第十三章 選別(24)

二十四


 今神室長はさっきからずっと立ったまま何かをメモしている。江戸ワード駅長はセクション・マネージャー楠と何か打ち合わせをしながら向こうへ歩いて行った。ギャラリーのワーズたちは、日常勤務のために三々五々去って行きつつある。だから、万三郎と杏児とユキの前に立っているのは、古都田社長、魂が抜けたように無表情な新渡戸部長、そして例の薄茶色のメガネの男だ。最初と同じく、誰一人、笑っていない。


 万三郎と杏児は、新渡戸が言うところの、真剣勝負の修了試験を終えた今、これからいったい何が起こるのか、上司たちから発せられる言葉を身じろぎひとつせずに待っている。ユキは、もう泣いてはいなかった。しかし、一雨降って、からりと晴れ渡る空のようでは断じてない。じっと柳眉を逆立て、口を真一文字に結び、不満や悲嘆を封じ込める決意がその表情から見て取れた。もちろん、一言も口をきかない。


 三人同士で向き合うと、古都田が口を開いた。


「みどり組の諸君、辛うじて負けなかったな」


 ユキが目を伏せる。万三郎が何か言おうと顔を上げたその時、杏児が先に口をきいた。


「社長、スピアリアーズの連中はどうなるのでしょうか」


 古都田は、質問した杏児をまばたきもせずまっすぐ見つめながら、他の二人にも言い聞かせるように答えた。


「人の心配をしている心の余裕など、今からみじんもなくなるぞ。諸君への人材育成投資はたった今終了した。早速、任務についてもらう」


「スピアリアーズは……?」


 話をはぐらかそうとする古都田に万三郎が重ねて問おうとしたとき、古都田はその目をぎょろっと万三郎に向けてその言葉の上に自分言葉を重ねた。


「会社は親睦の場ではない。諸君が今知るべき情報は、これからこの方が教えてくれる。紹介しよう。石川卓さんだ。内閣府情報調査室審議官、つまり日本政府の高級官僚でいらっしゃる」


 にこやかさのかけらもない男が、冷酷にも聞こえる抑揚のない声で三人のETに言った。


「石川だ。お前たちの仕上がり具合を確認しに来た。満足とは言えないが、まあ認めて良いだろう」


――偉そうに。


 というのが、この男に対する万三郎の印象だが、むろんそのようなことは口には出せない。まあ実際に政府筋の偉い人なのだろう。


「お前たちに伝えるべき話がある。だが……」


 石川審議官は回りを見まわす仕草を見せた。修了試験の見物を終えて日常業務を再開したチンステは、喧噪を取り戻しつつある。


「古都田社長、場所を変えよう」


 古都田は静かに応じる。


「ラボに?」


「うむ」


「分かりました」


「では、先に戻っておく」


 古都田は頷く。石川は色付き眼鏡の向こうで切れ長の目を万三郎に向けた。


「あっ!」


「うわっ!」


 万三郎と杏児は驚愕してのけぞった。目の前で石川の姿が一瞬にして消えたからだ。二人は目を見開いたまま無言で古都田に説明を乞う。


「新渡戸くん」


「はい」


 古都田は二人に答える代わりに新渡戸部長に声をかけた。新渡戸は心得たように後ろを振り向く。振り向いた新渡戸の視線の先には、軽自動車が一台停まっていた。万三郎たちが見ていると、新渡戸の視線が合図だったのか、即座にドアが開いて、中から四人の男性が急いで降りて来た。彼らは新渡戸の後ろに横一列に並ぶ。


――ワーズなのか?


 万三郎と杏児がいぶかしんでいると、古都田が言った。


「諸君。このメロディーをよく聞くんだ。今後、このメロディーが合図になる」


 するとその四人のうち一人が、メロディーに乗せて言葉を口にした。


 ♪ 山寺の、和尚さんが――


 それを合図に、後の三人が美しいハーモニーで合唱を始めたのだ。


 ♪ まりは蹴りたし 毬はなし――


 万三郎たちはまったく想像していなかった展開にただただ目を丸くして息を飲んでいる。


 ♪ ダカヂク ダカヂク ダカヂク ダカヂク エイ ホホー、

   ダカヂク ダカヂク ダカヂク ダカヂク エイ ホホー――


 早口言葉のようなリフレインを背景に、古都田は万三郎たちに言った。


「さあ、戻るんだ、リアル・ワールドへ。物理法則に縛られる、不自由な世界へ」


 リズミカルなリフレインをBGMに、古都田の声の語尾は、温泉旅館の大浴場で発せられたかのようにこだましていった。


「……世界へ……世界へ……世界へ……」


 コーラスの男性が裏声で調子をつけて叫んだようだ。


 ♪ ニャンが ニャンと鳴く ヨーイヨイ


 それを合図に、万三郎は突然、立ちくらみのように景色を失っていった。




◆◆◆




(1)ボブ、あなた、あまり良い先生ではないですよね。


(2)ヤン、君は、クラブでたくさんの客の相手をする。その赤ん坊の父親が私だとどうして分かる?


(3)そんなことに同意した覚えはない。


(4)勘弁してくれ! 君と結婚する、だって? あり得ないね。ねえ、もう終わりにしよう。私をからかうのはやめてくれ。そして、もう帰ってくれないか。


(5)“screwing around with me”には、「私と浮気する、乱交する」という意味があり、ブラックジョークとも取れるから。


(6)遠からず私と入籍するつもりだと私のそばで愛情たっぷりに囁いた、あなたのピロートークを私こっそり録音してたの。まさに今、家庭裁判所に証拠として提出することに断固決めたわ。


(7)何? 君は僕を訴えるつもりなのか? ふうん、それじゃあ言わせてもらう。いいか、僕はママに警告されていたんだ。君に言い寄られるかもしれないから気をつけなさいと。なぜなら君のビザが来月末で切れる前に、永住資格を得るために日本人の伴侶を見つけようと君が必死になっているからと。


(8)何を言ってるの? あり得ないわ! よくもそんなこと言うわね!


(9)“as like as chalk and cheese”の形で「月とすっぽん」,“the birds and the bees”「小中学生が教わる、性に関する知識」、“monkeys and donkeys”このような慣用句は存在しない、“It rained cats and dogs.”「土砂降り」。よって、Dが正解。

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