涙?

「よーし、お疲れさん」


森国の声が響いたが、ほとんどの選手は疲労からグラウンド近くの道路に座り込んでいた。一番最後にゴールした栃谷に至ってはアスファルトの上で寝転んだまま、呼吸器意外はピクリとも動いていない。


栃谷が声を振り絞る。


「み、水が欲しい…」


隣でストレッチをしていた相沢は「大丈夫か?」と問い掛けるが、「水」以外の単語は発せられそうにない。

大丈夫そうに見えない事もないが、大丈夫じゃなさそうに見える。とりあえず森国の判断を仰ごうと、この事態を伝えることにした。


「監督。この人、栃谷さん…でしたっけ、が水をくれって言ってるんですけど」


少し慌てていたせいもあって、変な日本語になってしまった事に、編集者の癖で相沢は自分で気づいたが、森国には意味がきちんと通じたようだ。


「そうか、すまないが相沢、水を持ってきてやってくれな…」

「いいですよ!ほっときましょうよ!」


森国の言葉が急に遮られた。相沢は思わず声のした方を見やる。外野手の鮫島だった。


少し瘦せ型に見えるが、ユニフォームの上からでもナチュラルな筋肉の形が感じ取れる。細い目、高い鼻筋が若干、クールな印象を感じさせるが、その中身はすぐに感情を表に出してしまうタイプらしい。


栃谷と同じ年のドラフト1位で入団した。肩の強さと足の速さが評価され、打撃面でも成長が期待されている選手だ。


「おい、デブ!お前さ、甘えてんじゃねえよ!監督も、なんでこんなやつ、一軍に残しとくんすか?打ってもダメ、守ってもダメ、もちろん走塁もダメ!訳わかんねえっすよ!さっさと二軍に行けよ!」


「おい!」と相沢は思わず口走り、栃谷の代わりに反論しそうになった。だが森国が右腕で相沢の動きを制し、鮫島の方を向く。


「鮫島、もうちょっと栃谷に気を遣ってやれないのか?」


その言葉で鮫島の気持ちにはさらに火が点いてしまったらしく、ブルブルと震えながら怒りを露わにした。


「気を遣えって、どういう事ですか?俺たちはプロでしょう。結果も出せない奴を一軍に置いておいたってチームの勝ちには繋がりませんよね?こいつの去年の成績は監督が一番よく知ってるでしょ?打率1割2分、ホームラン0。そいつを温かく見守る事が気を遣うって事なんですか?俺には分かりませんね!」


鮫島は余程、栃谷の事を嫌っているのか、やけに刺々しい言い方だった。森国が言葉を発する前に、鮫島はクルリと踵を返してグラウンドの中へと歩いて行ってしまった。


相沢は再び、栃谷の様子を確認する。呼吸は少し整いつつあるようだが、依然として身体を起こす力までは無いようだった。


「とにかく、水を取ってきます」


相沢はグラウンドのロッカールームにあったクーラーボックスから、ペットボトルの水を何本か両手で抱えて、栃谷たちの元へ戻った。


そのうちの一本のキャップを外し、栃谷に「ほら、水だぞ」と手渡す。


栃谷はゆっくりとその巨体を持ち上げ、何とか上半身だけを起こした。そして、相沢の手から受け取った水を喉に流し込む。


「あ、ありがとう」


相沢の目には、何故か栃谷の目に涙が滲んでいるように見えた。もちろん汗だくなのだから、それが目に入ったのかもしれない。そう考えるのが自然だし、普通ならそんな所に気付く事もないだろう。


ただ、相沢には栃谷の表情が何処となく悲しげに見えた。それだからこそ、泣いているように見えたのだろうか。

相沢は栃谷の事が気になり、その晩、栃谷を食事に誘う事にしたのだった。

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