第39話「シークレット・モーニング」

 布団に入って三人で話していたら、あっという間に睡魔に襲われた。

 なんだか男子たちの部屋からは、妙な笑い声や奇声が聴こえてた気がする。夜ふかししてゲームをやってたみたいだが、優輝ユウキには少し心配である。

 でも、男の子同士で仲がいいのは結構なことだ。

 朔也サクヤなら男友達として、シイナとこれからも仲良くしてくれるだろう。

 そうして優輝は、人の家とは思えぬほどにぐっすりと熟睡してしまったのだった。


「ん……あ、あれ? もう、朝かぁ……」


 気付けば、外ではすずめさえずっていた。

 リビングに川の字で敷いた布団ふとんの真ん中で、優輝は目が覚めた。

 楽しい時間はあっという間、そんなありきたりな言葉が酷く実感である。そして、この後身支度みじたくを整えて朝食を食べたら、制服姿で学校に真っ直ぐ行くのだ。

 来年はもう、三年生……こんな贅沢な遊びもできないだろう。

 平日なんて今以上に勉強漬けで、そして。

 そう、そして……来年は多分、シイナはもう本当に家族になってしまってるのだ。


「ま、それもいいけどね。さて……あれっ? えっと、リャンホア……?」


 となりの布団で寝ていた、リャンホアの姿がない。

 逆に、逆隣では千咲チサキが毛布を蹴っ飛ばしてのあられもない寝相を披露していた。

 実に豪快というか、朔也には見せてはいけない姿をしている。

 とりあえずお腹を冷やさないように、そっと毛布をかけてやった。そうして布団を這い出ると、なにやらキッチンの方から話し声がする。

 朝から妙にハイテンションで、どうやら会話が弾んでいるようだ。


「リャンホア? あと、朔也サクヤかな……おはよ――」


 思わず優輝は声を飲み込んだ。

 そのままつい、壁に隠れてしまう。

 キッチンには、リャンホアが立っている。律儀に朝食を用意してくれてるようだが、その隣に……すぐ隣に、シイナの姿があった。

 親しい姉と妹みたいで、それ以上に見えた。

 そう思ったらつい、優輝は隠れてしまったのだ。

 ちらりと盗み見れば、二人共笑顔である。


「そうそう、シイナ! 凄くセンスいいアル! 特級厨師とっきゅうちゅうし!おう!も夢じゃないアルヨ」

「そ、そうかなあ。でも、お料理はボク、いつか習いたいなって思ってたんだ。リャンホアさんみたいに優しいコーチで、嬉しいなあ」

「アイヤ、リャンホアでいいアル。呼び捨てるヨロシ。ワタシもシイナて呼ぶヨー?」

「うんっ!」

「じゃあ、水餃子すいぎょうざあんを造ってくアル。奮発して海老エビを入れちゃうアルヨー!」


 すらりと背が高くて、長い黒髪がれたようにつやめいていた。

 背格好こそリャンホアは優輝と同じくらいだが、その容姿はまるで違う。黙っていればリャンホアは、見目麗みめうるわしい美少女だ。それに、話せば快活で闊達かったつ、本当にほがらかな性格をしている。

 そんなリャンホアが今、シイナと驚くほどに近い。

 すぐ側でリャンホアを見上げる笑顔が、とてもまぶしかった。

 いつも自分に向けられていた、それはあどけなく無垢むくなシイナの喜びの表情だった。


「……はっ! い、いけない、それはいけない。私はなにを……そういうのは、ナシで」


 隠れる必要なんてなかったし、後ろめたいこともない。

 兄に新たな出会いがあったって、構わない。

 それどころか、祝福してしかるべきではないだろうか?

 それが妹、そして兄妹きょうだいというものだろう。

 頭ではわかっている、理解している。

 しかし、その理屈はなかなか胸の奥までは降りてきてくれない。そして、黒いもやが胸の底から全身へと広がりそうになるのだ。

 だが、そんな重苦しい自分を優輝は影に留める。

 日の当たる場所では今、二人の少年少女が楽しく朝食を作っているのだ。


「それにしても、昨日は楽しかったアル。ワタシ、日本で、やてーく自信、少し出たアルヨ」

「よかったぁ。大丈夫、大変なこともあるかもだけど、みんな優しい人ばかりだから」

「それに、それに……」

「えっ? リャ、リャンホア?」


 不意にリャンホアが、感極まったように言葉を詰まらせた。

 思わず不安そうになったシイナの、その切実な横顔を今は直視できない優輝。

 そんな顔、見せないで。

 私以外に見せないで。

 つい、そう思う気持ちを抑えられなかった。

 そして、優輝のんだ苦悩をよそにリャンホアは感極まって叫んだ。


「それにっ! これでゲームもアニメもやりたい放題アル! 日本、とても素晴らしいネー!」

「えっと、そうなの?」

「そうアル! 母国では表現の自由、とても規制が厳しいアルヨ」

「あ、そっかあ」

「それに……それに、アルヨ? ワタシ、夢見てたアル」


 そう言って、うっそりとリャンホアは天をあおいだ。

 その間も、シイナはきょとんとしながら野菜をきざんでいる。


「ワタシ、自由な恋愛したいアルヨ……」

「そうなんだあ。って、あっちの国は駄目なの?」

「今はそうでもないアル……でも、まだまだ難しいネ。ワタシには、特に」


 優輝は新聞やテレビのニュースを見る程度で、リャンホアの故郷をあまり良く知らない。優輝たちが住む日本とは、文化や風習、なにより政治体系が全く違う国だ。同時にアジアの大先輩でもあり、経済や芸能の交流は非常に盛んである。

 大陸から来た少女、リャンホアから見た故国はどうなのだろうか?

 どうやら、あまりいいものじゃないからこそ、日本留学に来たような口ぶりだ。

 それよりも、優輝はやっぱり二人の近さが気になる。


「うう、リャンホアはアニメや漫画に詳しそうだし……思えば、私はそういうの全然駄目だった。シイナの話を聞いて、オススメを読んだり見たりするだけで」


 朔也とは旧知の中で、理解も免疫もあるのだが、やはり見る目の鋭さや深さが違う。

 でも、趣味の話をしてる時のシイナの、キラキラとしたひとみが好きだった。

 もし、シイナと出会わなかったら……優輝はずっと、孤高の王子様としてそつなく毎日を生きていただろう。つまらない訳ではないし、母と同じ警察官という夢も今よりはっきり意識してただろう。

 だが、優輝は出会ってしまった。

 知ってしまったのだ。

 自分を女の子として見てくれる、女の子にしか見えない少年のことを。

 そんな優輝をよそに、リャンホアはマイペースで話を進める。


「ワタシ、恋したいよ……漫画やアニメみたいな、キラキラじゃなくていいアル。夢中になれる、ほんとにおもえる……ワタシがしても許される恋、したいアルヨ」

「リャンホア……それはね、大丈夫。誰もリャンホアをとがめたりしないよ? だって、ボクみたいな子でも平気なんだから」

「シイナ……」

「ボク、どうしたって心は女の子なんだ。でも、同時にちゃんと男の子でもあって、いつも中途半端に行ったり来たり。そんなボクでも恋してる。恋、してた。だからっ、だいじょーぶっ!」


 シイナはいい子だと優輝は思った。

 もうちゃんと、二人でいたことを振り切ってる。

 より大きな幸せのために、優輝と痛みを分かち合ってくれてるのだ。

 優輝は、自分の苦しさや切なさばかりを気にしていた。けど、それはシイナも一緒だったのだ。その上で、人の恋を応援できる。まだ見つかっていない恋愛を探す、そんな異国の少女を励ませる子なのだ。


「もう、馬鹿……格好いいぞ、お兄ちゃん」


 こっそりひとりごちて、優輝は一歩を踏み出そうとした。

 盗み聞きしてたって、なにも始まらない。それに、もう始めると決めたから。シイナとは新しい家族を始めるのだ。それが最適解で、最高の幸せなのだ。

 頭でわかって、あとは心で納得するだけ。

 そしてそれをもう、シイナはしてくれてる。

 そう思ったら、優輝にも不思議な勇気が湧き出てくる。

 だが、そのささやかなポジティブさが一瞬で吹き飛んだ。


「――いたッ!」

「シイナ! どしたアルカ!」

「えへへ、ドジだなあ……指、切っちゃった。あ、大丈夫、ちょっと血が出ただけだから」

「あわわ、血が出てるアル! 日本人もやっぱり血が赤かったアルヨ!」

「いや、そりゃそうだよぉ。同じ地球人だもの」

「こここ、こっ、こういう時は! だいじょぶアル! 日本の少女漫画で学習済みアル!」


 どうやらシイナが、慣れぬ包丁での作業で指を切ったらしい。

 そして、優輝の時間が静止する。

 呼吸も鼓動も止まったかのようで、事実彼女が意識している全てが止まって見えた。

 稲妻いなずまに撃たれたように、優輝は痺れて動けなくなってしまった。


「あっ、リャンホア……きっ、汚いよ」

ふぇいきへいきアル! やさいはさっふぃさっきあらたアルヨ」

「あ、あと、その……舌先が」


 リャンホアは、流血したシイナの指を迷わずくわえた。

 流れる鮮血を舐め取っている。

 その姿はどこか淫靡いんびで、清らかなまぶしさといかがわしさが入り交じる。勿論もちろん、リャンホアに他意はないように思える。

 だって、優輝も同じ立場だったらそうしたかもしれないから。

 優輝がそうであるように、二人もまた彫像のように静止していた。

 そして、光の糸を引いてリャンホアが口を放す。


「ご、ごめんアル……咄嗟とっさに、つい」

「あ、いや、うん……でも、ありがと。ちょっと、ドキドキしちゃった。これ、よく漫画とかで見るシチュエーションだったから」

「ワタシもアル! だ、だからこう、そうするのが普通なんだって思てたアル……随分前に、それが普通じゃないとは知ったアルけど、シイナにはそうしたかったネ」


 甘酸あまずっぱい青春の一頁は、それを見る人間次第で全く逆の印象を与える。

 うらやましい、そして

 そう思ってしまった優輝は、はたと自分の今の感情を振り返る。

 なんてことを……そう思ったが、もう自覚した気持ちを否定できなくなっていた。

 背後で寝ぼけた声が響いたのは、そんな時だった。


「あれー、優輝ー? もー、早起きし過ぎっしょー? おはよー」

「デュフフ、おはようでござるよニンニン……およ? なにやらいい匂いがしますな。朝食は小生しょうせいが腕を振るおうと思ってましたが」


 振り向くとそこには、まだ半分寝てるネグリジェ姿の千咲と、やたら肌艶はだつやがテカテカな朔也が立っているのだった。

 慌てて優輝は、精一杯のスマイルを作っておはようの挨拶を吐き出すのだった。

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