第十八章 告白(8)


 ユキは一分近くも黙っていた。杏児があんなに怒っていた理由をユキがこれから話すのだろうと、万三郎も辛抱強く黙って待っていたが、パラパラっと雨が少し強くなってきて、ついに「ユキ……」と促した。


 ユキは万三郎の側の髪を掻き上げ、少し充血した鋭い眼光で、はっきり万三郎を見て答えた。


「万三郎、やっぱり私、か、帰らない」


 ぼつぼつとしゃべっていた先ほどとは違い、吐き出すような強い語調に変わっていた。


「何だよ、頼むよ、ユキ……」


「万三郎、迎えの車の中で杏ちゃんが待ってるんでしょう? 車寄せ、すぐそこだよ。い、行きなよ」


「すぐそこだからこそ、一緒に行こうよ。車の中で話、聴くよ」


「は、話さないことに決めたわ」


「なんだ、そりゃ!」


「ほら、万三郎、これまでありがとう。ほ、本当に感謝してる。地球が助かると、いいね」


「おい、ユキ……」


 ユキは立ち上がると、不自然ににっこり笑って万三郎と握手した。そして、「私、こっちに用事があるの」と、雨混じりの風の中を、車寄せとは反対の方向へスタスタと歩き始めた。


「おい、待てよ」


「来ないでッ! 杏ちゃんのところへ行って。あなたはあっち!」


 ユキは大きな声で万三郎を制すと、車寄せの方を指さして万三郎に行くように促した。そして立ち呆けている万三郎を背にして大股で歩きだした。


「もう! 何なんだよ、ユキ! 君なしで日本に帰れる訳ないだろう」


 それは万三郎の本音だった。確かにユキの告白はショッキングではあった。だが、だからと言って、杏児も含め、ETとしてユキと共に過ごしてきた日々を全否定することはできない。気持ちの整理は後でもできる。今はユキを空港へ、そして日本へ連れて帰ることが急務なのだ。


 万三郎はやはりユキを追いかける。追いかけながらふと思った。


――リンガ・ラボ特製のお茶の薬効が切れたか。


 セキュリティーゲートがあったが、ユキは守衛にIDを見せて難なく出て行った。ユキを追いかけていた万三郎は、逆に不審者だと疑われ、守衛の質問に答える一、二分の間、ゲートに足止めを食らった。


 ようやく解放された万三郎は、ユキが消えた方向に走る。ケータイが鳴った。ユキを探しながら出る。


「万三郎、今どこだ? もう石川さんたちも戻って来られた。早く帰って来いよ」


「隣の公園だ。ユキが言うことを聞かずに逃げている」


「何やってんだ。飛行機に間に合わなくなるぞ」


「必ずユキを連れて戻る。石川さんたちには先に行ってくださいと伝えてくれ。あ、ユキを見つけた。切るぞ」


 公園一帯は芝生になっていて見通しがきく。向こうにイースト・リバーを臨むその公園の川際に、人が一人立っていた。小雨ぱらつくこんな日のこんな時間に、公園を散策する人間など他にいなかったから、その人影がユキであることは遠くからでも容易に分かった。


「ユキ」


 呼びかけられたユキは、振り返って眉を上げた。


「万三郎! どうしてついてくるのよ!」


「一人で戻るわけないだろう。さ、帰ろう」


 万三郎が近寄ってくるのを認めたユキは、そこに自分のハンドバッグを打ち棄て、足を大きく上げてコンクリート・フェンスに引っかけ、腕を突っ張って、ふらつきながらもフェンスの細い上辺に手放しで立ち上がった。上辺の幅は、目測で十五センチメートルもない。

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