第九章 危機(10)
十
「官邸にいらっしゃったのでしょう? わざわざここまで来ていただかなくても、リンガ・ラボまで私が戻りましたのに」
「いや、古都田社長、我々も正念場が近づいている。こちらの『離れ』から俺がレシプロする日も近いと思って、その下見を兼ねて、ね」
古都田の顔が曇った。
「正念場、ですか……」
石川は大窓から離れてソファーに腰かけ、古都田にも向かいに座るよう、手で促して言った。
「内村さんに会ってきたよ」
古都田はソファーに腰を下ろすときに、少しふらついた。
「失礼しました。どうも歳を取るとつい、楽なカプセルに頼りがちになるのですが、セルフと違って、戻って来るとなぜか足もとがおぼつきません」
石川は小さく頷くと、古都田を気遣いつつも、率直な気持ちを口にした。
「俺も同じようになるかもしれんが、ここは病院だ。何か副作用が出ても、すぐ診てもらえる。俺もできれば毎回、ここからカプセルでレシプロしたいものだよ、楽だからなあ」
そう言ってフッと笑う石川に一瞬同調の笑みを浮かべると、真顔に戻って古都田は訊いた。
「石川さん、内村さんはお元気でしたか」
「ああ、少し痩せられたがな」
石川もまた、表情と声色を厳しく変えて本題に入る。
「古都田くん、ETたちの現況を教えてほしい」
「ああ、たった今、ことだまワールドで彼らに接触していました」
「ETたちのプロジェクトの進捗度合いは?」
「新渡戸くんのレポートでは、九十二パーセント程度です」
「あと二日で仕上げてほしい」
古都田は目をしばたたいた。
「は? こちらの時間でですか」
「そう。リアル・ワールドの時間で、四月一日朝までに」
「あ、明後日まで……あと二日で八パーセントを仕込めと?」
「仕込めなくても、もう、使う」
石川は古都田の抵抗を読んだ上で言葉をかぶせるようにそう言い切った。古都田は目を丸くして、それから厳しい目つきになって、右上を睨み、石川を睨んだ。
「今ここまで、平時十二倍速でクルーズしています。そういうことであれば、すぐに十五倍速……いや、修了試験実施の時間も加味すれば、二十倍速に上げなければ間に合いません。しかし……」
「古都田くん、やってくれ」
古都田は、厳しい表情で石川を睨んだままつぶやく。
「また……出ますよ、
石川も古都田を睨み返している。
「やむを得ん」
それでも古都田は食い下がる。ほとんど怒っているように見える。
「ですが、もし、全検体にSSEが出たら?」
「その時は古都田くん、彼らの上司である君に、責任を取ってもらう」
古都田はピクリと動いた。構わず石川が言葉を継ぐ。
「俺と一緒に……な」
石川は古都田の双眸をまっすぐ見据えた。命を懸けろと言いたいのだ。
古都田は小さくつぶやいた。
「正念場か……」
それから古都田はニコリと相好を崩した。
「石川さん、我々二人の命では、足らないかもしれませんよ」
石川の口の端がニヤリとわずかに引き上げられた。
「全人類が責任を取らされるかも、な」
◆◆◆
(1)SSE……Severe Side Effects(重篤な副作用)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます