第十二章 騒乱(4)


「連れを紹介します。こちらは、高血圧症【hypertension】、そしてこちらが高脂血症【hyperlipidemia】、あちらで料理を皿に取っているのが、二型糖尿病【type 2 diabetes mellitus】です。以後、お見知りおきを」


「こ、こちらこそ、よろしくお願いいたします」


 そこへ新たな男性がやってきて積極的に名刺を差し出してくる。


「私も自己紹介をさせてください。私は、白癬菌症【trichophyton fungus】と申します」


「トリコ……失礼、もう一度……」


「トリコファイトン・ファンガスです。まあ、水虫、たむしですな」


 さらに続々と自己紹介の男性たちが名刺を手に我先にと集まってきていた。


「どうも、こんばんは。【parotitis】耳下腺炎と申します。こちらは双子の弟、【the mumps】おたふく風邪です。花粉症のお話と同じく、私たちも同じ意味のワーズです」


「初めまして、【osteoarthritis】変形性関節症と申します」


「初めまして、【juvenile rheumatoid arthritis】若年性関節リウマチです」


「どうも。【hepatitis A】A型肝炎です」


「どうも。【hepatitis B】B型肝炎です」


「どうも。【hepatitis C】C型肝炎です」


「【subacute bacterial endocarditis】亜急性細菌性心内膜炎です」


「【thrombotic thrombocytopenic purpura】血栓性血小板減少性紫斑病です」


「ちょっ、ちょっと待ってください」


 自分を取り囲んで次々と名刺を差し出してくる病名ワーズたちに当惑して、万三郎は両手のひらを前に向けて彼らを制止した。名刺を受取ってもらえない血栓性血小板減少性紫斑病は、怪訝な顔をして万三郎を見上げた。その左頬いっぱいに、三行にわたって名前が彫りこまれている。


「すみません、ちょっと気分がすぐれなくて、お手洗いに……」


 万三郎は済まなさそうに申し出た。


「気分がすぐれない……」


 血栓性――はそう繰り返すと、はっとしたように後ろを振り返った。彼の次に名刺を渡そうとしていた、つやのない、長く黒いストレートヘアの、見るからに顔色の悪い女性がびっくりしたように血栓症を見て一歩後ずさった。


「な、なんですか?」


「【nausea】(吐き気)さん、中浜さんが気分悪くなったのは、あんたの発する毒気のせいじゃないのかね」


【nausea】と呼ばれた女性は片手に自分の名刺を持ったまま大きく目を見開いた。


「何ですって! この医学用語交流会で、『毒気』なんて非医学的用語を使って濡れ衣を掛けないで!」


 万三郎は慌てた。


「待ってください。この方のせいではないです。私が悪いんです」


 右手を自分の胸に当てて、気分が悪いのだとジェスチャーをしながら、血栓症たちにとってつけたようなお辞儀を残し、万三郎はその場を離れた。出入り口に待機するホテルスタッフにトイレの場所を聞き、会場の扉を開けてもらう。


「あちらにエスカレーターがございますが、その隣りから吹き抜けに沿った廊下をお進みください。すぐにお手洗いがございます」


「ありがとう」


 本当は行きたくもないトイレへと万三郎は足を進める。


――こりゃあ、気を遣うなあ……。

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