壁ドンは、される方になりたいです

山本 風碧

憧れの壁ドン

「もう、逃さないよ? これからは僕しか視界に入れちゃ、ダメだ」

 見下ろすと、暗闇の中、微かな照明が女の子の目をきらきらと輝かせた。

 こんなサービス必要ないだろうっていうような愛らしい子だ。だとしても、今日何人目だろうかとうんざりしそう――いやしていると、どこからかピピっという小さな音がして、「終了でーす」という脳天気な声が響くとともに視界が明るくなった。きゃあっという声に再び俯くと、顔を赤らめた女の子が「ありがとうございました!」と興奮した声を上げて、逃げるようにブースから飛び出していく。

「……つ か れ た あ」

 思わず本音が洩れると、上から不平と溜息が一斉に振りかかる。

「もっと愛想よくしなさいよ!」

 これは友人その一の理沙りさ

「ええ? でも、その不機嫌そうな気だるげな顔がまたいいと思うけど!」

 うっとりと目を細めるのは、友人その二の里美さとみだ。

「――ねえ、売上多めに還元してよ?」

 椅子に登っているのだろう。頭上からブースを見下ろす友人たちを恨めしげに見上げると要望を出す。カフェの目玉商品を一手に担っているのだ。当然の報酬だと思う。だが、

「どうせ打ち上げで一番大量に食べるんだから、これは正当な労働だと思うけど」

 理沙はニンマリと笑って要望を跳ね除けた。

「クラスで多数決で決まったんだからしょうがないでしょ」

 里美もうんうんと頷く。まるで従わないこちらが悪いような言いようだ。今考えると、最初に押し切られたのがまずかったんだろうと思う。泣いて嫌がれば聞いてくれただろうかとも思うけれど、泣くのもまた面倒くさいし、何より似合わないのは自覚している。

「……多数決って、マイノリティな人間にとってはほんと最悪なシステムだよね」

 クラスの女子全員を敵に回すわけに行かず、はああとため息をつくと、理沙が励ますように言った。

「がんばって稼いでね。あんの壁ドンに店の売上がかかってんだからね! ほら、あとでケーキでも何でも奢ってあげるから」

「太ると困るんだけど。もうあんまり運動してないから、横に肉がつく」

 訴えると、里美が「それは嫌だあ」とげんなりとした顔をする。だが理沙は、

「いやあ、大丈夫。ずっと観察してるけど、上にしか伸びてないって。いいよねえ、まだ成長期で」と太鼓判を押した。

「杏は顔もいいし、モテモテだしね。いいなあ」

 里美が自分のお腹を掴みながら言うが、顔をしかめて否定する。

「全然良くない。女の子にもてても嬉しくないし――っていうか、里美、あんたほんとにモテて羨ましいか?」

「あぁ……ごめん、やっぱりいいや」

 里美はあっさり意見を引っ込めた。

 さすがにむっとしかけたとき、理沙がパンと手を打った。

「はい! 次の子くるよお!」

 再びお客さんの女の子がブースに現れて、おしゃべりを打ち切る。

 頑張ってね、お願いね、ケーキだよケーキと二人が幕の裏に消える。

「……はいはい、がんばります」

 そう呟きつつも、私は小さく願った。

「どうせなら、壁ドンする方じゃなくって、される方になりたい」


 *


 大学祭でクラスの催し物を決めようとした時のこと。誰が言い出したのか、流行りに乗って『壁ドンカフェ』をやらないかということになったのだった。

 私が通うのは地方の小さな女子大学。男子学生がいないのだから、普通なら持ち上がることはない企画だ。

 だけど身長175センチ、元バレー部という立派な体格と中性的な顔立ちをもつ私に白羽の矢が立ったのだった。

 たしかにふざけてクラスメイトと遊んだことはあるけれど、商売にはならんだろうと高をくくっていたのだが……実際当日になってみると想像以上の大盛況だったのだった。

「お腹いっぱいにはなったけどさ。最悪すぎるよ」

 打ち上げから帰って来て、風呂あがりに自宅の居間でビールを飲む。オヤジ臭いと思いつつもくつろいでいると、兄、智春ともはるとその友人が部屋から出てきた。

「あ、先輩、いらっしゃーい」

 顔を見て来客が誰かに気づくと、私は気軽に挨拶をする。

 兄はすぐに飲み物をとりにキッチンに行ったが、

「杏ちゃん、ご機嫌斜めみたいだな。どうした?」

 兄の友人は私の声を拾っていたのだろう。その場にとどまって声をかけた。

 二つ上の兄の幼馴染で親友である佐藤明臣さとうあきおみ。私は小中高と同じ学校、同じバレー部(といっても男子バレーと女子バレーで厳密には違うが)で、いろいろとお世話になった。さらに幼稚園も同じという兄とは同じ地元の大学に進学したせいで、未だに仲がいい。幼い頃からつるんでいたけれど、今でもたまに泊まりに来たりする家族同然の仲。昔ほど頻繁でないのは、彼女ができたからだと兄が言っていた。聞いた時のことを思いだしたとたん、胸がずきんと痛む。

「で、最悪って?」

 頭を打たないようにと鴨居に手を引っ掛けて、居間を覗きこむ。元バレー部だけあって背も高い。本人はそれでも低いほうだと言うけれど、確か190センチ近くあるはずだった。

 かっこいいなあ、そんなふうに見とれてしまってもしょうがないと思う。まず男の人を見上げるという経験があまりないのだ。

 先輩はなにかと華やかな兄の傍にいつもいたせいであまり目立たなかったけれど、兄よりも絶対かっこいいと私は思っている。

 バレー一筋で、寡黙で厳しい先輩というイメージしかなかった。でも引退、そして大学進学と同時に短かった髪も伸ばし始めて、雰囲気が柔らかくなった。

 そのころから、なんとなく異性として意識し始めた。気の置けない関係が気まずくなるのは嫌だから絶対にばれないようにしているけれど。

「ああー、今日学祭だったんですけど、酷いんですよ。壁ドンカフェとかやっちゃって」

「壁ドンって……あ、前に流行語大賞かなんかにノミネートされてたっけ」

「それですそれです。今はもっと色々あるんですけど、やっぱり元祖って感じなんですよね」

 私が頷くと、先輩はふうんと頷きかけたけれど、途中で首を傾げた。

「あれ、杏ちゃん、女子大だよねたしか」

「おかしいと思いますよねー? それが――」

 説明しようとしたところで、キッチンから兄がにまにまとした笑顔を覗かせる。

「あー、杏がやったんだろそれ」

 私は勢いをそがれてがっくりと項垂れる。こういう風に、一番美味しいところを持っていくのが兄だった。

「こいつ昔から女子にもてるんだよなー。バレンタインとか、おれよりチョコもらってきてて凹んだこともあったけど……まあおれの妹だからしょうがねえよな」

 消したい過去を持ちだされて私が睨むと、ニヤニヤしていた兄は、冷蔵庫を覗きこむなりすっと真面目な顔になる。

「すまん、ビール切らしてた――っていうか、杏が飲んだからなくなった」

 と逆に私の手のビールを睨む。

 そして俺様に変貌した兄は無駄にいい声で一言。

「買ってこい」

 シスコンではない兄は、こうして昔から妹をパシリに使うのだ。横暴な兄に「はいはい、すみませんねえ」可愛くない妹だからしかたがないと私は立ち上がる。

 だが、「一人じゃ危ないよ。コンビニだろ? 俺も行く」苦笑いの先輩は同行を申し出る。

「明臣――おまえも?」

 たぶん自分で一緒にいくつもりだったのだろう。言い出した手前引込みがつかなくなったのか、兄は黙って私たちを見送った。


 月明かりがアスファルトを照らす。先輩と二人きりなど久しぶりだと思うと、急に緊張して言葉が少なくなった。

 いつも何を話していたっけ? 考えれば考えるほどわからなくなる。言葉が張り付いて、口の中が乾いてくる。

 公園に差し掛かった時、

「そういや、さっきの続き。壁ドンカフェってどんなことしたの?」

 話題をふられてホッとする。あまり好ましい話題ではないと思ったが、気まずいよりましだと思って口を開く。

「専用ブースを作ってですね、女の子を壁に追い詰めるんです。で、その時に言う台詞がとにかく酷いんですよ……」

 思い出してげんなりする。

「例えば?」

「ええと、『俺のこと好きって言ってみな』とか『こんな隙みせんなよ』とか『もう逃さないよお姫様』とか」

 恥ずかしいので棒読みである。

 言っている間先輩がげらげらと笑っているのが救いだった。

「そういうの、女子の憧れなのかなあ」

「まあ、シチュエーションがいいんでしょうね、イケメンに強引に迫られるっていう」

「杏ちゃんもそう?」

 じっと見つめられて、どくんと胸が高鳴った。

「まー……でもこの身長だと私が迫ってる方になりますし。なんかもう諦めてます」

 苦笑いしたその時だった。

 先輩が後ろをちらりと気にした後、「近道しよう」と公園に足を踏み入れる。ついていった先の木陰で、突如目の前ににゅっと腕が突き出される。びっくりして見上げると先輩が私のことを見下ろしていた。

「杏ちゃん、さ。おれのこと、どう思ってる?」

 時間と呼吸が同時に止まったよう。

 長いまつげが影を落とす先輩の目は、いつもとは比べ物にならないくらいに色っぽくて直視できないくらいだった。

 でもうつむけば、きっとおでこが先輩の顎に触れてしまう。

「は、あの――」

 落ち着け。落ち着けと自分に言い聞かせて、状況を把握しようとする。

 やがて、壁ドンカフェの台詞の一つにそんなのがあった気がする――と思い当たったのは少しして冷静さをわずかに取り戻してからだった。

 ああそうか、冗談。

 ホッとしつつもまさかこんな冗談を先輩がやるとは思わなくて、がっかりもした。それでも、空気を読まずに真顔で見つめ返してしまったことを悔いて謝ろうとしたが、ふと思いついてまじまじと観察する。

 肩幅、広い。腕もすごく引き締まってて、逃げられそうにない。ああ、される側からは、こんなふうに見えるんだ。

 生まれて初めての壁ドン、こんな機会は二度とないと思って必死になる私を先輩は怪訝そうに見つめた。

「杏ちゃん?」

「あ、ああ、あの、先輩、すごく素敵です」

 そう言うと頼りない月光でも先輩の顔がかあっと赤くなるのが分かる。誤解を招く言い方だったかと私は焦る。

「ええと、ほら、これくらい素敵だったら女の子はみんなときめくんだろうなって。私もお手本にしないと」

 慌てて追加すると、先輩の眉が一気に下がった。

「え? それって壁ドンの? ――いや、あの、ええと」

 先輩はなぜか酷く焦って私を囲っていた腕を取りはらう。

 だが、直後、もう一度先輩はゆっくりと私の頬の横に大きな手のひらを丁寧に置いた。

「あれ、先輩? もうワンパターンやってくれるんですか?」

 通せんぼしている腕を不思議に思って問いかけると、「ちがう」先輩は真剣な顔で、頭を横に振る。そして低く甘い声で耳元で囁いた。

「おれは、杏ちゃんが、好きだ。ずっと好きだった。言えるチャンス、ずっと狙ってたけど、智が邪魔でさ」

 あまりにあり得ない展開に、何の冗談だろうと私はぎょっとする。

「え、え、でも、先輩彼女がいるって」「誰がそんなこと」

 先輩は心底驚いたらしく、目を丸くする。

「兄ですけど……彼女ができたから遊びに来なくなったって」

 思い出して声が小さくなると、先輩は小さく舌打ちした。

「……彼女ができたのは智のほうで、だからおれ、遊んでもらえなくなったの。っていうかアイツ、おれの気持ちに気づいて妨害してたんだと思うけど……」

 落ち着かなそうに先輩は辺りを見回した。

「撒いてきたつもりなんだけど、落ち着かないな。おれ、でかいからすぐ見つかっちまう」

 そう言うと、先輩は木の影に私を押し込めるように身を潜める。さっきよりも近い距離の壁ドンに息が止まりそうだった。

 足音が近づいてきたかと思うと、私と先輩の脇を駆け抜けていく。「アン! アキ!? どこだ」兄の声が私たちの名を呼び、先輩が焦れたように言う。

「で、おれ、早く答え聞きたいんだけど。返事次第ではこの腕、どうするか考えないといけないし」

 出来るなら、このまま背中に回したいんだけど? 困ったように先輩に見つめられ、私は真っ赤になりながらも答えを告げる。

「わ、私もずっと好きで――」

 すると先輩は全部言い終わる前に、先の宣言通りに背中に手を回して、私の言葉を奪ったのだった。

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