第二章 杏児(11)

  十一


 中浜が編成したシートレ第一便は、僕のシートレより少し先に何便か出発していた。今、最新の一編成が飛び立っていったばかりで、ホームには中浜以外誰もいなかった。僕と違って、もう次のオーダーがタブレットに入ったようで、彼は目を血走らせてワーズに召集をかけていた。彼の担当案件は、会話のキャッチボールをしているようだ。


 彼のホームのモニター画面を見ると、日本の中小企業の応接室とおぼしき部屋に、大きなテーブルを挟んで、五人の日本人と五人の欧米系外国人が向かい合って座っている。日本人の一人はこの会社の社長で、あとの四人の男性はその部下、同様に外国人の方も、一人の男性がCEOで、男性二人と女性二人の、四人の部下を引き連れてきている、といった光景だった。


 何か契約を交わす前のように、お互い書類を取り交わしているようだ。


「中浜くん、首尾はどう?」


 彼に歩み寄りながら訊いてみた。


「最悪」


 彼は額から冷や汗を流しながら画面に見入ったままだ。


「クライアントから日本語でこう言ってくれというのは、何とか考えて、五編成送り出した。だけど、クライアントがちゃんと向こうの英語を理解していないみたいで、『向こうが言ってきたこの英語に適切に答えてください』みたいなオーダーが来るんだ。でも、俺もその英語が、何言ってるのか、ほとんど分からない」


「……ということは、事実上、会話相手は中浜くんになってるってこと?」


 中浜がタブレットから一瞬目を離して、僕を見て言った。


「さっきから俺が送った答えで、アメリカ人たちの機嫌がどんどん悪くなっている」


「へえ、アメリカ人なんだ……。中浜くん、どんな案件やってるの」


 その時、彼が召集をかけたワーズたちがホームになだれ込んで来た。


 ちらりとそちらを見た中浜の表情に恐怖の色が浮かぶ。


 目はワーズたちを追ったまま、彼は答える。


「アメリカ大企業の社長御一行さまを迎えての、二億ドルの商談の最終段階。日本の小さな会社にすぎないこのクライアント、社運をかけて開発した商品を、このアメリカの大企業に売り込みをかけて、ようやくここまでこぎつけたらしい。アメリカ側は、大型取引の相手としてこの日本の会社がふさわしいかどうか見極めるため、自ら日本まで足を運んできたらしい。もし契約が成立したら、この小さな会社の明るい将来は約束される。だけどもしダメなら、この会社、開発費を返済できず、つぶれるんだそうだ。二億ドル、二百億円と、社長以下、従業員数十人の生活がかかってる。初めての俺には重すぎるよ」


 ついに、ウオンウオンに加えて、ビーッ、ビーッと、いよいよ時間が迫っていることを知らせる警報が鳴り始めた。


 中浜はいよいよパニックに陥った。ワーズたちが口ぐちに「どこへ?」と中浜に訊いている。彼は、自信なさげな小さな声でワーズたちが乗る車両を指示していった。


「まじぃ! こんな文で相手、怒んねえのか?」


「馬鹿野郎、俺が三両目なんだよ、お前が聞き間違ってるんだ」


「えっ、聞こえない! クラフトマン! お前新人か? 大きな声で言えよこら!」


 僕と同じ大混乱に彼は翻弄されていた。


 僕は彼の送り出したシートレの履歴を検索してみた。クライアントが日本語でオーダーしてきたのに対して、中浜が編成したシートレの履歴が載っている。


「どうもどうも、どうぞこちらにお掛け下さい」

“Hey, you guys. Please shit here.”(1)


「スミス社長、御社のホームページであなたのプロフィールを拝読しました。大変興味深かったです」

“I read your profile on your company’s homepage, Mr. Smith. It was very funny.”(2)


「本日は御社とお取引きができるのを、私どもは大変嬉しく思っております」

“Today, you buy us. We are very funny. ”(3)


「御社にとりましても今日は本当に楽しい、嬉しい日になると私どもは信じております」

“We believe you are very funny today, too.”(4)


「スミス社長、ここ(日本)へはいつお越しになったのですか」

“Why did you come here, Mr. Smith?”(5)


 僕は大いに感心した。


――へえ、中浜くん、やるじゃない。


 ただ、最後のシートレに初歩的な間違いがあると思った。おそらくパニックの中でミスをしたのだろう。


――「いつ」と訊きたいのなら、"Why"ではなく"When"だろう。惜しいな。


 それ以外は特別大きな間違いを彼がしているとは思えない。僕は、ワーズたちに詰め寄られてたじたじの彼に「とにかくがんばれ!」と声をかけて、自分の案件がどうなっているのか、百十八番線のモニターに目を移した。


「ゲゲッ!」

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