第八章 善悪(2)



 ローンチング・ステーション、通称チンステ構内は、一つの巨大な街が、すっぽりドームに覆われたようなつくりになっている。ワーズたちが乗った、実務上のシークウェンス・トレインは、チンステから空中に開いた細長い隙間スリットから外界へ出入りする。


 勢いよく出発して十分後、そうした他のシートレが飛び交うのをかわしつつ、ドーム内の空間を存分に飛び回った「ダサ」三百系は、ほうぶん先生たちが待つ実地研修用プラットホームに戻ってきた。シートレは相当な勢いで入線すると、目一杯急ブレーキをかけて、ようやく止まった。


「やあ、初めてにしては操縦が上手でござるな」


 上機嫌で声をかけるほうぶん先生に、やっとのことで杏児が答える。


「こりゃ、すごいですね。スリル満点でした。京子は協力的なんだけど。その後ろの奈留美が帰ろう帰ろうと念を入れてくるから、ハンドルを取られる感じで操縦しにくかった」


 そう言って杏児は後ろを振り返った。その杏児の目の前には、顔を紅潮させた京子がいた。白目と黒目の境目がわかるほど、彼女は目を見開き、興奮していた。


「最高! これ、まじやばいわ! やけど先生、このシートレおんぼろやから、うちの後ろで連結、切れそうやったよ」


「そうか。それは綾目小路どのが、前の二人とは違う思いを入れておったゆえ、推進力や進行方向にずれがあったためであろう。シートレの車両は、ずれがあまり大きいと、千切れたり捩じれたり、さらには墜落することもあるゆえ、実務のとき、間違った場所にワーズを乗せぬよう、心得ておきなされ」


 ほうぶん先生が、杏児や京子と、プラットホームで見学していた万三郎たちとを交互に見ながら説明していたら、奈留美が三両目の「ダサモ」からほうほうの体でホームに降り立って愚痴る。


「んもう! わたくし、こんな狭苦しくて乗り心地の悪い乗り物、二度と乗りたくございませんわ。お尻が痛くて死にそう……」


 杏児は車両から降りると、ほうぶん先生に訊いた。


「上空から見下ろすと、本当に街が広がっていますね」


「いかにも。ほとんどがワーズたちの居住区でござるよ。わがKCJのワーズ社員の数は、古英語や外来語、熟語や慣用句、方言など全部合わせて百万とも言われておるからね(1)。出動命令が来ると、それぞれの自宅からこのステーションにやって来るのでござる」


「百万……そんなにたくさん、僕はとても覚えられそうにない」


 杏児がひるむと、ほうぶん先生は笑った。


「安心めされ。おぬしらETが使いこなさなくてはならぬワーズは、せいぜい一万から、多くても三万だ」


 三人が「ダサ」シリーズ三百系から降りると、今度は万三郎たちの番だった。


「中浜どの、おぬし、先頭に乗るか」


「はい」


 ほうぶん先生に頷いて、先頭の「ダサシ」に乗ろうとドアを開けた万三郎の肩をぐいっと手前に引っ張ったのは、祖父谷だった。万三郎はよろめいてホームに尻もちをついた。


「先生、私を先頭に乗らせてください。みどり組の連中に二回とも先頭に座らせるのは納得がいきません」


 万三郎は立ち上がると、むきになって祖父谷の肩に手をかけた。


「おい、祖父谷! 先生は俺を指名したんだよ」


 祖父谷は万三郎の手を荒々しく払いのける。


「中浜、お前は劣っているんだから、俺のやり方を見て学べ。俺が前に乗る」


「何だと。なんで俺が劣ってるんだよ」


 二人は向き合ったが、ほうぶん先生がまあまあと制した。


「ほら、おぬしら。友情を深めるために、ファースト・ネームで呼び合うのを忘れておるじゃないか」


 祖父谷がニヤリと笑った。


「中浜、『ネイム・ファイブ・イン・テン・セカンズ』で決めよう」

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