現地 三

 ところ変わって、こちらは竹内君率いるイケメン美少女グループ。


 アテネ市内のホテルで一晩を過ごして翌日、彼ら彼女らはエレフテリオス・ヴェニゼロス国際空港をエーゲ航空に発った。東京-ロンドン間の長旅とは一変、多少ばかりを飛んで早々にサントリーニ空港へ到着する。


 朝一に出発した為、到着時刻は現地時間で午前十時を過ぎたあたり。


 空港を後とした面々は直後にタクシーを拾い、サントリーニで一番大きな街となるフィラへ向かった。同所には今晩宿泊予定となるホテルも所在している。ひとまず荷物だけでも預けてしまおうという算段だった。


 乗車は座席の数と人数の都合で二手に別れた。


 竹内君とローズ、志水の三人ペアが一つ。鈴木君と松浦さん、リサちゃんのペアが一つ。この配置には鈴木君が随分と渋った。しかし、ローズが志水を求めて、竹内君がローズを求めた結果、彼の思いは棄却された。


 竹内君のカースト序列は鈴木君より上なのだ。


 そんなこんなで走り出してからしばらく、街中を進む最中のこと。


「昨日は大丈夫だった? かなり疲れてたようだけど」


 かれこれ何度目になるだろう。竹内君がローズへ心配気な表情を向ける。助手席に腰掛けている為、後部座席へ座る女性二人、取り立てて運転席後部に座った彼女に向かい、大きく腰を捻りながらの問い掛けだ。


「えぇ、大丈夫。志水さんには迷惑を掛けてしまったけれど」


「本当? 気分が悪くなったら気兼ねなく言ってくれていいから」


「ありがとう。もしも本当に悪くなったら伝えるわね」


 ニコリと余所行きの笑みで受け答えするローズ。そうした振る舞いは学園で眺めるに同じく、どこからどう見ても絶世の美少女で、優雅なお嬢様で、保護欲を誘って止まない白人金髪ロリータだった。


 今日は黒のワンピース。真っ白な肌にシルクの艶が良く映える。ツインテールに結われた髪が、彼女の身体を動かすに応じてサラサラと流れる様子は、竹内くん曰わく、何が何でも今晩はモノにしてやる。


 隣に座り二人のやり取りを眺める志水にとっては、とてもではないが納得のいかない光景だろう。酷く悔しそうな表情でローズを見つめている。ただ、そうした内に湛える不服さえも、満足に表現できないのが今の彼女の立ち位置である。


「あれ? もしかして委員長も調子悪い? 辛そうな感じがするけど」


「え? あっ、いやっ、あのっ、べ、別に大丈夫だよ?」


 大慌てで作り笑いから場を取繕う委員長だ。


 調子が悪いのは事実だが、これを伝えることはない。


「そう? ローズちゃんにも言ったけど、辛かったらすぐに言ってくれよ?」


「えぇ、あ、ありがとう、竹内君」


「いやいや、慣れない遠出だろうし、気を遣うのは当然のことさ」


 ローズをすぐ近くにおいて、異性に分け隔てなく優しいところをアピールする竹内君である。そう言えば委員長もまだ抱いたことないんだよな、とは爽やかな笑みの裏側、心中で呟かれた本音である。


 ロリロリでツルペタなローズに対して、志水は割とムチムチのボンキュボンだ。女子高生にしては大きめの胸に加えて、水泳部での活動に鍛えられ引き締まった肉付きは、脱いだら意外と凄いことになっている。


「ホテルに着いたら少しゆっくりしようか。景色が最高らしいんだ」


 既にタクシーは市街に入り、ホテルにほど近い辺りまで移動している。窓からは崖沿いに続く白い建物の並びが窺える。その只中に竹内君が予約した宿泊施設もまた所在している。あと五、六分も走れば目的地へ到着するだろうことが窺えた。


「あぁ、それなのだけれど、私は……」


 そうした最中のこと、不意に轟音が響いた。


 自動車の走行音すら越えて響く爆発音だった。


「えっ、なに!?」


 誰にも先んじて声を上げたのは志水だ。


 これに続く形で竹内君。


「前っ! 前の車がっ!」


 皆々が注目する先、フロントガラスの先に車体を浮かび上がらせる先行車両があった。まるでハリケーンにでも煽られたよう。ウィリーの要領で前半分を浮かせ、彼らの乗る自動車に向かい、仰向けに屋根から迫ってくる。


 このままでは追突必至。


「っ!」


 運転手が咄嗟の気転からハンドルを回す。


 ギリギリこれを交わしたタクシーは、歩道へ乗り込む形で頭から豪快に突っ込んだ。そこから進むこと十数メートル。ボンネットを交通標識に凹ましたところで、危うくも自動車は停止した。


 急ブレーキに応じて、乗り合わせた目面は自然と大きく前のめり。ローズと志水は前の座席に顔やら肩やらを強くぶつけた。竹内君は幸いにしてシートベルトをしていた為、呻き声を発するに限り、フロントガラスとの衝突を免れる。


 一番に重傷だったのは運転手だ。シートベルトをしていなかった為、フロントガラスを破って前の方へすっ飛んで行った。車体が古かったのか、或いは整備不良か、根元からスポ抜けたハンドルを握ったまま、豪快に飛んでいった。


 細かく砕け散ったガラス片の幾らばかりかが、運転席の他、助手席に腰掛けたイケメンの股にもパラパラと降り注ぐ。慣性の影響から車内に向かったのは僅かばかり。如何に鋭く尖っていても、それ自体に被害を被ることはなかった。


 飛んでいった運転手は、そのまま通行人を巻き込んで、路上へドサリと強烈に打付けられた。うつ伏せに倒れ伏して数秒、身体と地面との間から、ジワリジワリと赤いモノが染み出しては、その下に真っ赤な血の溜まりを作り始める。


「まっ、マジかよっ……」


 一連の光景を目の当たりとして、シートベルトの大切さを肌で感じた竹内君である。今後とも自動車に乗るときは、必ずベルトを着用しようと、深く心に刻み込んだ次第である。肩にめり込むベルトの痛みこそ、今を生きている証拠であった。


「二人とも大丈夫かっ!?」


 大慌てに食い込みを外しながら、竹内君は後部座席を振り返る。


「あと少し勢いがあったら危なかったかしら」


「う、うん。かなり驚いた……」


 ローズは何ら動じた様子もなく応えた。


 志水は少なからず背を丸めて応えた。


 前者は殴打も一瞬の内に癒やされて、既に痛みも皆無である。伊達に不思議ちゃんなどしていない。西野曰わく再生者とのこと。一方で後者はと言えば、少なからず打付けた部位が痛むようで、頻りに顎やら肩やらを撫でては、眉をピクピクと震わせている。


「ローズちゃん、本当に平気? 辛そうに見えるけど……」


「えぇ、なんともないわよ」


「…………」


 表情を曇らせる志水を放置して、真っ先にローズを気遣う辺りに竹内君の真意がチラリと窺えた。そんな同イケメンの意中を正しく理解する志水だから、カースト至上主義者の彼女が出来ることはと言えば、口を閉じて、痛む患部より撫でる手を離す限り。


 痛くない。痛いけど痛くない。


 委員長はプライドの高い女だ。


 伊達に東京外国語大学を目指していない。


「良かった。それなら急いで外に出よう。ガソリンが漏れてたら大変だ」


「そうね」


 イケメン先導の下、一同はタクシーから路上に降りる。


 自然と意識は車外へ向かう。


 すると三人の視界には、早々にショッキングな光景が飛び込んできた。それは十数台からなる自動車やバイクが横転、炎上する交差点だ。高速道路の類いならいざ知らず、そう勢いの出ることもない下町においては、滅多でない大事故だった。


 怪我人も彼ら彼女らに限らず、他に多く発生しているようである。


「が、外国の交通事故って、街中でも随分と激しいのね……」


 何かを勘違いした志水がボソリと呟いた。


 路上では他に居合わせた観光客や現地住民から、悲鳴や怒声が飛び交っている。やれ救急車を呼べだの、爆発の危険があるから横転車両に近づくなだの、途端に騒々しさを増した界隈である。


 そうした最中、ローズは視界の隅に予期せぬ人影を発見した。


「っ……」


 不意に建物の間に垣間見えた人の姿は、他の誰でもない。


 彼女が愛して止まない人物の姿だった。


「西野君っ!」


 誰に言うでもなく呟いて、彼女の足は動いていた。


「ちょ、ちょっとローズさんっ! どこ行くのっ!?」


 吠える委員長。


 けれど、まさかこれに停止する金髪ロリータではない。彼女はタクシーのトランクに載せられた荷物すら置き去りにして駆けだした。それも学園で振舞う偽りとは一変、マジ走りである。小気味良く腕を振って颯爽と。


「ちょっ、ローズさん足早いっ!」


「え? なに!? ど、どうしたのローズちゃんっ!」


 まさか放りおける筈なく、その背を追って竹内君もまた駆け出した。


 一人残されたのは志水である。


 何故ならば、すぐ近くには負傷したタクシー運転手の姿がある。ピクリとも動かない様子から、これを放置して駆け出すほど、彼女は適当な教育を受けていなかった。就学以後、学園カーストと顔面偏差値に支配された精神は、しかしながら、幼少より培われた最低限の道徳心を未だ残していた。


 全ては片親ながらも、彼女を今日まで育て上げた父親の功績だ。


「ちょっともうっ、ど、どうなってるのよぉっ……」


 グチグチと文句をこぼしながらも、委員長は倒れた運転手の下に急いだ。




◇ ◆ ◇




 タクシーを脱したローズが向かった先は、フィラの沿岸部に連なる宿泊施設を裏側から眺める細路地の一角。他に人通りは皆無、道幅も凡そ三、四メートル程度となる、建物の壁と壁の間に生まれた僅かな空間だ。


 壁も屋根も基礎も全てが白に作られた近隣一帯ながら、それでも人目の届かない同所においては、塗装やそれを乗せるコンクリートが剥がれて、ところどころが見窄らしい灰色を晒している。


 そんな観光地の裏側とでも称すべき場所でのことだ。


 彼女は物陰から、十数メートル先の光景を窺っていた。


 そこには人の姿が三つばかり並ぶ。西野、フランシスカ、ゴスロリ少女の三名である。彼ら彼女らは互いに視線を重ね合わせて、賑やかにも物騒な言葉を交わしている。傍目にも酷く剣呑とした雰囲気が感じられた。


「この女が大切なのであレば、大人しくして下さい」


「こちらはアンタの処理以外、他に条件は設定されていないんだがな」


 淡々と言葉を交わすのがゴスロリ少女と西野。


 これにフランシスカが吠えて訴える。


「す、少しくらいは悩んでくれても良いんじゃないっ!? ねぇっ!」


 どうやら彼女が少女に拿捕されたようだった。


 悠然と宙に浮かぶ銀髪美少女の傍ら、腰が抜けたのか満足に立ち上がることも叶わず、金髪美女は大きな尻を地面へ落としている。女の子座りというやつだ。拳銃もどこかへ落としてきたのか丸腰で、独力での脱出は難しそうである。


「フランシスカ、アンタは自分の命に幾ら払える?」


「この状況でお金を取るのっ!?」


「協力者の安全保障は依頼外だ。当然、別料金だろう」


「本当に最低の男ねっ、このアジア人はっ!」


 思わず本音がポロリする金髪美女。


 そんなキツい物言いにも構わず、西野は淡々と平素からの軽口を叩く。


「捨て置いても構わないが?」


「い、幾らでも支払うから助けなさいよっ! お願いだからっ!」


「久しぶりにアンタの口から気前の良い話を聞いたな」


「いいから早くっ! ねぇ早くっ! にっちもさっちも動けないのよぉっ!」


「だろうな。随分と圧力を掛けられているようだ。射程はそんなでもなさそうだが」


「もう本当っ、なんなのよこれぇっ!」


「そこまで分かってしまうのですか? 貴方、いよいよ放りおけませんね」


 とても分かりやすい状況だった。おかげでこれを舞台の袖から眺める金髪ロリータもまた、現状を容易に判断することができた。僅かばかりのやり取りを耳にした限りながら、西野とフランシスカの立ち位置を理解である。


「……仕事かしら? それにしても大した偶然よね」


 ポツリと誰に言うでもなく呟く。


 フランシスカと西野が犬猿の仲であることは、彼女も以前から理解していた。まさか一緒にバカンスなど有り得ない。


 とはいえ、意中の相手が他の女と時間を共にしていることが、ローズは許せなかった。当人の主観からすれば、今回の旅行を横から掻っ攫われたに等しい。本来であれば彼の隣に居たのは自分だった筈なのに、などと存分に嫉妬心を滾らせる。


 そうなると、今この状況を導いたのは誰か。彼女の意識は責任の所在を求め始める。視線は自然と二人以外の一人、ゴスロリ少女に向かった。地上一メートルほどの高さに浮かんだ、名も知らぬ銀髪ロリータである。


「……とりあえず、あのダルマ女は邪魔ね。とても邪魔だわ」


 四肢を失い小さくなった少女の刺激的な外見も、何故か空に浮いている事実も、大して気にならないようだ。呟く姿は全く動じていない。立ち振る舞いは冷静そのもの。その脳裏は状況の把握と行動方針の決定にめまぐるしい勢いで廻っていた。


 彼女にとって大切なのは、西野と共に過ごす時間だけである。


「でも、彼の足手まといになることだけは避けないと……」


 ちなみに彼女を追っていた竹内君は途中ではぐれたようである。サッカー部でセンターフォワードを勤める同イケメンにも増して、この小さな金髪ロリータの足は圧倒的に速かった。その気になれば百メートルを二秒で駆け抜けるという。


「……人目がないのだけは、幸いかしら」


 ほど近い交差点で大規模な交通事故が発生した為、近隣一帯の人気は総じてそちらの側へ集まっていた。おかげで三人にローズを加えた四名の他、周囲に人の気配は窺えない。事故の原因は言うまでもない、西野とゴスロリ少女の追い駆けっこである。


 より具体的には、少女が放った火の玉の数発だ。


「……なかなか、やりにくいわね」


 最高のタイミングで舞台へ乱入するべく、三人のやり取りに意識を集中するローズ。学園に眺める猫かぶりな彼女とも、西野と戯れる幸福状態の彼女とも、或いは他者と喧嘩する仕事人な彼女とも、いずれとも異なる真剣な眼差しだ。恋する乙女の眼差しだ。


 そんな視線が向かう先、フツメンと少女のやり取りは続けられる。


「そう言えば確認していなかったが、アンタの目的はなんだ?」


 今更ながら、ゴスロリ少女に対して西野が尋ねた。


「そんなことを気にしてどうすルのですか?」


「無用に争うこともあるまい? アンタが攫ったそのブロンド女は、色々と面倒な背景を抱えている。当人はただの売女だが、下手に関わっては今後、動きづらくなることは間違いないだろう」


「そ、そうよ? 悪いこと言わないから離しなさい? これ以上、アメリゴの側に付いても良いことなんて何一つないわよ? 私の他にも動いている人間は大勢いるの。彼が捕まるのも時間の問題なのだから」


 辛うじて動かせる頭部をカクカクと振る売女。


 しかしながら、二人の訴えは空回り。


 銀髪ロリータは西野を見つめて淡々と言葉を返した。


「強いて言えば、今の私は貴方を壊したいです。バキバキと」


「……俺を壊す? それはまたつまらない冗談だな」


「貴方の存在は危険です。私の力を知っていル者を野放しにはできません」


 建物の合間を抜けるようサァと風が吹いた。少女の長い銀髪を正面から背後へ靡かせる。前髪が脇に流れて、ニィと細められた瞳の奥、真っ赤な瞳孔がギラギラと輝いては、食い入るように西野を見つめていた。


「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。貴方はアメリゴの護衛じゃないの?」


 言葉少なである西野とは対照的、多分に慌てるのがフランシスカだ。


「アメリゴ?」


 少しばかり考えて後、彼女は続けた。


「あぁ……あの醜い豚のことでしょうか?」


「豚だか牛だか知らないけれど、だからこそ貴方がいるのでしょう?」


 今に挙った名前の持ち主こそ、本件における西野の殺害対象だ。その首を巡っては彼に連絡が来る以前にも、幾名と死傷者を出している。その原因が目の前の相手であろうとは、フランシスカであっても容易に及びがついた。


「彼なラ既に亡くなりました」


「え?」


 ただ、それも既に過去の話のようである。


 続けられた言葉は、まるで想定外の決着だった。


「しばらく一緒に行動しておりましたけレど、一昨日の晩に屠畜しました」


「ど、どういうことかしら?」


「どうもこうも、凄く気持悪かったのです」


「まさか仲違い? 貴方は彼からの仕事を受けていたのではないの?」


「お尻を触られたのです。撫でらレたのです。守るなんて無理です」


「……そ、そう」


「はい」


 酷い顰め面で答えてみせる。その語り草からは、尻に触れられたことに対する嫌悪がありありと感じられた。もしかしたら男性に対する苦手意識があるのかも知れない、とは舞台袖からフツメンをストーキングするキチガイ女の寸感である。


「でも、紛いなりにも仕事を受けたのでしょう? 今回の一件が他に流れたら、今後は満足に仕事を受けることすら難しくないわよ? 爪弾きになりたいの? 下手をすれば、今度は貴方が狙われる側になるのよ?」


「別に仕事などどうでも良いです。弾けルものならどうぞ、ご自由にして下さい」


「あ、貴方ねぇ……」


 尻を触られた程度でいちいち殺していたら仕事は廻らない。あんまりな物言いから、続く言葉を失うフランシスカだろうか。ただでさえ身体の自由を奪われている状況下、相手の精神状態が普通でないと理解して、殊更に表情を強ばらせる。


 一方で多少なりとも順応を示すのが西野だ。


「随分と自由な女もいたものだな。羨ましい限りだ」


「自由ですか? 肌を触らレたのですから、当然の処遇だと思います」


「その主張を否定するつもりはない。ただ、長生き出来ないタイプだとは思う。生来のものか、薬でもやっているのか、或いは拷問の類いでも受けたのか。いずれにせよアンタが真っ当な人間でないのは確かだ」


「こんな愛らしい女を捕まえて、全うではないなどと、貴方は酷い人ですね」


「あいにくそこまで特殊な経験を積んではいない」


「こういった身体にも、需要は割とあリますよ。故に存在しているのです」


「買うヤツの気が知れないな」


「…………」


 どんなときもマイペースな西野である。


 おかげで一連のやり取りを眺めるフランシスカは気が気でない。まるで冷蔵庫から取り出したばかりのペットボトルのように、額にはビッシリと脂汗を浮かべて、今にも卒倒してしまいそうである。


 ただ、マイペースという観点では、彼女も決して負けていない。


「そうして語る貴方は、異性経験があるのですか?」


「…………」


 銀髪ロリータが、ふと何気ない調子で問い掛けた。


 そこでフツメンは気づく。


 どうやら少しばかり軽口が過ぎたようであると。


「アジア女の穴は、アジア男のモノに合せて、我々よりも浅く作られていルという話は本当ですか? 一度は抱いてみたいと考えているのですが、なかなかその機会がなくて、本日まで過ごしてしまいました」


 どうやら彼女は、割と下ネタもいける口のようだ。パッと見たところ良家のお嬢様然とした外見と立ち振る舞いの持ち主であるから、違和感も甚だしい。これまで彼の周りにいなかったタイプの女性である。


 おかげで予期せず窮地に陥った童貞野郎だろうか。


 女の穴の浅い深いなど未知の領域。そもそも考えたことすらなかった次第である。ネットで画像を眺める程度はしても、実物に関しては未だ肉眼に確認した経験がないから、それは本日初めて耳とした、女体に対する新しい観点である。


「穴が深かろうが浅かろうが、俺はどちらでも構わないがな」


 嘘は言っていない。


 ただし、彼の息子は女性の子宮に優しいアジア級だ。


「あラ、そうなんですか」


「ああ」


「性の一致は大切ですよ? 性経験が少ないのですね」


「多ければ良いというものでもあるまい?」


 少ないどころかゼロである自らの身の上を棚に上げて、随分と偉そうに語ってみせる。どこまでも不貞不貞しい童貞野郎だ。だからだろうか、底の浅さを多少のやり取りから読み取ったのだろう。少女は和気藹々と言葉を続けてきた。


「私は多いですよ? ユニークアクセスが二桁を越えます」


「それを誇れるのは若いうちだけだろう」


 現時点でユニークアクセスを数えることはおろか、ページビューさえゼロの童貞には少し悔しい。その向上を現在進行形で目指しているあたり、指摘されると少なからず意識してしまうフツメンである。


「シたいですか?」


「遠慮しておこう。|性質(たち)の悪い病気にでも罹りそうだ」


 ただ、それでも強がる童貞。


 今に口とした言い訳こそ最後の防波堤だ。


「ふふふ、でも私は同性愛者ですかラ、ヤるならこっちのオバさんです」


 何気ない調子で、肩と肩が接するほどにフランシスカへ近づく。かと思えば、その頬へ舌を這わせ始めたゴスロリ少女。ネットリと舌全体を使い面積を稼ぎ、執拗に上下させる様は、彼女が真性の同性愛者であることを伺わせた。


 口から覗く妙に長いそれは、先を数センチに渡り割られた深めのスプリットタン。左右に分かれた先が、互いに別々の動きを取り、グニグニと動いてはナメクジのように頬の上を這いずり回る。色も常人と比較して幾分か赤く色づいて思える。


 発声がおかしい理由は、この割れた舌が原因であったようだ。


「ひっ、な、なによっ、この子っ……」


 動けないビッチは舐められるがまま、恐怖と嫌悪から顔を引き攣らせる。普通じゃない感触を受けて、必死のその側に目玉を向けて、けれど、舐められる側には見えない舌の具合。二の腕にはプツプツと鳥肌が浮かび上がっている。


「今晩はたっぷリと可愛がってあげますね。愛してあげますね」


「無理よ! 絶対に無理っ! 無理無理無理っ!」


「私とお揃いにして、寝室の壁に掛けて、ウジが湧くまでお気に入りにしますから」


「掛けるってなによっ! なんなのよっ!?」


 失われた少女の腕の切断面を眺めて、うるうると眦に涙を浮かばせるフランシスカだ。ゴスロリ少女に拉致られて十数分ばかり、相手の威力的な外見も相まって、早々に我慢の限界に達したようだった。


 さめざめと涙しながら、彼女は必死の形相で西野に救済を求める。


「た、たすけてっ、お願いだから、本当、助けてっ、ね? ねぇ?」


「売女同士、馬が合うんじゃないか?」


「売女でもなんでもいいから、早くっ! もう心が挫けそうなのよぉっ!」


「この|為体(ていたらく)じゃあ、アンタの昇進もまだまだ遠そうだな」


「嫌いなのよ! まるで理解できないわ、同性愛なんて気持悪いっ……」


 目指す肩書きに対して、幾分かメンタルに難有りのフランシスカだった。普段の気丈な姿は|形(なり)を潜めて、どこまでも惨めな振る舞いである。その表情は頬をウジ虫にでも這い回られているように、緊張からヒクヒクと痙攣を繰り返す。


「男のモノなんて二度と咥えられないよう、しっかり教育してあげます。舌もお揃い、根元までキレイに割りましょう? この先で陰核を転がされると、堪らないという子は、とても多いのです」


 先割れの舌先でフランシスカの鼻穴を右と左、同時にほじくり回す。


「ひぃいいいいいっ」


 未知の感覚に肌という肌へ発疹を浮かべる金髪美女だった。


 これ以上は情報らしい情報を引き出すことも難しいだろう。一連のやり取りからゴスロリ少女の人となりを判断した西野は、両者に向けて一歩を踏み出す。このまま同所に長く留まり人目に付いては、それでまた面倒なことになる。


 また、先の交差点での一件も、被害の具合が気になる彼だった。


「その売女からは依頼を受けてしまったんでな。悪いが返して貰うぞ」


「私の邪魔をすルつもりですか?」


「わざわざ俺たちを追って来たアンタの目的は、その売女だったのか? 俺を壊したいと言っていたのは、また別の理由があるのか?」


「貴方を処分して、このオバサンを犯します。だラしない顔を見ていたら、なんだか発情してきてしまいました。どうにも切ない気分です」


「清々しいほどに自由な女だな、アンタは」


 西野以上に勝手気ままな性格のゴスロリ少女だった。


 今一度、二人の間に緊張が走る。


 少女はフランシスカの顔から舌を離すと共に、その下を数メートルばかり離れて、フツメンに向き直る。数歩ばかりを彼の側に歩んで、決着を付けるべく正面から相対する形だ。どうやら本気でオバサンを取りに来たようである。


 このタイミングこそ、ローズにとっては最高だった。


「今ね」


 状況を冷静に判断して、彼女はその身を渦中に踊らせた。


 少女の背後に位置する建物、その脇から飛び出して、フランシスカの身柄を確保する。両手を脇に回して強引に対象を抱きかかえると共に、一息の跳躍で二人もつれ合うよう、西野の傍らまで移動だった。


 同時、懐から銃を取り出した西野が、明後日な方向に向けて、立て続けに数発を撃ち放つ。パァン、パァン、パァン。発砲音が路地裏に響く。周囲を背の高いコンクリートの建物に囲まれていた為、反響、音は随分と大きく響いて聞こえた。


 一連の出来事はローズの人間離れした身体能力も手伝い、数秒と掛からず決した。


「あラ?」


 予期せぬ出来事に呆け顔となる銀髪ロリータ。


 他方、これに顔を顰めながらも、軽口など叩くのがアジアのフツメン。


「やっと出てきたか」


「あら、気付いていたの? 西野君」


「でなければ、そう易々とヤツを回収できる訳もあるまい?」


「どういうことかしら?」


「アンタと別れる機会を一つ逃した。惜しいことをした」


「……別れる?」


 彼が呟くに応じて、ローズの首に変化があった。プツリと僅かばかり皮膚が切れて、赤いものが垂れ始めた。傷口はそう深いものでもない。三、四ミリばかり肉が開いた程度だ。すぐさま再生者としての体質が反応して、断面を癒やし塞いでゆく。


 ただ、垂れてしまった血液は戻らず、服の襟口を赤く染める


「別に理解せずともいい。死にたいと言うのであれば次は止めんがな」


「……そ、そう」


 少女より発せられた目に見えない力を巡り、僅かな間に色々と駆け引きがあったようだ。今し方の発砲がその一片と思われる。気を利かせたフツメンが、ローズの飛び出すに応じて、機転を利かせた成果だった。


 打ち抜いたのは、銀髪少女が放った、目に見えない刃。


 命中は当人にして奇跡の賜。


 そして、全てを正確に理解するのは、当人とゴスロリ少女だけ。


「よく分からないけれど、お礼を言っておけば良いのかしら?」


 それでもローズは、自身の行いが自殺に等しかった点を理解した。


「別に構わない。こちらとしても利のある行いだった」


 対するフツメンはと言えば、珍しくも金髪ロリータからの言葉を素直に受け入れた。確執のある間柄ながら、今は共に協力し合うのが最善だと判断したようだ。素っ気ない態度と共に、ローズへ許容の姿勢を見せる。


 西野はフランシスカを回収するため。ローズは西野に恩を売り、カッコ良いところをアピールするため。各々、目的は異なるが目指すゴールは一緒だった。


「アンタはフランシスカを連れて逃げろ」


「西野君はどうするのかしら?」


「この女を処理する」


「……分かったわ」


 西野はローズをチラリとも見ないで受け答え。


 その視線はゴスロリ少女に注目して以後、一向に離れる様子がない。そうした彼の立ち振舞に少なからず嫉妬の炎を燃やしながらも、キチガイ女は素直に頷いて応じた。今は西野の助力となり関係改善を目指すと心に決めたようである。


「さっさと行け」


「ええ」


 フランシスカを抱いたまま、短く頷くと共に駆け足で現場を離脱する。その姿は建物の影に隠れてすぐに見えなくなった。足音もまた同様である。竹内君を置き去りとした健脚は伊達でない。人一人を抱えてもなんのその。


「……一つ確認したいのですが」


 逃げ出した金髪ロリータを眺めて、銀髪ロリータが呟いた。


「なんだ?」


「今の子は貴方のガールフレンドですか?」


「まさか? 俺と彼女では釣り合いが取れないだろう」


 いつだか志水に言われた文句を思い起こして、自虐的に語ってみせるフツメン。どうやら本当にローズは眼中にないようだ。語る調子は余裕に満ちあふれたものである。彼にとっての彼女とは、異性として意識するまでもない位置にあるらしい。


「そうなのですね……」


「気に入ったのか?」


「はい、とても気に入りました。一目惚レと言うのですよね」


「オバサンの方はいいのか?」


「この仕事、受けて良かったです。はい、とても良かったです。素晴ラしい出会いを得ルことができました。あの凜々しい横顔、ずっと見ていたいです。声もキレイでした。つま先かラ頭の天辺まで、非の打ち所があリません」


 同性愛者を自称する性癖は、決して伊達でないようだ。


 うっとりとした表情で語る姿は、嘘偽りのない欲望の垂れ流し。


「しかし、アレをアンタのお仲間にさせる訳にはいかないんでな」


「何を言っていルのですか? あんなにも美しい四肢を奪うなんて、随分と残酷なことを考えつくのですね。外道ですよ、貴方。万が一にもそんなことは許しません。でも、クンニはして欲しいです。ずっとずっと、クチュクチュクチュクチュって」


「……そうかい」


 出会って当初より一貫して言動の読めないゴスロリ少女である。


 一連の振る舞いを前としては、流石の西野も辟易だろうか。学園においては自身が同じような立ち位置にあることを、しかし、それでも当人はまるで気付いていないのだから、もしかしたら似た者同士なのかも知れない。


「貴方と遊んでいル場合ではなくなリました。こレは急務です」


「逃がすと思うか?」


「男は嫌いです。私の力に反応する男は、もっと嫌いです」


 どうやら西野に対する興味は完全に失われたようである。


「これにて失礼します」


 素っ気なく呟いて、その肉体が空高く舞い上がる。ゴスロリ衣装のフワフワでヒラヒラしたところを激しくはためかせて、発射だ。ゴウと風切り音を立てて、まるでロケットのような急上昇だった。


「っ……」


 対して今の彼には、空に飛び立つ手立てがない。


 そうこうする間に彼女の姿は、既に個人を判断することが難しいまでに遠退いていた。エーゲ海に水平線越し、延々と続く空の青、その一点に小さな点と果てていた。


 状況を立て直す為に逃げたのだろうと彼は判断する。


「……逃したか」


 追跡を断念するフツメンだった。

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