第十九章 前夜(4)
四
万三郎を乗せた政府専用機は、夜と共に飛んでいた。だが機内の照明がスッと明るくなり、機長アナウンスが流れ始めた。
「おはようございます。ただいま、日本時間で午前五時三十分です。当機はあと三十分ほどで、羽田空港に到着します。乗客の皆さまにお知らせします。日本政府は、日本時間の四日午前零時に、国家非常事態を宣言しました。羽田空港は現在、厳戒態勢を取っており、空港に接続する全ての公共交通機関は現在休止しています。乗客の皆様は、当機がターミナルに到着しましたら、待機している自衛官の誘導に従ってください」
万三郎の意識は深みから浮上してくる。機内が次第にざわめき始める。そのざわめきを聞きながら万三郎は、刻々と覚醒する現在意識の底を何度もなぞるように、考えを巡らせる。
人々は政府高官の家族ゆえに、信ぴょう性の高い一定の情報は聞かされているのかも知れない。問題は、政府が一般国民に対して小惑星衝突の噂を事実だと公式に認めた上で非常事態を宣言したのかどうかである。だが、政府専用機であるこの飛行機の着陸こそ認めたものの、パニックや不測の事態を警戒して空港を閉鎖するような厳戒体制を決断するくらいだ。すでに広く国民に知らしめてしまったのかも知れない。
救国官の一行がニューヨークに飛ぶために空港に向かう道ですらテロリストに襲われたのだ。あの時はまだ滅亡の危機はうわさでしかなかった。政府が公式に認めたのなら、パニックによって、想像を絶するどんな事態が起こっても不思議ではない。
万三郎は、ぐったりと重い身体を実感しながらも、今、日本がどうなっているのか、人々がどんな精神状態にあるのか不安いっぱいになって、パチリと目を開けた。
人々の心が荒れたら、世界に協力を呼びかけた、グレート・ボンズ作戦に、肝心の日本が貢献できなくなる。ことだまの国として、世界の危機にあっても日本人の心がひとつになれないなどという事態は避けたい。
見ると、ユキも同じように目を開けていた。反対側では杏児もこっちを見ている。
「ユキ、体調はどう?」
「うん、大丈夫。幽霊じゃないのね」
万三郎は苦笑した。
「杏児が助けてくれたんだ」
ユキは、頭を上げて万三郎越しに杏児に礼を言った。
「そうなんだ。杏ちゃん、ありがとう」
杏児が訊く。
「ユキ、覚えてるのか」
ユキは頷いてすぐかぶりを振った。
「うん、う、ううん。飛び降りたとこまで」
杏児も苦笑した。
「ま、いいや」
その時、前方から石川が歩いてきた。
「おはようございます」
石川の表情は硬い……というか、寝ていないのではないかと思われた。挨拶をしたユキを見て、ほんの一瞬、表情を緩めたが、即座に、知らない人なら気安く声を掛けられないほど厳しい顔に戻った。
「福沢、気がついたか。大丈夫か」
「はい、ご迷惑をおかけしました」
その厳しい表情のままで石川は万三郎と杏児の方を向く。
「航空自衛隊のヘリが手配できそうだ。だが、別の所で救助作業を遂行中らしく、羽田への到着が遅れるそうだ」
「どのくらい遅れそうなのですか」
「分からん、作戦が片付き次第ということだ。だが午前中に来るだろう。それまで空港で身体を休めておけ」
「あの……」
石川は精悍ながら、疲労で黒ずんだ顔を万三郎に向けた。
「石川さんも、伊勢神宮へ一緒に行ってくださるのですか」
石川は沈黙した。それからひとつため息をついて、万三郎とユキの間の通路にしゃがみ込んだ。
「ひと口に国を守るといっても、実にいろんなものを守らなくちゃならんな」
前後の客席に座っている他人をはばかって、声をひそめた石川の表情がわずかに緩んだ。
「お前たちは、自分の意志ではなく救国官を任ぜられたが、自分の意志で伊勢行きを選んだ。それなら伊勢で、国を救うために、ベストを尽くせ。俺も国家公務員だ。俺をいちばん必要としている場所で、国のために働く」
「石川さんは、内閣府の役人ですものね」
石川は頷いた。
「俺は、総理官邸に呼び出されている。非常事態宣言発令中はずっと、大泉総理のそばに詰めることになるだろう」
「では、別行動、ですね」
石川は頷く代わりに続けた。
「中浜、三浦、福沢。お前たち三人とも、今回はよくやった。だが、その偉大な功績が意味を持つのも、明日を乗り越えてこそだ。俺も東京でベストを尽くす。お前たちも伊勢でベストを尽くせ。共にこの国を守ろう」
石川は低い声でそう言うと、杏児、万三郎、ユキとそれぞれ肩をポンと叩いた。
「必ず、また会おう」
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