第二十一章 祈り(10)


 空気が変わった。


 息を飲んで成り行きを見守っていた【hope】たちが一斉に安堵のため息をつき、ざわめき始める。先ほどの恵美の言葉を間近で聴いていた一人の【hope】が叫んだ。


「時間がない! 十二時までにぃー、グレート・ボンズ!」


 途端に波が伝わって行くように、その言葉の繰り返しが始まる。源を同じくするワーズであるため、意思の伝播が恐ろしく早い。たちまち、大合唱となった。


「十二時までに、グレート・ボンズ! 十二時までに、グレート・ボンズ!」


 ステージ上から万三郎とユキは一面の合唱隊を見回した。


「素晴らしく楽観的な人たちだ。こちらまで勇気付けられる」


 万三郎をユキが急かす。


「万三郎、急ご」


「ああ」


 そこへ、杏児とちづるがステージに駆け上がってきた。


「万三郎! ユキ! 再開しよう」


「二人で作業するのか」


「ああ。こっちのカタパルトを使うよ」


 その時、ステージに古都田と恵美が上ってきた。


「社長……」


 ユキは、古都田が精神的にも肉体的にもかなりの疲労に襲われているのをひと目で悟った。新渡戸に殴られた後頭部から流血しているのを、恵美のハンカチで押さえたのだろう、白いハンカチが赤黒く染まっている。しかし、おそらくそれ以上に、新渡戸の反抗にショックを受けているのだろう。目を赤く充血させていた。


 古都田の手を引く恵美の目がユキと合った。


「ユキさん、私、社長と一緒に東京へ帰ります」


「恵美さん、今ここでレシプロから覚醒したら、東京で目覚めるのでは」


 ユキの問いに恵美が微かに首を振る。


「離れすぎてるから無理なの。ヒューマンが、ことだまワールドの中で長距離移動するには、少しの時間と膨大なエネルギーが必要よ。かなりの念波を放射したから、古都田社長の残りのエネルギーを考えたら、今帰らないと手遅れになる。それに、新渡戸さんが先に東京に帰って、社長のカプセルを見つけ出したら大変なことになる」


 万三郎が口を挟んだ。


「社長の肉体はリンガ・ラボになくても、恵美さんやちづるちゃんの身体はリンガ・ラボにあるんですよね」


 恵美は頷く。


「それを新渡戸さんに操作されたら、私やちづるさんは、リアル・ワールドに帰れなくなる……」


「分かりました。急いで東京にお帰り下さい」


 古都田が言う。


「中浜……」


 万三郎は古都田を見つめた。


「私を、恨んでいるか」


「……」


 万三郎は言葉に窮した。が、やっとの思いで答える。


「恨むべきことなのか、そうでないのか、地球を救った後で、じっくり考えます」


「福沢くんは」


 ユキはしばらく下唇を噛んで、ようやく答えた。


「恨みは……あります。ただ、それが古都田社長へのものなのか、他の誰かに対して抱くべきものなのかは、地球を救った後で、じっくり考えます」


「……そうか」


「社長、そろそろ……」


 恵美が促す。


「うむ。私は……」


 万三郎とユキ、そして離れたところでちづると一緒に【hope】を打ち上げようとしていた杏児が、古都田の方を見た。


「私は、後悔はしておらん。君たち救国官がニューヨークに行かなければ、そして今ここにいなければ、もう、人類に為す術はなかったはずだ」


 そう言いながら、古都田は自分で自分のしてきたこと、自分の立場を反芻しているようだった。その証拠に、次第に自信を回復しつつあり、口調に力がこもってきた。


「そうだ。救国官たち! やはり最後には、君たちが日本を、そして世界を救うのだ。頼むぞ」


 古都田の熱のこもった訴えに、万三郎とユキは頷いた。


「ベストを、尽くします」


「私も」


 杏児も口を開いた。


「社長、恵美さん、必ずまた、お会いしましょう」


「うむ」


 ちづるに、カプセルは責任を持って守るからと伝えた後、恵美は、ほとんど泣きそうな顔で杏児に笑顔を向けた。


「さようなら。またね」


 恵美は、着物の袖でそっと目を押さえてから、気を取り直して、古都田の背中をそっと押す。そうして、古都田と恵美は、ことだまワールドの夜の闇に消えていった。

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