キャンプイン

仮契約で森国は相沢に対して、このような条件を示した。

契約金 1500万円、年俸400万円、出来高5000万円。


「監督、これはちょっと多すぎじゃないですか?」

戸惑う相沢に森国は平然とした顔で横に首を振る。


「いや、少しも多くはないです。むしろ少ないくらいだ。出来高については、君には1億円でも良いと思ってたくらいですから。ただ、新人の出来高は最高で5000万円なので。そこは申し訳なく思っています」


森国からは、指名の時に電話で今シーズンの構想をすでに聞いていた。確かに自分の役割は大きいとも自覚している。ただ、それにしても金額が巨額すぎると、相沢は感じていた。


「監督のご期待はとてもありがたいですし、ここまでの評価をしてくださっている事には、感謝の言葉しかありません。ただ、そこまでの期待に添えるかどうかはやってみないと分かりませんよ」


そう伝えても、森国の意思は変わらない。


「それじゃあ、実際にやってみてください。あなたは、あなたにできる事を、普通にやれば良いだけなんです。そこで結果が出なければ、私が責任を取れば良いだけですから。なぁに、簡単なことですよ。監督を辞めればいいだけです」


「簡単に言いますね」

そう言いながらも、相沢はむしろ清々しささえ感じ取れた。森国の言葉はきっと本心から来ているものだと、何となく分かったからだ。


「私には監督に未練などありませんからね。ただ、見たいだけです」


「見たい?何をです?」


「優勝など不可能だと言われてきたチームが、頂点に立つところを。ただ、純粋にそれだけなんです。もし、これが関東ダイヤモンズや大阪スラッガーズだったら、私は監督を引き受けていませんから」


そう話す森国を眺めていて、相沢はますます、目の前の森国という男が好きになっていた。



時は経ち、二月。中国レッドスターズは沖縄キャンプの初日を迎えた。相沢は、森国の指示で、これまで一切の外部との接触を絶っていた。二十八歳の新人選手ということで、ドラフト会議直後は取材の申し込みが殺到したらしいが、球団側から一切の取材をシャットアウトした。仮契約後からは家族にも「場所は言えないが、自主トレのために暫く留守にする」とだけ言って、すぐに四国に渡った。極秘に自主トレをしていたため、流石のマスコミも嗅ぎつけることが出来なかったようだ。


一軍キャンプの会場となるグラウンドに足を踏み入れた相沢の背中には、14の番号があった。これはドラフト8位にしては破格の扱いと言って良い。確かに相沢は14の背番号を希望した。だが、流石に通るとは思わなかった。あの、太平洋戦争で戦死した伝説の投手、沢村栄治と同じ背番号なのだから。それでも球団側は二つ返事でオーケーを出した。一番驚いたのが相沢本人だったのは言うまでもない。


「お前が相沢か?坂之上だ、よろしくな」


ベンチで声を掛けてきたのは、レッドスターズの背番号18のエース、坂之上安彦だった。坂之上は昨年、チーム最多の15勝を挙げている。昨シーズン後半にに肘を故障していなければ、もっと勝ち星は増えていたはずだ。レッドスターズは坂之上で持っていると言っても過言ではない。もし、坂之上が居なければもっと悲惨な結果となっていただろう。


「坂之上さん、これからお世話になります。新人の相沢です。お会い出来て感激です」


坂之上は相沢の顔を見ながらけたけたと笑い声を上げる。


「おいおい、同じチームの仲間に会うだけで感激するなんて、普通はしないぞ。今日からは一緒に戦っていくんだ。何か分からないことがあったら遠慮なく聞いてくれ」



坂之上はそう言って、早速グラウンドに入ると、ウォームアップを始めた。坂之上はその穏やかな話し方にも、風格があった。「流石だな」と相沢が感心していると、その後からも続々と選手達がグラウンドに姿を表す。


テレビでこれまで見ていた選手達が目の前にいるのだから、それは少なからず興奮する。ただ皆、坂之上とは少し雰囲気が違う。何というか「覇気」が無いと言うのだろうか。

ある選手は、昨夜のキャバクラでの一コマを思い出しながら表情を緩め、またある選手は、ゴルフのスコアが上がらないと嘆いている。またまたある選手は、チームメートと競馬の予想について話し込んでいた。


確かに、このチームでは勝てない。野球に向き合おうとする姿勢が足りないと感じ、相沢は悲しくなった。森国はこの状況をどう打破するのだろうかと思っていたが、キャンプインの挨拶でとんでもないことを口にした。


「これからようやくキャンプだ。皆、張り切っていこうじゃないか。という事で、今から走ろう。この球場から42.195キロのフルマラソンだ。嫌なやつは遠慮なく言ってくれ」


ある選手が、その言葉に反抗した。


「ちょ、ちょっと。何でフルマラソンを走る必要があるんですか?俺たちはマラソン選手じゃないんですよ?そんな事をする意味が分かんないですよ」


森国は穏やかな表情のまま、冷徹に言う。


「そうか。分かった。お前は荷物をまとめろ。今から二軍だ」


相沢は思った。森国は本気でチームを改革しようとしていると。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る