アンチテーゼ

「しっかし、爆発事故、ねえ……」


 昼食を食べ終えた舞が、ソファに座ってスマートフォンでニュースを調べながら呟いた。


「事故って、この間の薬作ってる会社の?」


 舞の太股に頭を乗せ、小説投稿サイトで小説を読んでいた心咲が、舞を見上げて聞いた。


「そ、一昨日テレビ見てたら速報やったやつ。あれ見た時に何か嫌な感じしてさ、色々調べてるんだ」

「変な感じって?」

「何か、こう……こう、ビーストが出た時に感じるような、不快感? ……みたいな感じ」


 舞は右手の掌を握ったり閉じたりしながら答えた。

 心咲は少し考えてから、


「ごめん、わからない」


 難しい表情になり、肩をすくめた。


「だよねえ。それに、何だか調べてもわからない事が多過ぎるんだよね。爆発の原因は不明だし、現場検証した関係者は『爆発よりは落雷の跡みたいだった』って」

「そんな事ってあるの?」

「当時の研究施設の周辺の天気を調べても、落雷が起こったなんて事はなかったけど……、流石に、物理的にありえるかまでは私にもわからない」


 舞が首を振った。


「何なんだろうね?」

「さあね。実際に何が起こったのかは、生き残った人達が回復しない限りわからないよ」


 舞はそう言うと、開いていたニュースサイトを閉じた。体を伸ばして、背もたれに体重を預けて天井を見上げる。


「……ビーストキメラを潰してから一週間、ビーストは一体も出現してない、かあ……」


 舞の言葉は、どこか感慨深いものだった。


「三人でショッピングとか外食とか出来たよね!」


 心咲が楽しそうに言った。


「うん、楽しかったよね。ずっと平和ってのは何だかお尻が痒くなるけど、出来ればこんな毎日が続いて欲しいかな……」


 舞がそう言って目を瞑った、その時だった。


「――――っ!?」


 突然舞が目を見開き、勢いよく体を曲げ、床に向けて咳き込んだ。


「舞ちゃん大丈夫? 唾が変な所に入ったの?」

「ち、違う……何だ、これ……!?」


 舞が息も絶え絶えといった様子で答え、


「この感じ……まさか……! 心咲ごめん、頭どかして!」

「う、うん……?」


 心咲が太股から頭をどかした直後に舞が立ち上がった。


「え、ちょっと、どこ行くの!?」


 心咲がリビングから出ていく舞を呼び止める。

 舞は振り向き、一瞬だけ躊躇してから、答える。


「この感じは……ザ・ワンだ」



 ビースト振動波を感じ取った舞が二十分程走り続けて辿り着いたのは、郊外の大きな公園だった。

 休日であるにも関わらず誰ももいない事に訝しみ、警戒しながら、舞は振動波の発生源を探り始めた。

 公園をくまなく探索した結果、舞が最後に辿り着いたのは、雑木林だった。


「……ザ・ワンの感応波が、どうして今更……?」


 舞はそう呟き、首から提げていた『エボルペンダント』を取り出してから雑木林に入った。

 落ち葉を踏み締め、所々に生えたクマザサを掻き分け、警戒しながら進む。

 暫く歩き続けた舞は、ほんの少し開けた場所で立ち止まった。


「…………どこにいる……?」


 そう呟き、周囲を見回した、その時だった。

 雑木林の奥から、一人の人間が姿を現した。


「…………え……何、で……?」


 舞が目を見開いた。

 人間は、舞がよく知る若い男――結城志郎だった。いつも着ていた白衣の代わりに、黒いレザージャケットを羽織っていた。


「シロウ……さん?」


 舞が二歩、三歩と志郎に歩み寄り、


「…………え?」


 愕然とした表情に変わり、立ち止まった。

 舞が感じ取ったビースト振動波が、志郎から発生していたからだった。

 志郎が、まるで爬虫類のように口角を吊り上げた。


「よお。会いたかったぜ、


 志郎が粘着質な口調で言った。


「な……、え……、何で……? これじゃあ、まるで……」


 舞は一歩後退り、まるで恐れるかのように、その先を言う。


!?


 舞の指摘を受け、志郎が大仰に溜め息をついた。


「まるでも何も、俺がザ・ワンだ。お前、みてくれだけで人物を特定するような奴だったのか? ん?」


 志郎――ザ・ワンは、舞を下から覗き込むように見て言った。


「…………ありえない、どうして……?」

「そうだな……、まあ、知ってる限り教えてやるよ。お前が知ってるこの男はな、もう、死んでる。あのクソ研究所の人間共に撃ち殺されたんだ」


 ザ・ワンが上機嫌になって話し始める。


「…………撃ち殺された?」

「ああそうだ。俺はその時、この死体に感染した。この間のキメラが殺された後に、俺の意識は覚醒した。んで……、この後がキモだ」


 ザ・ワンはそう言って、目を爛々と輝かせ、楽しそうに告げる。


「あのクソ研究所はな、この体を弄り回して、蘇らせようと培養した俺の細胞を移植したんだよ! わかるな? 俺の意識があって、感染してるのは死体だ。そのままあっさり乗っ取ってやったよ!」


 ザ・ワンはそう言って、実に愉快といった趣きで高笑いを始めた。


「…………お前……!」


 舞が憤怒の表情を浮かべ、唸った。


「後は爆発を起こして逃げて、お前を呼び出して今に至るって所だ。なあ……、どいつもこいつも、俺の思惑通りに動いたんだぜ! 全ては俺のための道具だって考えてたがなぁ……、最っ高だなぁ! 笑いが止まらねえ!」


 ザ・ワンは笑いを堪えて言って、更に笑い続けた。ひとしきり笑った後、舞に向けてまるで嘲るかのような表情を向ける。


「それとよぉ……、この男はな、お前にこんなプレゼントまで用意してたんだぜ?」


 そう言ってジャケットの中から引き出したのは、金色のフレームに紅い宝石が嵌め込まれたペンダントだった。


「裏に『エボルペンダントⅡ』って彫られてるなぁ。……それでよお、お前、俺と殺し合った時に、」


 ザ・ワンはそう言うと、


「こーんな事して、こう言ったよなぁ?」


 左手の親指と人指し指で紅い宝石を挟み、凶悪極まりない笑顔を浮かべた。


「変身……!」


 ザ・ワンが嘲るように言った。


『Σ』


 紅い宝石が黒く濁り、不気味な音声とコンドルの鳴き声のような禍々しい電子音が鳴り響く。

 

 直後、ザ・ワンの体を紫色のオーラが包み込み、同時に爆風と衝撃波を放った。

 ザ・ワンの体を包んでいたオーラが消滅し、その中から、背中まで伸びた長い漆黒の髪に紫色の瞳、染み一つない純白のワンピース、黒地に白い縦線が走る長ズボン、刃が付いた装甲のような白銀の長手袋と、同じく刃が付いた白銀のブーツ姿の、が姿を現した。


 舞は目を見開いて三歩後ずさり、


「…………っ、変身!」


 我に返ったかのような表情になってから、叫んだ。


 舞の全身を桃色と白のオーラが包み込み、同時に爆風が放たれた。


――Intellect and Wild!――


 『エボルペンダント』から低い音声が鳴り響いた。

 舞の体を包んでいたオーラが消滅し、その中から、肩までの長さの紅い髪に真っ赤な瞳、赤くやや丈の短いワンピース、黒い長ズボン、刃が付いた装甲のような黒い長手袋と、同じく刃が付いた黒いブーツ姿の舞が姿を現した。


 変身した舞と変身したザ・ワンは、それぞれ左半身と右半身になると、動かなくなった。それから暫く沈黙が続き、

 舞が踏み出そうとした瞬間にザ・ワンが動き出した。


「っ!」


 ほぼ同時に舞が動き出した。


 ザ・ワンが右腕を上段に振り上げ、刃を振り降ろす。

 舞は左腕を右脇に抱え込むように構え、即座に振り抜いた。刃がぶつかり合い、金属質の物体同志を打ち付けたような音が鳴り響く。

 直後、ザ・ワンが左フックを放った。

 舞はそれを右手で受け止めると、左手でザ・ワンの右手首を握り締め、上手投げの要領で力任せに投げ飛ばした。

 投げ飛ばされたザ・ワンは前方宙返りをして着地し、地面に擦るかのようなローキックを放った。舞は大きく飛び退いて回避した。


 舞は一度呼吸をして、ザ・ワンに向かって突っ込んだ。

 二度、三度と顔面を殴り、右脇腹に左フックを捩じ込み、右中段蹴りを左脇腹に打ち付ける。後ずさったザ・ワンの胸の中央に右拳を叩き込んだ。ザ・ワンが大きく後ずさった。


「…………あっ……」


 唐突に、舞が我に帰った。伸ばしきった右腕を、その先端の拳を見て、


「…………」


 右腕を引き戻して、拳を左手で庇うような仕草を行った。

 後ずさったザ・ワンは顔を上げると、鼻で笑った。


「おいおい……殴り方、忘れちまったのか? てんで痛くねぇぞ」


 そう言って、ザ・ワンが舞に近付く。


「殴るってのはなぁ……」


 再び殴りかかった舞の左拳をあっさりと払いのけると、舞の鳩尾に右フックを叩き込んだ。


「がっ、あ……!?」


 肺から空気が絞り出され、舞が濁った呻き声を上げた。


「トドメだな」


 ザ・ワンが呟き、左腕を引き絞った、その時だった。


 舞がザ・ワンの右手首を左手で握り締めた。降ろしていた右腕を、ザ・ワンの目の高さに振り上げた。

 ザ・ワンは即座に反応してそれを受け止めたが、すぐに押し込まれ始めた。


「うぅっ、ぐ、ふ、うああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 舞は激痛に喘ぎながら、渾身の力を込めて右腕を押し込み、そして、


「がああああああああああああががががががががが!?」


 舞の右腕の刃が、ザ・ワンの左目からゆっくりと差し込まれ、一部を抉り取りながら右腕が振り抜かれ、両目を切り裂いた。


 ザ・ワンが悲鳴を上げながら地面に転がった。直後に変身が解け、両目を抑えた両手の間から鮮血が溢れ出した。

 ザ・ワンが何か喚いたが、舞はそれを殆ど聞かず、その場から撤退した。



 玄関が開く音が聞こえた。

 心咲が昼寝から目を覚ました。時計を見ると、夕方に差し掛かっていた。


「舞ちゃん、帰ってきたのかな」


 心咲はそう呟くと、玄関に向かった。

 そこで目の当たりにしたのは、目を瞑り、仰向けに横たわる舞の姿だった。


「ま、舞ちゃん!? ど、どうしたの!?」


 心咲が慌てて駆け寄り側にしゃがむと、舞は咳き込んでから目をゆっくりと開けた。


「…………ああ、み、さき、か……ゲボッ!」


 舞が口から血の塊を吐き出した。


「っ!?」


 心咲は尻餅を突いて後ずさった。目を見開いた。


「あ……え、え……?」

「みさき……みさき、たのむ、おちつけ。だいじょうぶ。しなない、しなないから」


 舞が必死の形相で話しかけてきたのを見て、過呼吸になりかけていた心咲の呼吸が安定した。


「そう、だな……、と、りあえず、でんわ、した、ら、ねるから、おきたときのために、なにか、でまえを、とれるように……」

「う…………、うん!」


 心咲は答えると、リビングに出前のチラシを取りに向かった。


「…………」


 舞は腰のベルトポーチからスマートフォンを取り出すと、電話帳のアプリを開き、ミチルに電話をかけた。

 暫く待ったが、ミチルは電話に出なかった。

 舞が意識を失うまで、コール音が鳴り続けた。

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