第13話「マジカル・パレオ・ヴェール」

 週末の百貨店は、サマーバーゲンで賑わっていた。

 御神苗優輝オミナエユウキは結局、待ち合わせ場所へと普段と同じ格好で出向いた。先程、シイナ・日番谷ヒツガヤ・ラインスタインと出会って、それが正しい選択だったと確信した。

 優輝は、いつものパンツスタイルにTシャツでラフなスタイルだ。

 対してシイナは、男だと言われても信じることが不可能な格好で現れた。ワンピースのサマードレスにサンダルで、避暑地の御令嬢ごれいじょうみたいな姿に思わず見とれてしまった。

 今はそれを脱いでいるはずだ。

 水着売り場で優輝は、改めてシイナの女子力に驚いた。


「男の子なんだよね、でも。っていうか、男の……ますます自信がなくなるなあ」


 女性用の水着売り場では、不思議と優輝は居心地が悪い。

 先程から店員のおばさんが『彼氏さんも大変よねえ』という意味を多分に含んだ笑みを向けてくる。だから、あまり自分の水着を選ぶ余裕がない。

 そもそも、水着の新調は考えていない優輝だった。

 だが、ちらりちらちらと視線を走らせ、この夏の最先端を拾ってゆく。

 きらびやかな水着はどれも綺麗で、かわいくて、そして際どく刺激的だ。

 そうこうしていると、カーテンレールの走る音が優輝を振り返らせる。


「優輝! どうかな? ボク、これが気に入ったかも!」


 そこには、試着室の鏡の前に立つ美少女がいた。

 ガチで美少女だった。

 もう、彼が彼女で自分が彼氏でもいい、そう錯覚した。

 慌てて赤面にその妄想を振り払い、優輝は改めて目を丸くする。

 シイナは今、ビキニを着て腰にパレオを巻いている。空色のビキニは一般的な布面積だで、当たり前だが胸が全くない。しかし、優輝は自分も絶壁の無乳なので、そのことが全然気にならなかった。

 強いて言えば、ワンショルダーの斬新なデザインのトップスがかわいい。

 そして下はパレオに上手く隠されていて、誰も男だとは思わないだろう。


「あ、うん……シイナ、すごく……すっごくかわいいよ」

「ホント? ありがとっ、優輝! よかったあ、結構ダイエット頑張ったから。これなら、誰にも気付かれないかなあ」

「シイナでもダイエット、するんだ」

「ん、やっぱり女装する子はみんなね、ダイエットするよ?」


 そう言って笑うと、シイナは鏡へと振り返ってポーズを取る。

 見事な柳腰やなぎごしはほんのりとくびれていて、ムダ毛の全くないからだはつるりと白い。可憐かれんなまめかしさという、相反する矛盾が優輝の中で形容詞に飾られていった。

 シイナは完璧に美少女で、どう見ても男じゃない。

 男であると証明するには、もはや下を脱がせるしかないのだ。

 だが、完璧過ぎる女装姿が逆に、そのことさえ疑わせる。

 

 リアルでそう思わせる程度には、シイナの水着姿は完璧だった。

 彼女は、というかもう、彼女としか形容できぬシイナは、優輝に眩しい笑みを向けてくる。


「じゃあボク、これにするね! ねね、優輝は? 優輝は水着、選ばないの?」

「あ、いやあ……私はほら、こんなナリだし。去年のものでいいよ」

「そーぉ? ボク、優輝にもかわいい水着を着て欲しいなあ」

「え、そ、それって」

「んとね、せっかくこうして付き合ってくれたんだし」

「付き合っ――!? あ、ああ、あれね! 買い物に付き合ったって意味ね! う、うん」

「ふふ、どしたの? 優輝、顔が真っ赤だよ? ……あっ! えと、その、優輝ゴメン!」


 それは突然の出来事だった。

 シイナは不意に、優輝の手首を掴んできた。なにごとかと思った次の瞬間には……優輝はシイナに、試着室の中へと引きずり込まれていた。

 電話ボックスみたいな狭い密閉空間で、優輝は目を白黒させる。

 水着姿のシイナと密着したままで、カーテンが閉まった。

 シイナは自分の唇に人差し指を立てて、無言で外を指差す。

 腰と腰とがぴったり重なり合う中で、意識を逃がすために優輝は外を見た。

 カーテンの隙間から、見知った顔がチラホラと見える。

 それは、雨宮千咲アマミヤチサキと級友数名の団体さんだった。

 優輝の耳元で、熱い吐息と共にシイナがささやく。


「ゴメンね、優輝……びっくりしちゃって。千咲には見られても平気だけど、他のクラスメイトが見たらびっくりしちゃうかなって思って」

「う、うん」

「ちょっと、隠れてよ? でも、驚いたぁ……千咲も水着を選ぶのかなあ」

「そう、だと、思う」


 改めて優輝は、そっと外の水着売り場を覗き込む。

 そうしていないと、ぴたりと身を寄せてくるシイナの感触に頭がどうにかなってしまいそうだ。水着姿の美少女にしか見えない美少年と、密室の中で二人きり。なにかが始まって、一線を越えてしまいそうだ。

 だが、外では見知った数人の女子たちが笑っている。

 その声が、不思議と弾んで聴こえてくる。


「もぉ、千咲ぃ? なんでさっきからそう不機嫌なのさ」

「そーだよぉ、折角水着選びにきてるのに」

「もしかして、迷惑だったあ? いや、だって千咲は最近さ」


 クラスメイトたちの声に、肩をすくめて千咲は笑った。


「ちょーっとバッティングしそうだなって思っただけ。でも……嬉しいよ、誘ってくれてありがと。……本当にありがと」

「なにそれ、千咲! 変なのぉ」

「最近ずっと変だったよね、千咲……今までずっと、天上人の御嬢様、別世界の人だと思ってたもん」

「それが今や、どこにでもいるただのねーちゃんだもんなあ。なに? カミングアウト?」


 なんだか居心地が悪いらしくて、アハハと千咲は笑っている。だが、まんざらでもないようだ。そして、彼女をからかう級友たちにも親しみが感じられた。

 以前の千咲は、貞淑ていしゅくで物静かな御嬢様キャラだったのだ。

 いつも優輝のファンたちの前では、親衛隊長として優雅に澄ましていた。

 だが、その実態は……見栄っ張りでサブカル好きな普通の女の子だったのだ。

 社長令嬢と言われていたが、実家は牛丼屋のチェーン店だ。

 彼女はネコを被っていたのだ。

 そうして作った自分の虚像きょぞうとは、決別したらしい。

 だからだろうか、優輝には千咲はとても親しい友人関係になれた気がする。

 気がつけば、優輝にぴたりと張り付きながら、シイナもカーテンの隙間に目を凝らしていた。水着を選び出した女子たちと一緒で、心なしか千咲も楽しそうだ。


「そういえばさー、千咲。優輝様って夏休みどうするか聞いてる?」

「あーあ、一緒に遊びに行きたいなあ」

「きっと優輝様は、別荘で優雅に過ごされるのよ…ああん! 憧れちゃう!」


 いや、安アパートの自室でゴロゴロするだけだが。

 図書館で勉強して、レンタルビデオ屋で映画を借りて、あとは読書。家に母親がいる時は、たまに一緒に御飯を食べるか、もしかしたら外食するかもしれない。

 しかし、夏らしい夏休みの予定など、最初から皆無かいむだ。

 強いて言えば、仲間たちと過ごす夏が少し楽しみだ。

 暑い熱帯夜も、柏木朔也カシワギサクヤの家に集まれば楽しい気がする。みんなで夜更かししてゲームをしたり、宿題を一緒にやったり……そして、海に出かけたり。

 紆余曲折うよきょくせつがあったが、今年の夏は楽しい仲間がたくさんいる。

 そしてそれは、苦笑しつつ水着を選ぶ千咲も一緒だった。


「んー、ってか多分……優輝も普通だと思うけど? ってか、もう優輝様ってのやめなよー。な、なんか、こぉ……自分の過去を突き付けられてるみたいで、つ、辛いぜっ! わはは!」

「そうそう、千咲の御嬢様キャラ、完璧だったもんねえ」

「まあ、優輝様……今日もお昼をご一緒してよろしくて? みたいな」

「ぐあーっ! く、黒歴史ィィィィ! やめてー、右手がうずくー! ってか、本当にマジでずいから助けて。もー、いじるのナシで! ささ、水着を選ぼうよ!」


 素顔で地を出してきた千咲は、友人たちとも良好な関係を再構築できたようだ。あの夜の一件以来、彼女はネコを被るのをやめた。突然クラスでも「えー、このたび雨宮千咲は御嬢様キャラを卒業しまっす! ってことで、シクヨロ! なんてなー、わはは!」と宣言するや、今の状態を通し続けていた。

 それは、あこがれの美少女である千咲に恋い焦がれていた男子を、残らずハートブレイクで即死させた。なにせ、昨日のうるわしい美人令嬢が、今日はなのだ。

 だが、すぐに彼女は自分の居場所を自分で作り直した。

 そういう千咲のラジカルなところが、優輝は好きだし、うらやましかった。

 そして、こうして盗み見る彼女の姿も羨ましい。

 間近に見上げてくるシイナも、じっと見詰めて小さく呟いた。


「千咲の私服、かわいいよね……普段はあんなダサダサなのに」

「うん……私も今、それ思った」

「髪型もメイクも、かなりってるよね。しかも、全然違和感ないし、むしろナチュラルにかわいい。服だって、センスいいなあ」

「へ? 千咲、お化粧とかしてるの?」

「してるよぉ、優輝も同じでしょ? ボクだって、気合い入れてアレコレ……え? 優輝さ、もしかして」

「……ごめん、お化粧なんてしたことない」

「嘘っ、どうして! こんなに肌も綺麗な、フガ! フガフグ、フッグウ!」


 慌てて優輝は、シイナの口を両手で抑えた。自然と背中から抱き締めるような形になってしまったが、二人で黙って息を殺す。千咲たちを含め、多くの客の視線が殺到した。

 だが、妙な空気も一瞬で、皆は水着選びへと戻ってゆく。

 そんな中で優輝は、カルチャーショックに茫然自失ぼうぜんじしつとなっていた。


「……そっか、女の子だもんね。シイナだって女の子だし。お化粧、するよね……普通」

「優輝?」

「あ、ううん? それより……千咲はやっぱりかわいいよね。スタイルもいいし」

「うんっ、それはボクも思う。中身はおっさんなのに、あのスリーサイズはずるいよぉ」

「細さじゃシイナも私も、負けてないんだけどね。私、ガリガリノッポだから」

「でも、ボクは優輝だって綺麗だし素敵だし、かわいいと思うけどなあ」


 気軽にそんなことを言ってくれるシイナは、優輝の腕の中で振り向いた。

 なんだか妹みたいな弟ができたみたいで、優輝も自然と笑顔になる。

 かわいい、それは優輝とは縁遠い言葉だ。二次元三次元を問わず、優輝はかわいいものに目がないが……それは、自分には絶対にない、身につけられない属性だからだ。渇望かつぼうにも似た憧れがあるから、かわいい服や小物が好きだし、ゲームや漫画にも憧れる。

 そのことを何故か、シイナに話してしまいたくなった。

 だが、シイナは外を覗きながら笑顔になる。


「ねね、優輝! 千咲たちがみんな試着室に入ったよ。今のうちに着替えちゃうね!」

「あ、うん。そだね、挨拶しないで悪いけど、店を出ようか」

「ボク、これにする。あと……今日、付き合ってくれたお礼! 優輝にお礼したいから、いい? このあと、もう少し付き合って欲しいなあ」


 それだけ言うと、きゃろんとかわいい笑顔でシイナが微笑む。

 それはまぶしい程に無敵な笑顔で、優輝は黙って頷くしかなかった。

 そうしてシイナは着替えて出てくると、レジで空色の水着を購入する。レジの店員のおばさんは、完璧に彼氏と彼女のカップルを見る目で頷いていた。優輝としては嬉し恥ずかしといった感じだが、その実……おばさんが思っている性別とは双方逆なのだった。

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