第十六章 使命(3)


 ことだまワールドのニューヨーク・シティーは、リアル・ワールドのそれとそっくりだ。しかしどういうわけか、国連本部内の瞑想室からレシプロして来て見れば、そこは瞑想室ではなく、タイムズ・スクエアだった。


 杏児は目を丸くして驚いた。


 ――まだ、こんなにも平静が保たれている!


 リアル・ワールドでは厳戒態勢が敷かれていて、街中がものものしい不穏な空気に包まれているというのに、ことだまワールドのここは、リアル・ワールドの平時のこの場所と同じとまではいかないものの、悲壮感はなかった。人も、多くはないが歩いている。タイムズ・スクエアのトレードマークでもある、大きなLED情報板やネオンサインは、やはりこちらでもギラギラ光を放っていたし、黄色いタクシーをはじめとして、交通量もそこそこある。


 こちらのワーズたちも、小惑星衝突の噂を知らないはずはない。それでもまだ街がパニックになっていないのは、嵐が近づきつつあるリアル・ワールドの曇天とは違って、街に柔らかな陽がさしているからなのか。これまで聞かされていたのとは違い、地球の地磁気の乱れと、ことだまワールドの天候には実は相関関係はないのではないかとさえ杏児は思った。


「とりあえず、今は作戦遂行に集中しよう。分かったな、ユキ」


 杏児は厳しい表情を作ってユキに言う。ユキはなぜか疲れをにじませた顔で頷いた。


「……分かったわ」


 万三郎が瞑想室から出て行ってすぐ、二人は同時にレシプロして、ことだまワールドに来ている。リアル・ワールドで誰も見守る者がいない状況でのセルフ・レシプロは危険ではあったが、もう本番まで残された時間はわずかだったから、決行するしかないと杏児は思った。


 ――瞑想室には内側から鍵を掛けたから大丈夫だろう。


「あ!」


 ユキが指さした先、ルビー色の階段状の桟敷に何十人も固まって腰掛けている集団は、まぎれもなく日本からやってきたワーズたちだ。二人が彼らに近づいて行くと、彼らも気がついた。


「や、杏児さん、ユキさん、ご無事で」


「ご無事で?」


 問い返したユキに対し、【informationインフォメーション】(情報)が、杏児とユキを交互に見ながら答える。


「ご存知ないんで? 【bad!】とキジシマ派の悪い連中がNYこっちまで来てるらしいんですよ。俺たちの仕事を妨害するために」


「妨害って、どういうこと?」


disturbディスターブ】(邪魔する)が、そこで買ってきたのであろうハンバーガーを食べる手を止めて吐き捨てるようにユキに言う。


「邪魔するってことでしょうよ」


「で、君らは、奴らに会ったのか?」


 杏児の問いに【negativeネガティヴ】(否定)が答えた。


「いいえ」


rumorルーマー】(うわさ)がその後を続ける。


「でも、後便のシートレでこっちに着いたグループのうち、【victimヴィクティム】(被害者)とか何人かは、連中につかまって、連れ去られたらしいんで。『タッチ・ハート作戦が終わったら解放してやる』って言われて、どこかに拉致されていったと、その場を逃げ切った【runawayランナウェイ】(逃亡者)が言ってたんで。あれッ、その【runaway】どこ行った?」


【rumor】は仲間たちを見回すが、【runaway】は見当たらなかった。


【rumor】は立ち上がって皆に訊く。


「おい、みんな。【runaway】はどこ行ったんだ?」


【information】が口を開いた。


「【runaway】なら、そこのマックにハンバーガー買いに行くって、【hope】とか【happiness】(幸福)とか【liberty】(自由)とか、何人かでここを立って行ったのは見た。もう三十分も前だけど」


 杏児が【information】を問いただす。


「【hope】も一緒に? 三十分も前に?」


「は、はい。ひょっとしてそのまま店内で食べてるのかなと」


「あそこのマックに入るところ、見届けた?」


「い、いや、見届けてまでは……」


 杏児はユキと顔を見合わせる。


「ユキ、僕ちょっと見て来るわ」


 杏児は車道を渡って、マクドナルドへ向かって行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る