死なせてたまるか

 舞は、心咲の家に向かって走っていた。心咲が病院を抜け出した、と市ヶ目いちがめ総合病院から連絡が届いたからだった。


 交差点の信号が赤くなり、舞は横断歩道の前で立ち止まった。


「心咲…………どうして…………?」


 舞は、肩で息をしながら呟いた。



 舞が心咲の家の住所に辿り着くと、『水野みずの』という表札が付けられた家の電気は、完全に消えていた。


「っ…………!?」


 舞は、唐突に顔をしかめた。


「ビースト……!?」


 舞は、感応波を受けて驚愕した。感応波は、心咲の家の中から発生していた。


「心咲……!」


 舞は戦慄して、心咲の家に入るべく玄関の前に立ってドアを開けようとドアノブに手をかけると、ドアは簡単に開いた。


「…………」


 舞は一度唾を飲み込むと、家の中に入った。


 玄関は、完全な暗闇に包まれていた。


 舞は瞳を赤く発光させると、廊下を進んですぐ側にあるリビングへの扉を開いた。


 リビングは閑散としていて、テーブルと、それに備え付けられた四つの椅子、ダイニングキッチンしかなかった。調度品は、一つもなかった。


「…………?」


 舞は首を傾げ、リビングの奥にある、隣接している部屋に入った。部屋の中央には、枠ごと酷く歪んだ姿見があった。


「舞ちゃん」


 不意に、舞の後ろから声が聞こえた。心咲の声だったが、酷く沈んでいた。


 舞が振り返ると、そこには、心咲が佇んでいた。

 フリルが付いた白いワンピースを着た心咲は、無表情だった。


「……心咲、どうしたの? 病院抜け出すだなんて……」


 舞はそう言って近付こうとして、


「…………!?」


 慌てて飛び退いた。


「み、心咲……!?」

「ねエ、マイちゃん、どうシてきづかなかったノ?」

「な、何が……?」

『ワタしがシんでいることを』


 心咲がそう言った瞬間、心咲とファウストの姿が交互に点滅した。


『私は死んでいる。私は人形。私は……ファウスト』


 心咲が言った瞬間、赤紫色の光が心咲を包み込んだ。直後、光が霧散して、その中から、三本の角が伸びる銀色の仮面を被り、ピエロを彷彿とさせるドレスを着こなした少女――ファウストが姿を現した。


「み、心咲!?」

『お前が知る心咲はもういない。心咲は私だ』


 舞は、ゆっくりと後ずさり、姿見を踏み割った。


「そんな……そんな……う、嘘だ……。嘘だぁ――――――――――――――――――――っ!!」


 その直後、舞は絶叫した。


 ファウストは両腕を広げ、禍々しい光の柱を立ち上らせた。家を包み込む形でダークフィールドの展開を始めた。


「嘘だ……そんなの、そんなの嘘だっ!! 変身っ!!」


 舞は『エボルペンダント』の蒼い宝石を握り締め、叫ぶように言った。

 舞の全身を桃色と白のオーラが包み込み、同時に爆風が広がり、リビングからテラスと庭に繋がるガラス戸を全て叩き割った。


『Intellect and Wild!』


 男声のような低い音声が流れ、舞を包んでいたオーラが消滅した。オーラの中から、赤と黒を基調とした姿の舞が現れた。


 その瞬間、ダークフィールドが家を完全に包み込み、禍々しい光が閃き――。



 心咲の家の前に自転車で走ってきた椋は、その光景に驚愕していた。


 禍々しい光の中から、舞の絶叫が聞こえてきた。


「ま、舞ちゃん!? あの中にいるの!?」


 椋は叫ぶように言った。


「……ええい、女は度胸っ!! ……この場合は無謀だろうけど!!」


 椋はそう言うと、完全に形成される寸前のダークフィールドに飛び込んだ。

 直後、ダークフィールドの形成が完了し、舞、ファウストと化した心咲、椋がいる心咲の家は、世界から一時的に消滅した。



「心咲、心咲!! 嫌だよ、戦いたくないよ!!」


 悪夢のように歪んだ部屋の中で、舞は、ファウストと組み合いながら言った。


『五月蝿い、気付かないでいた時は容赦なく戦っていた癖に、今更そんな事言うなっ!!』


 ファウストはそう言うと、舞と自身の間に左足を差し込んで蹴り飛ばした。


「ぐあっ……!」


 舞は地面を転がったが、それでも立ち上がってファウストに近付き、肩を揺さぶって説得を続ける。


「それは完全に、気付かなかった私の落ち度だよ!! だからもう止めよう、私、ちゃんと謝りたいんだよ!!」

『五月蝿い、死ねっ!!』


 ファウストは両手首を組む形で両腕を突き出した。


『Shadow shooting!』


 舞に密着させ、赤紫色の禍々しい光線が放った。


「がああああぁっ!?」


 舞は吹き飛ばされ、赤茶けた土に覆われた庭に出て、地面を転がった。

 それと同時に、ワンピースの胸元を飾る蒼い宝石が、心臓の鼓動のような音を立てて赤く点滅を始めた。


「がっ、うう……」

『どうした、戦わないのか? いつものように、殺す気で来ないのか?』


 ファウストは舞を見下ろして言った。


「…………わけ、ないだろ」

『ああ?』

「親友で、半ば恋人の心咲の体なんだぞ? こんな、空っぽで、名前すら借り物の、偽物の私の事を、正体をさらしても大好きだって言って、慕ってくれる相手なんだぞ? ……そんな事、出来る訳ないじゃないか……」

『そうか、なら――』


 ファウストが呆れ気味に言いながら、両腕を動かし始めて、


「舞ちゃんっ!! 心咲ちゃんっ!!」


 唐突に、椋の声が響いた。

 リビングに入った椋は、物陰から一部始終を見ていた。舞の告白を聞いて、思わず叫んでいた。


『……何故ここに人間が――』

「心咲ちゃん! あんた、好きな人がもう止めようって言ってるのに、まだ続けるの!?」

『…………』

「今喋ってるあんたは誰だか知らないけど、あれでしょ? アニメとかでいう『乗っ取り』みたいな事してるんでしょ!? だったら心咲ちゃんから出てってよ! 舞ちゃんは、心咲ちゃんの恋人なんだぞ!?」

『…………なっ、があっ!?』


 椋の言葉を聞いて、突然苦しみ出した。


「心咲!?」「心咲ちゃん!?」

『があああああっ、ああああ……』


 ファウストは頭を抱えて苦しみ、そして、


「…………まい、ちゃん……むっちゃん…… 」


 心咲の声で、呻くように言った。被っていた仮面の右半分が割れ、心咲の顔が露出した。その瞳は、涙に濡れていた。


「心咲、心咲なんだね!? 元に戻ったんだね!?」

「舞ちゃん、むっちゃん、わ、私……」


 心咲が舞に歩み寄ろうとした、その時だった。


 舞の後方三メートルの位置に突如空間に闇が滲み出し、その中から、鼠の皮を剥ぎ、爪と歯を肥大化させて人間大にしたような怪物――ネズミビーストが姿を現した。


「いっ、いや、いやああ……!!」


 心咲はそれを見て、悲鳴を上げた。


「っ!!」


 舞は振り向いてネズミビーストを確認すると、慌てて立ち上がり、心咲を庇うように後ずさった。


 ネズミビーストは咆哮し、猛然と舞に襲いかかった。


「心咲、椋の所まで!!」


 そう言って舞は必死に応戦するが、防戦一方になった。


「ぐっ……!」


 舞は、ネズミビーストに爪で殴られ、地面に倒れ込んだ。

 ネズミビーストは爪を振り上げると、舞目掛けて振り下ろして、


「がっ……」


 心咲が、五体を晒して舞を庇った。


「み、心咲……?」


 爪は心咲の腹に深々と突き刺さり、そこから、黄金色に光輝く液体が漏れ出ていた。

 ネズミビーストが爪を引き抜くと、腹から黄金色に光輝く液体が勢いよく吹き出し、心咲は地面に倒れた。


「あ……あ……」


 舞は地面に伏しながら、言葉にならない声を上げたが、


「…………!!」


 ネズミビーストの勝ち誇ったような鳴き声で我に返った。立ち上がり、再び振り下ろされた爪を両腕を交差させて受け止め、弾き飛ばした。


「あぁっ!」


 右前蹴りを叩き込み、ネズミビーストを後退させた。


「らあぁっ!」


 目の前で倒れている心咲を飛び越え、その勢いを利用してネズミビーストに渾身の右ストレートを叩き込み、三メートル程吹き飛ばした。


「っ!!」


 舞はその隙を突いて、両手を左腰の位置で構えた。両手の間を蒼白い電流が走った。


「はあああ……ああああああああああ!!」

『Cross shooting!』


 舞は叫びながら、右腕を垂直に、左腕を水平にして、手首の位置で組んだ。

 垂直に伸ばした右手の側面から、夕日色に輝くの光線が放たれ、ネズミビーストに命中した。直後、ネズミビーストは大爆発を起こした。

 爆煙が晴れると同時に、ダークフィールドは崩壊した。



「嫌だよ……死なないで、お願い、死なないで!」


 舞は心咲を抱き寄せ、涙を流しながら言った。その側には椋が立ち、同じように涙を流していた。


「……泣か、ないで……私は、だいぶ前に、死んでる、から……」

「嫌だよ!! そんなの関係ない、こうして話してるじゃない!」


 椋は、首を振りながら言った。

 心咲は、舞の頬にそっと手を添えて、涙を拭った。


「私、嬉しかった……。毎日、楽しかった……」


 心咲の体が黄金色に光始め、光の粒子が空気中に散らばり始めた。心咲は、そっと目を閉じた。

 

「そんな……! 嫌だよ、消えないでよ! 心咲!!」

「舞ちゃん、むっちゃん、ありが、と……」


 心咲の姿が霧散しかけた、その時だった。

 舞の涙が一滴、心咲の頬に落ちた。


 その涙を起点にして、黄金色の光を白い光が塗り返し、心咲の体を包み込んだ。

 

「えっ……!?」「何っ……!?」


 舞と椋が驚く中、光が収まり、同時に、黄金色の光も消えた。

 心咲の両目の睫毛まつげが震え、ゆっくりとまぶたを持ち上げた。


「……あれ? 私……」


 心咲は、キョトンとした様子で言った。


「……生きてる」


 舞は、声を震わせて言って、


「やった――――!! 生きてる、生きてるよ――――!!」


 涙声で叫んで、心咲を抱きすくめた。


「よかった……! よかった……!」


 椋もそう言って、舞と心咲に抱きついた。


「……! あ、ああああああああああああああああああああ! うわあああああああああああああああああああああ!!」


 心咲は遅まきながら自分が生きてる事に気付いて、号泣した。


 三人は抱き合い、暫くそうしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る