第十五章 紐育(2)


 石川と万三郎が乗った車の助手席には、大垣総領事が乗ると言った。万三郎は畏れ入って自分が助手席に乗りますと申し出たが、大垣はそんな万三郎の手を取って言ったのだ。

「中浜さん。私にはあなたと同じ世代の息子と娘がいます。彼らの未来を、救国官のあなたに託したい。成功を祈ります」


 万三郎はそう言われた上で、総領事自らの手で後部座席に誘導されたので、いよいよ緊張で胃がきゅうっと縮む思いがした。


 ほどなくして三台の車は、国連本部へ向けて走り出した。


 石川が大垣と言葉を交わしている間、万三郎は車窓から外を見てぼんやり考えた。


――未来、生活、命、家族の絆……。


 望んで立ち上がったわけではない。数奇な運命に翻弄されて、気がつけばここへ連れてこられていた。そして万三郎はもう、その運命から逃げられない。送迎車という監獄の向こうにあるのは、冷静に考えれば勝算のほとんどない、無謀と言わざるを得ないミッションなのだ。それでも自分一人が失敗の責めを負うだけなら気も楽だ。反対に、世界七十億人を背負っていると言われたところで、やはり実感が湧かない。だが、身近な人に手を握られて「あなたに運命を託したい」と言われると、自分が何に直面しているのか、その状況がかえって急にリアリティーを伴って襲ってくる。まるで断崖絶壁の縁に立っているところに足元を見ろと言われたかのように、万三郎は吐き気を催した。


「中浜、大丈夫か」


 石川が思わずそう気遣うほど、万三郎は顔色が悪くなっていた。


「すみません石川さん。ちょっと気分が……」


 すると石川はアタッシュケースをバチンと開けて紙袋を取り出した。


「飛行機に備えつけのやつを持ってきた。これを持ってろ」


「ありがとうございます。石川さん、抜かりないですね」


 石川はフッと口辺に笑みを浮かべる。


「俺が使おうと思って持ってきたんだよ」


 万三郎は少し驚いて石川の目を見上げる。石川はもう微笑を抑えて、前を向いたまま低い声で言った


「お前ひとりを崖っぷちに立たせるわけじゃない。皆一緒に戦う」


 崖に立つ万三郎の心中を読んだかのような石川の弁にさらに目を丸くしたが、少しして万三郎は、青い顔ながらニコリとした。わずかながら気持ちが軽くなった。


――そうだ、皆で、戦うんだ。


 助手席から大垣が振り向いて万三郎に言う。


「夕方の演説前まで、君たち救国官が落ち着いて準備できるよう、日本政府代表部の連中が、国連事務局ビルの応接室を一室、押さえてくれている。だが、その前に、君が講演する総会議場をあらかじめ見ておいてもらおうと思う」

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