のメモが為された現地の白地図が、だだっ広いリビングに山と積まれている。寝室にも積まれている。家中に積まれている。
「ふふ、うふふふふ……」
故に自然と笑みも浮かぼうというもの。志水のタンデムこそ殺したいほどに憎んでいる金髪ロリータだが、これより訪れる場所を想っては、苛立ちも幾分か和らいで、頬を撫でる風は心地良いものに。
そんなこんなで多大なる温度差の下、気まずいツーリングは三十分ほど続けられた。
やがて到着した先は、サントリーニ島に数多ある教会の一つ。他の建築物と同じく壁や柱は白一色。一方でドーム状の屋根は、頭上に眺める空より殊更に発色の良い青。二十平米程度のこじんまりとした佇まいと相まっては、非常に可愛らしい。
バイクのシートから腰を下ろして歩むことしばらく、一同はその正面に移動した。地上二階建ての建物を下から上に見上げる位置となる。周囲には他に人の姿もない。どうやら一般的な観光ルートからは外れた場所らしく、静かで落ち着ける雰囲気があった。
「想像した以上に少女趣味だな」
「わ、悪かったわね……」
西野からの突っ込みに焦りながら、チラリチラリ、ローズは必至に志水へアイコンタクトを送る。アンタは邪魔なの、適当に理由を作ってどこかへ行っていなさい、はやく、はやく行きなさいよ、等々。
これを委員長は早々に理解だ。伊達に学園カーストで上位に収まっていない。まさか逆らう意志など湧く筈もなく、むしろ願ったり叶ったりだとばかり、もう付き合ってられないわ、言外に訴えては応じる。
「あの西野君、わ、私、トイレに行ってくるから」
傍らを歩む彼に向けて、おずおずと切り出した。
「トイレ? そんなものあったか?」
「ここへ来る前に、なんかお店っぽいのがあったから……」
「それは見落としていた、すまない。しかし一人で平気か?」
「え、まさか付いてくるつもり?」
警察署に出会ってからこの方、やたらと気遣いの良いフツメンだ。
委員長の背筋にゾワゾワとした感覚が波立つ。
こちらもまた彼の素であるとは、未だに気づいていない彼女である。
「旅行に来てまでセクハラは止めて欲しいんだけど」
「分かった。しかし、それならこれを持っていくといい」
ズボンのポケットから取り出した自らの端末を、軽い調子で志水へ放る。筐体は綺麗な放物線を描いて、彼女の手中に収まった。金属フレームに僅かばかり残る彼の体温が手の平に伝わり、少なからず委員長の心を揺さぶる。
「……え?」
「また迷子になったら困るだろう? メールボックスにローズとやり取りした履歴が残っている。何かあったのなら、それを利用して連絡を送ると良い。アドレス帳には入っていないから注意だ」
「え、あ、うん。……あ、ありがとう」
「コイツとはこの教会にいる。焦らなくて良い。ゆっくりして来るといい」
「うん。分かった。……行ってくる」
まさかの不意打ちに反骨心を忘れて、素直に頷いてしまう志水だった。
彼女は駆け足で二人の元を離れて、今し方にバイクで過ぎたばかりの道をテクテクと徒歩で戻って行く。その意識は自らの肩越しに西野から移り、歩む先にも増して、手の内に握られた端末に向かっていた。
「……貴方らしくないわね?」
「何がだ?」
「まさか機密が入っていたりしないわよね?」
「まさか? 入っているのはアンタとのメールのやり取りくらいだ。仮に電話の履歴を見られたところで、そっちもマーキスのところくらいしかログは残っていないだろう。他とのやり取りは全てヤツに任せている」
「ふぅん?」
「ところで一つ尋ねたいことがある」
「なにかしら? 男の好みなら貴方とは正反対なのだけれど」
「いつまでこの茶番を続けるつもりだ?」
「…………」
ローズの軽口に乗ることもなく、西野は突っ慳貪な物言いで尋ねた。
「何度伝えたか知れないが、まるで理解していないようなので、もう一度だけ伝えておこう。いいか? 俺がアンタに靡くことは絶対にない。まあ、先月までなら、まだ分からなかったかも知れないがな」
有無を言わさぬ強い口調で西野は語ってみせる。
だが、それでもローズは堪えなかった。
真正面からの拒絶を受けて尚も、彼女は猛る。
「そう? であれば私は今のうちに伝えておくわね」
「……言ってみろ」
「近い将来、貴方は私なくして生きていられないほど、依存することになるわ」
西野を見つめるローズの表情が、ニィと気色悪いほど歪む。
それは表立って嘲笑の一方、心の中では自らの切望する愉快な未来を想像して、股間を濡らすキチガイ女の悦びである。より具体的には、全裸に剥いたフツメンが、同じく全裸でベッドに横となった自らの上、必至に腰を振るい、中出しを懇願する将来だ。
ここまで露骨に嫌われて尚も、彼女は西野を諦めていなかった。
「また有り得ない未来を語ってくれる。片腹痛いな」
「では賭けましょう」
「何を何に対して賭けると言うんだ?」
「貴方が私に一片でも心を許したのなら、その肉体もまた私のモノになると」
「その賭けの何処に、俺に対するメリットがあるんだ?」
「期限を設けるわ。一年以内にこれが達成されなかった場合、私は貴方の前から姿を消す。そして二度と貴方の前に現れることはしない。どうかしら? 面倒な女がいなくなって嬉しいとは思わない?」
「それは魅力的な提案だ」
「快諾して貰えてなによりだわ」
「しかし、アンタはその判断をどこで下すつもりだ?」
「別に貴方の自己申告で良いわよ?」
「……またふざけたことを言ってくれるな」
「私は懐が広い女なの。どこかの売女と一緒にしないでもらいたいわ。それに何よりも強く確信しているの。貴方は一年以内に必ず、自ら私に下るわ。その身も心も全て。賭けなど必要とするまでもなく」
「いいだろう、その賭けを受けてやる」
「ありがとう。嬉しいわ」
西野が頷いたことで、ニヤリと殊更に笑みを深くするローズ。
どうやらこのやり取りもまた、彼女にとっては数多打たれた布石の一つのようだ。伊達に目の前の童貞に関して、十分な分析を行っていない。どれだけ強がろうとも彼はボッチだ。コミュ障だ。そこに付け入る隙があるのだと、金髪ロリータは考えていた。
「ところで賭けに差し当り二つ、ルールを作りたいのだけれど」
「ルール? 今の提案がルールそのものだろう」
「では言葉を変えるわね。一つは賭けを実施する舞台を用意したいの」
「舞台?」
「貴方、私の家に引っ越して貰えない?」
「なんの冗談だ?」
「あら、嫌かしら?」
「寝首を狙っているのなら、無駄な努力だと考えた方が良い。或いは昼に見た女であれば可能かも知れない。しかし、これまで付き合ってきた限り、どれだけ油断したとしても、アンタにやられてやることは難しいと」
「なにを言っているの? 殺してしまったら一年後、貴方を私のペットに出来ないじゃないの。そんな勿体ないことする訳がないわ。単純に生活の場を共にして、私の魅力を貴方に見せつけるだけよ」
「ふん、下らないな」
「以前、私の自宅に興味を持っていたでしょう? 流石にあの広さに一人というのは寂しいのよね。それに貴方も学内で私に構われるのは面倒でしょう? それなら他に舞台を用意して競うほうが健全ではないかしら」
珍しくも言葉の端々に勢いを感じるローズの語り草。
どうやら彼女にとっては、ここ一番の勝負所のようである。ただ、それを決して悟らせまいと、表情には先程から変わらず、相手を見下したような嘲笑が浮かべられており、ニヤニヤとイヤらしい視線を送り続けている。
「それとも高々一年を共に過ごした程度で、どうにかなってしまうのかしら?」
ニヤリと挑発的な笑みを浮かべるローズ。
これに西野は食いついた。
どうやら彼女の笑みが彼のプライドを刺激した様子だ。
「いいだろう。ただし、こちらからも条件がある」
「なにかしら?」
「期間を半年にしろ。いいや、それでも長いな。三ヶ月で十分だろう」
このフツメン、どうやら本当にローズが嫌いなようだった。
「…………」
「どうした? 懐の広いところを是非とも見せてもらいたいところだ。それとも女としての自分に自信がないのか? だとしたら、何年を経たところで男を落とすなど、どだい無理な話だろう。今のうちに諦めてしまえ」
金髪ロリータの表情が強ばる。
ただ、それも僅かな間の出来事だ。
「え、えぇ、いいわ。三ヶ月後、今日から九十日後を期限としましょう」
「つまり俺とアンタは年内にお別れということだ」
「ふふふ、その自信がいつまで持つか楽しみね」
「言っていろ」
ローズは終始一貫してニヤニヤと。一方で西野は平素と変わらず淡々と。互いに対照的な眼差しで正面から見つめ合い、取り決めは為された。視線こそ絡まり合いながらも、しかし、その胸の内はまるで重ならない。
「これで満足か?」
「それともう一つのルールだけれど……」
「二つも欲しいなどと、アンタもまた随分と欲張りな女だ」
「ルールは二つだと最初に言ったでしょう?」
「ならさっさと言え」
「ぐっ……」
相変わらずマイペースな西野。その突っ慳貪な物言いに対して、ローズは少なからず悔しそうな表情となる。
しかし、その裏側では彼におちょくられることにさえ、快楽を見出す変態女であるから、喜びを隠すのに必至だ。西野が相手であればマゾにでもサドにでもなれる。それがローズ・レープマンという人格である。
喜びから形の崩れそうな口元を必至に押し上げて、彼女は問答を続ける。
「二つ目は私と貴方の関係についてなのだけれど」
「言葉にして語るほどのモノがあったのか?」
「あら、随分と強気ね」
「今この場で処理してしまっても良いのだが」
「同級生を殺す勇気があるのであれば止めないけれど?」
「…………」
そう言われると弱い西野である。
他者を害することに躊躇無いフツメンではあるが、それも相手によりけりだ。伊達に私生活でリア充を目指していない。その過程で私利私欲から一身上の都合により同級生を葬ったとあっては、望む全てが失われてしまう。
ローズの転校間際であったのなら、為し得たかも知れない。しかしながら、既に彼女は学園に籍を持つ生徒として、西野の日常に入り込んでいた。鍵となるのは両者共通の知り合い。それは例えば同じクラスの志水であり、竹内君であり、その他大勢である。
今この場でローズをどうにかしては、ローズちゃんの事は残念だったね、云々、呟きを今後の人生で耳とする度に罪悪感を抱くこと必至。クラスメイトと顔を合せる都度、自らが殺した相手を思い起こす羽目となる。それくらいの良心は西野にもあった。
そして、彼が求める理想の想い出とは、そのような屈託したものではない。どれだけ先になるかは知れないが、自分が死ぬ瞬間、心の底から生まれてきて良かったと思えるだけの想い出である。そんな大それたモノを、彼は欲しているのだ。
「早く言え」
「えぇ、そうね」
少しばかりもったいぶってから、ローズは続ける。
「これからの三ヶ月間、私と貴方は仲間ということになりましょう」
「俺に寄生するつもりか?」
「貴方がそう思うのなら、そうなのかも知れないわね」
ローズが西野の日常へ足を踏み入れた時点で、両者の力関係は決定されていた。純粋な力でこそフツメンが勝っていようとも、社会性や人間性を鑑みては、割とイーブンな二人である。状況によっては金髪ロリータが優位な点すらある。
「フランシスカもだいぶ酷いが、アンタも大概だな。想像した以上だ」
「駄目かしら?」
「構わない」
「あら、随分とアッサリ承諾を貰えたわ」
少なからず驚いた様子で、瞳を見開いては問い返すローズ。
どうやら意外であったようだ。
一方で西野の心象はと言えば、彼女からの提案を飲んで頷くほど、現状に辟易していた。例え好かない相手との同居、協力が条件であったとしても、今生の別れの為ならば我慢しようと考えるほどに。
「向こう三ヶ月間、俺が仕事を受ける保証はどこにもないがな」
「好きな女の子には悪戯したくなるタイプかしら?」
「言っていろ。話はそれだけか?」
ローズとしては約束の三ヶ月間、西野が仕事を受けようが受けまいがどうでも良かった。それよりも遙かに大切なのは、彼女自身の好意を当人へ伝えないこと。だからこその提案である。卑しさのアピールである。
なので別段、訴えが受け入れられなかったところで、一向に問題などなかった。なにより今この瞬間、こうして提案すること自体に意味があった。彼女が西野に求めているものは、|一時(いっとき)の恋愛感情ではない。
それは先程の言葉通り、完全な依存である。その為には自らの好意を相手に知られる訳にはいかなかった。大切なのはローズ自身の感情に起因する反射的な好意ではなく、西野の自発的且つ盲目的且つ信仰的な依存だった。
ローズは正確にフツメンの心理を理解していた。もしも自分が本心から好意を抱いていると西野が知ったのなら、両者の関係には少なからず進展が見られるだろうと。そして、彼女の推測は事実である。まず間違いなくベタ惚れとなるフツメンだ。
けれども、それは彼女が求めるモノではなかった。
ローズは自身が胸に抱いている感情と同じモノを、彼にもまた求めていた。百年経っても変わらない、酷くドロドロでグチャグチャとした愛情のうねりだ。年頃の少年少女が学業の傍らに得る恋愛とは一線を画した、もっと酷い何かである。
その結果として西野に殺されるのなら、それはそれで良しとするほどの。
「ええ、提案を受け入れてくれたことに感謝するわ」
二つ目は断られるかも知れないと考えていた手前、予期せぬ承諾から表情には少なからず笑みが浮かぶ。これで一緒に過ごす時間が更に増えたと、内心では狂喜乱舞の金髪ロリータである。四六時中、フツメンに付きまとうつもり満々だった。
「私からは以上よ」
少しばかり肩の力を抜いてローズが答える。山場を越えたことで、ほっと一息といった様子だった。ただ、これを悟らせることなく、答える調子は平素と同じか、それ以上に軽い調子で、ニヤニヤとした笑みと共に。
「もしもアンタが最初の約束を反故したのなら、俺は大義名分を持ってアンタを処分することができる。そこには何の憂いもなければ、後悔も生まれないだろう。新年を清々しい気持ちで迎えることができる」
自らに言い聞かせるよう、西野は言う。
対するローズはしてやったり、ニヤニヤと嘲笑混じりに答えた。
「それはどうかしら? 私の上で必至に腰を振っているかも知れないわよ」
「言っていろ。この売女が」
「失礼ね。仮に売女だとしても、売る相手くらいちゃんと選んでいるわ」
「安い女を買う趣味はない」
「私の値打ちは三ヶ月後に貴方の判断で決めれば良いわ」
「……ふん、下らない」
「さて、そろそろあの子が戻ってくる頃かしら? せっかくクラスメイトとの旅行なのだから、貴方も存分に楽しむのが良いわね。旅行先であれば、もしかしたら短時間での関係改善が望めるかも知れないわよ?」
傍らに立つ教会をチラリ眺めては、西野の傍らを離れる。フツメンの注目する先、その出入り口に歩み寄っていく。何気なく伸ばされた手がドアノブを掴むと、ギィ、乾いた音を立てて、木製のドアは簡単に引き開かれた。
「アンタにだけは言われたくないな」
答える西野の声は不機嫌の一色。
そんな彼にローズは視線を向けることなく淡々と。
「今のままが良いのかしら? 大勢の中に一人は惨めよ? 真の孤独というものは、誰もいない無人島ではなく、賑やかな団欒のすぐ隣にあるものなのだから。貴方だってここ数週で十分に理解したのではないかしら? 人間、決して一人では生きていけないわ」
「その口が言うのか?」
「団欒の存在に気付いてしまったのでしょう?」
「……ふざけた女だ」
「綺麗に死ねる人間は、とても少ないの。そう、とても」
「…………」
図星を突かれて苦い顔となるボッチ。
返す言葉にも、いつものキレとウザさがない。
「いいじゃない。私と一緒にいる間は一人じゃないわよ」
「アンタと一緒にいるくらいなら一人のほうがマシだ」
話題が学園でのあれこれとなった途端に、力関係は逆転する。
自身の劣勢を意識せざるを得ない西野だ。おかげで話の流れも、ローズに握られっぱなしである。しかしながら、それも向こう三ヶ月の間の我慢だと考えたのなら、甘んじて受け入れるフツメンだろうか。
「意外と綺麗ね。なかに入ってみない?」
「勝手に入っても良いのか? 観光施設の類いには思えないが」
「怒られたら謝れば良いわ」
「適当な女だ……」
ローズに促されるがまま、西野は教会の内外を見て回る。
それからしばらく、用を足しに出ていた志水が戻ってくるまで、二人きりの観光は続けられた。時間にして正味小一時間ほど。トイレなど適当な言い訳であったのだが、その事実は西野の知る余地もないことである
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