第四章 研修(11)

十一


 カッチーン!


 万三郎がその場で立ち上がった。


 杏児も三たび立ち上がった。


 女も立ち上がった。


 万三郎が振り向いて反攻の口火を切る。


「プレッシャーになりますねって言っただけだ! だから嫌だとかは言ってないじゃないか!」


「嫌だと思ってなけりゃ、そんなセリフ、出てこないのよ! 人さまに自分がいかに不出来なのか見られるのが怖いの? 自分の恥ずかしい姿をさらしたことのない甘ちゃんだから、打たれ弱いのよ、はあー頼りない」


「じゃあ、そういう君は、甘ちゃんじゃあないってことか。人に恥ずかしい姿をさらしたことがあるってことか」


 それを聞くと、女は眼鏡の縁に手をやってうつむき、すこしくぐもった声で答えた。


「昨日……見たでしょ」


 万三郎は一瞬ひるんだが、攻撃の手を緩めなかった。


「じ、じゃあ、鼻に割り箸刺して、どじょう掬いを踊ったら、甘ちゃんじゃあないってのか!」


 万三郎のそのセリフに、新渡戸部長とほうぶん先生が驚いて顔を見合わせる。


「なんだって、福沢くんが、何を踊ったって?」


 女は部長たちに構わず万三郎に反論する。


「違う。私はもっと、もっと恥ずかしい姿をさらしたことがある。死にたいと思うほどのね。だからなおさら思う。あなたたちみたいな甘ちゃんが、どうして、みんなの期待をしょって立つETなんだろうって」


 二日酔いの女の目は、眼鏡の向こうで、くまができ、充血し、うるみ、見るも耐えられぬ様相を呈していた。だが、彼女が必死に何か感情をぶつけてきているのをありありと感じて、万三郎は思わず言い返す言葉を失い、口を閉ざしてしまった。


 そこへつっかかっていったのが杏児だ。


「おいっ! 『あなたたちみたいな甘ちゃん』って、なんで僕まで巻き添えにして言うんだ!」


 女はキッと杏児の方に向き直って直ちに攻撃を開始する。


「あなたも同じようなもんよ。見るからに頼りなくて、不甲斐なくて、意気地がなくて、勇気もなくて……。ひょっとしたら、男として大事なタマタマもついてないんじゃないの? ええ? 三浦杏児。何とか言ってみなさいよ」


 万三郎は女の横顔をぽかんと口を開けて見ていた。


――この女、どうして初対面、いや、会って二日目の人間に、ここまで攻撃的になれるのだろうか。


 言われた杏児は怒りのあまり、言葉を失っている。


 が、突然彼は、何かにひらめいたかのように目を見開き、眉を下げ、女の目を無心に見つめながら、自分の股間に手を触れた。そして、股間をわさわさといじった。


 女は彼の行動に当惑して、思わず目をそらせる。


「な、何やってんのよ、なにも今、確認することないでしょ」


 杏児は最初、つぶやくように、そして次に、目の前の雲が晴れたかのように、嬉しそうに喜びを声に出した。


「そうか……そうか! それでマンズフィールドがキレたのか! タマタマがないんだ。ノー・ボールズだ!」(4)

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