第七章 ワーズ(二)(20)
二十
「おぬしと【be子】どの。二人はなぜそんなに仲が悪いのか、それがしにはとんと合点がいかぬが」
「先生、二人とも助動詞だから合わないんです。物理的にも性格的にも」
「おぬしらは、動詞として働く場合もあろう? 助動詞プラス動詞で、二人で力を合わせて仕事することもあるではないか」
「“Don’t be~” でしょう? その時は、僕は黄色い全身タイツを履いてグラサンかけて、直接の接触を避けることにしています」
「いや、【not】を伴う場合が多いには多いが、【not】を必要としない場合も、ある」
「何ですって?」
「ははは。長年、文法を研究してきたそれがしの言うことは、信じられぬかな」
***
【do麻呂】は今や自信ありげに言い切った。
「doとbeは共存できる。ほうぶん先生に教えてもらって、僕はようやく、罪なき親父から植えつけられた思い込みの呪縛から自分を解き放った。それは【be子】、君の本質を僕が思い出したからだ。そしたら、いてもたってもいられなくなった。【be子】、君への想いがあふれて……」
「すてき……」
いつしかETたちと一緒になって話を聴いていた若い五郎八が見とれて思わずつぶやく。我に返った万三郎が店内を見渡すと、テーブルの客はみな、声をひそめてこちらを向いて、ことの成り行きを固唾を飲んで見守っていた。
もともとイケメンの【do麻呂】だった。その彼が【be子】の両手を両手で包み、【be子】を見上げるようにして切実に訴える姿は周りの心を打った。たった一人を除いて。
「黄色い烏帽子で良かったよ。いくら想いがあふれたからといって、黄色の全身タイツ着てここに現れたりなんかしたら……あ痛たたた!」
ユキは【do麻呂】と【be子】を見つめたまま、さっきより強めに杏児の手を刺していた。
「【be子】、これまでつれなくしてごめん。だけど……」
【do麻呂】はそこまで言うと、【be子】の手を包む両手にグッと力を入れて、泣きはらしたように目尻に朱を注いだ【be子】をまっすぐ見すえ、強く訴えた。
「僕はやっぱり、君が好きだ」
「【do麻呂】……」
店内の誰もが【be子】の次の言葉を待っていた。
ところが【be子】は、【do麻呂】の手をそっと振りほどくと、背中を向けて顔をうつむけたのだ。長い髪がさらさらとすだれのように彼女の顔を
「【be子】……」
沈黙が店内を支配する。
その時、顔をうつむけたままの【be子】の口から英語が漏れた。
“I
――え?
ユキの胸に黒い影がよぎった。いや、ギクリとしたのは、ユキだけではないだろう。
【be子】は声を詰まらせながら、懸命に言葉を続ける。あるいは泣いているのではないかと思われた。
“I …hate …ever to be left alone.”
(あたし、ひとりぼっちにされるのはもうイヤ)
それから【be子】は顔を上げ、振り向いて【do麻呂】に強い口調で言う。
“Do be…! ”
そこで言葉を切った【be子】は、声のトーンを下げ、表情を和らげて言い直した。
“Do be nice to me from now on. You see?”
(これからは本当に、あたしにちゃんと接すること。いいわね)
【do麻呂】を見上げる【be子】の目は、笑みと涙を同時にたたえている。その笑みと涙はたちまち【do麻呂】に伝染した。
“I see.”(分かったよ)
“Swear?”(誓う?)”
“I swear.”(誓う)
数年越しの安堵の日本語は、【be子】を抱き寄せた【do麻呂】の胸の中で発せられた。
「よかった……」
「イヤッター!」
それを合図に、店内から一斉に歓声と拍手と口笛が上がった。
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