第2章 特訓開始! 4
そろそろ、ここへ来て一週間。特訓の成果なんて、何一つ出ていない。
カズラから教わる武術は、ひたすらに形と受け。基礎中の基礎だ。始めて一週間なら当然だろう。
ヒーズル文字はだいぶ覚えた。アザミの教え方が上手なのかもしれない。とはいっても、まだ数字と平仮名だけ。
それに書いた文字も、ヒーズルの人から見ればきっと幼稚園児レベルに違いない。
さて肝心の魔法だが、こちらもひたすらに呼吸法と意思の集中のさせ方ばかり。
素養があったとしても、たった一週間では魔法が使えるほどの魔力は貯まらないらしい。となれば、地道な基礎訓練の繰り返しも仕方がない。
とはいうものの、そろそろ何か手ごたえが欲しい頃合だ。
「じゃあ、この指先に意識を集中してぇ」
「…………」
「じっと見つめてるだけじゃだめよぉ。目じゃなくて、頭の奥の方で見る感じでぇ」
「…………」
とても疲れる。
それでも、これで魔法が発動するというなら、疲れも吹き飛ぶに違いない。
だがアヤメによれば、集中しているはずの指先には魔力は微塵も感じられないらしい。これほど必死に、魔力を送り込んでいるつもりなのに……。
「呼吸が乱れてるわよぉ。ちゃんと教えた通りに続けてぇ」
「…………」
「今度は集中が途切れてるわよぉ。ちゃんと集中を保ってねぇ」
「兄さま、頑張ってください」
「この程度の集中もできないなんて、あんたはほんと、お子様よね――」
言いたい放題。
だが、こんなに周囲から監視されていたら、気が散って当たり前だ。
そして口には出せないが、どうしても集中できない大きな理由がある。
「――でもね、あたし思うんだけどさ。アヤメさん、そんなに胸の開いた服着てたら、このスケベ王子が集中なんてできっこないんじゃない?」
「兄さま! そんな目でアヤメ様のこと見てるんですか? いやらしいです!」
「いやいや、そんなことないって……」
表面上は否定するしかないが、正直なところカズラの言ったことは図星だ。
アヤメが突き立てた人差し指。その指先に意識を集中させるのが、今やっている魔力を伝播させるための訓練。
だがその人差し指の延長線上にあるのは、アヤメの立派な胸。しかも、服の合わせから胸の谷間がのぞき、目のやり場に困る。
そんなものを目の前にチラつかされては、集中しろという方が無理ってものだ。
「それはそれで嬉しいわねぇ。じゃあ、こっちに集中してみる?」
「ダメに決まってるでしょ!」
胸を突き出してみせるアヤメを、慌てて一喝するカズラ。
しかし軽蔑の眼差しは、アザミとともにこちらへ向く。
挑発して見せたのはアヤメなのに、なぜ僕が悪者になるのか。
「もう少し、露出を抑えた服はお持ちじゃないですか? アヤメ様」
「そうねぇ、仕方ないわねぇ。ちょっと着替えてくるから、待っててねぇ」
「――ちょ……。アヤメさん、その服は……」
着替えて戻ってきたアヤメの服装に、みんなして驚く。
アヤメが着てきたのは、紛れもなく向こうの世界のブラウス。
僕はもちろん、アザミとカズラもしばらく日本で過ごしたから、珍しいわけではない。だが、ヒーズルで向こうの洋服を見るのは初めてだ。
「それって、あっちの服じゃないですか。アヤメさん行ったことあるんですか?」
「ないわよぉ。昔カズちゃんに、向こうのお土産頼んだら買ってきてくれたのぉ。人前では着られないこの服も、この顔ぶれならいいわよねぇ」
見せびらかすアヤメは、どことなく不満そうだ。露出していないと気がすまないのだろうか。
今度はボタンも留められ、しっかりと胸の谷間も隠されている。
そんなアヤメとは対照的に、アザミとカズラは満足そうだ。
「これなら、スケベ王子でも大丈夫でしょ」
「これで集中できますね。兄さま」
でも、二人はわかってない。
確かにこれで、胸の谷間は隠れたかもしれない。
だがこのブラウス、アヤメの大きすぎる胸をしまうには、あまりにも胸囲が足りなすぎる。弾け飛ばないように、必死に布地にしがみつくボタンが可哀想なぐらいだ。
これほどパツンパツンに、はちきれそうになっているブラウス姿を目の前にしたら、これはこれで集中には程遠い。
「じゃぁ、気を取り直して、もう一回やってみましょうかぁ」
「今度こそ真面目にやんなさいよ」
「頑張ってくださいね。兄さま」
再び向けられる、みんなの期待の眼差し。
頭の中では煩悩の嵐が吹き荒れているなんて、とてもじゃないが言えない。
こんな状況でも、やらないという選択肢はない。
アリバイ作りというわけではないが、やれるだけのことはやってみる。
「…………」
「まだ一週間なんだから、変化なくて当然よぉ。肩の力抜いてぇ」
「…………」
「そうそう、いい感じに集中できてるわよぉ。呼吸はそのまま、後頭部に力を入れる感じでぇ……」
――プツン。
弾け飛んだ、アヤメの胸のボタン。
こういうハプニングは心臓に悪い。集中力なんて一瞬で消し飛び、つい目を奪われる。
「進化論を無視した体形してるからよ。何を食べたら、そんなになるわけ?」
「あ、またチラチラ見てますね? もう兄さま、いやらしいです」
なんというアザミの観察眼。慌てて視線を外す。
だが、これはアヤメのせいだ。服が小さすぎたんだ。
アザミの冷たい視線をまだ感じるが、加害者扱いはいい迷惑。むしろ、巻き込まれた被害者と言ってもいい。
「今のは違うわよぉ。わたし、感じちゃったものぉ」
「な、何言ってるの。変なこと言わないで――」
「そうじゃなくてぇ。今、胸の辺りに魔力を感じたって言ってるのよぉ」
「なんですって!?」
いやいやいや、まさかそんな。
もしも魔法が発動したというのなら喜ばしいことだが、今度は逆に人間性を疑われるに違いない。ここは否定の一手だ。
「一週間じゃ魔力も貯まってないだろうし、全然実感なかったし……。そんなわけないでしょ」
「あらぁ、わからないわよぉ。王族の直系だったら、一週間で魔法を発動させたとしても全然驚かないわぁ。ほら、もう一つ弾き飛ばしてご覧なさいなぁ」
そう言って、挑発的に胸を突き出すアヤメ。
これは、絶対に弾き飛ばすわけにはいかない。ここをなんとかごまかせば、さっき弾けたのも事故だと言い張れる。
「あんた、ほんとにそんなところに集中してたわけ?」
「兄さま……不潔です……」
「してない、してない。魔法なんてまだ無理だって、きっと今のは事故だってば」
顔を背けようとするが、アヤメの両手がそれを許さない。
こめかみを押さえられ、胸を突き出される。はちきれそうなブラウスが、眼前に。
これは天国なのか、それとも地獄なのか。
凝視したくもあり、したくもなし。
さらに挑発的に身体を左右に振るアヤメ。当然のごとく、その大きな胸も左右にプルンと揺れる。
――プツン。
「最低……」
カズラの、ため息にも似た罵声が耳に届いた……。
「さ、もういいわよぉ」
むき出しの背中をアヤメが手のひらではたく。
ペチッっと小気味良い音が室内に響く。
「どうでしたか?」
「確かに魔力が感じられるわね。ビックリだわ、こんな短期間で」
「本当に!?」
自分に魔力。夢のような言葉に興奮が隠せない。
さっきのボタンを弾けさせたのが、僕の記念すべき初魔法だったということか。だがそのせいで今なお、カズラからは軽蔑の眼差しを感じる。
しかしアザミは、我が事のように嬉しそうな声をあげる。
「やっぱり兄さまは、本当に兄さまだったんですね!」
「それはまだぁ、結論を出すにはちょっと早すぎるわねぇ――」
しかし、簡単に首を縦に振らないアヤメ。
確かに魔力を有しただけで、王子確定とするには根拠に乏しそうだ。
「――まずはもっと魔力を高めてぇ、血統魔法を使ってみせて欲しいところねぇ」
「でも、魔力を有しているのがわかっただけでも、大きな一歩です。頑張ってくださいね、兄さま」
手を取って、嬉しそうな表情で上目遣いのアザミ。
期待感の大きさが、その握り締めた手の強さから伝わってくる。
こんな顔で激励されては、やる気が湧かないはずがない。より一層気合が入る。
その気持ちに呼応したのか、カズラから声がかかる。
「――さ、お次は武術の稽古よ。不純な性根を叩きなおしてあげるわ!」
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