第2章 特訓開始! 3
「ほら、息を吐く時にお腹を膨らますのよぉ! はいはい、胸は動かさずにね」
さっそく始まった訓練。さっきこの家に着いたばかりだというのに。
しかし、腹式呼吸と真逆のこの呼吸法、思った以上に難しい。訓練に付き合ってくれているアザミとカズラは、難なくこなしている。習慣の違いか。
「まさか、こんなところで苦労するとは思わなかったわねぇ」
大の字に仰向けになって、天井を見上げる。
太ももの上にまたがり、Tシャツはまくり上げられ、両手のひらをお腹に直接当てる教官のアヤメ。
息を吸うときに押さえ込まれて、吐くときに緩められる。
呼吸法の鍛錬のための介助とはいえ、この体勢は赤面物だ。こちらを見る、アザミとカズラの視線が痛い。
でも、教官のやることなんだから仕方がない。そう、仕方がないのだ。
「あのー、アヤメ様……。さっきから、妙に兄さまに密着しているように思えるのですが……」
「あんたもニヤニヤして、いやらしいわね。妙な気起こしてるんじゃないの?」
「あらぁ? わたしのこと、そんな目で見てたのぉ? 嬉しいわぁ」
「そ、そんなわけないですよ。今はとにかく、ま、魔法の特訓で、て、て、て、手一杯ですから。そんな余裕ないですって……」
慌てて否定してみたものの、これだけ声が上ずっては逆効果な気がする。
そして何も考えずに跳ね起きたものだから、アヤメとの距離も急接近。目の前には大きな二つの胸の膨らみ。
そこへさらに追い打ちをかけるように胸の谷間を突き出して、アヤメが舌なめずりをしながら、拗ねてみせる。
「えぇ……。わたしじゃ、おばちゃんだからダメなのぉ? 寂しいわぁ。あらぁ? でも……嬉しい反応してくれてるところもあるみたいよぉ」
「あー、あー。ちょっとダメですって。トイレ行きたいんで、降りてください!」
完全にからかわれている。そりゃ、アヤメの実年齢なら僕なんてガキ扱いだろう。
だがこの見た目は反則すぎだ。これで無反応だったら、男として終わっている。
とはいえ、この場は緊急退避。背に腹は代えられない。
「ごゆっくりぃ」
「まったく、何慌ててんのよ。あいつは」
「兄さま、大丈夫ですかー?」
呼吸法の次は、カズラから武術の手ほどきを受ける。
「ほらほら、そんなんじゃアザミどころか、自分の身だって守れやしないわよ!」
「はぁ、はぁ……ぐっ」
「あ、ごめん。寸止めするつもりだったんだけど……」
腹にまともに一撃。思わずうずくまる。
容赦のないカズラの指導は厳しいが、これも少しは自分を強くするため。カズラの言う通り、いつまでも守られてばかりじゃ足手まといでしかない。
「ケガしない程度なら構わないよ。痛い目に遭った方が、必死になれるし」
「言うじゃない。遠慮なく行くわよ」
――ガツッ。
「ああ、兄さま! 兄さま!」
「ちょ、ちょっと。誘い出しのための囮の大振りに当たってどうすんのよ」
上段への蹴りが炸裂。たまらず顔を押さえて、のたうち回る。
回避にだけ集中していたつもりなのに、全然見えなかった。カズラの蹴りが鋭すぎるのか、それとも僕の反射神経が鈍すぎるのか。
毎回のように初撃を食らって、そのまま休憩では何の進展もない。
「これじゃ、あたしが一方的にいたぶってるみたいじゃないのよ。いじめてるみたいで気分悪いわ」
言葉と裏腹に、心なしか笑みが浮かんでいるように見えるカズラ。
ストレス発散のサンドバッグにされているのではと、不安を拭えない。
「もうちょっとだけ、お手柔らかに頼むよ……」
「仕方ないわね。じゃあ、事前に申告してあげるから、避けることだけに集中しなさいよ。いいわね」
「さすがに、それならなんとかなりそうだ。お願いします!」
「さっきと同じ蹴りを入れるわよ。いいわね!」
――ガツッ。
目の前が真っ暗になった……。
「さあ、夕食の後は兄さまの苦手なヒーズル文字の練習ですよ」
スチール製ではないものの、黒板にチョーク。まるで学校の授業のような雰囲気。
アザミが文字を読み上げながら書いていく。
時々通じない単語があるものの、会話はほぼ日本語。だから文字さえ覚えてしまえば、言葉に不自由はない。
だが、記号が並んで見えるヒーズル文字は、似たような形ばかりで覚えにくい。
「平仮名にはこういう風に規則性があるので、それを憶えてしまえばそんなに難しくないんですよ。兄さま」
「うーん……。確かに規則性があって、点字みたいだね。数字は種類も少ないからすぐ覚えたけど、平仮名になってくるとなかなか……」
「そんなところで躓いていては、先が思いやられますよ、兄さま。その先には、漢字も――」
容赦なく眠気が襲う。
やっぱり、食後のこの時間に座学というのは無謀だ。学生時代も、午後の授業には何度睡魔に負けたことか。
ヒーズルにこの先も住むのなら、文字の習得は必須。その他にも規則、マナーなど、覚えなくてはならないことは山積みだ。
さらに王子になろうなんていうなら、法律や国の情勢、近隣の状況など、途方もない勉強が待っていることだろう。
そんなことを考えると、頭痛が……、いやその前に睡魔が…………。
「――兄さま、聞いてるんですか? ちょ、ちょっと兄さま、寝ないでください。兄さま。兄さまってば…………」
身体を揺さぶられてその場は目が覚めるものの、また睡魔が襲う。
眠りに落ちていく心地よさを何度も味わえるのは悪い気分ではないが、その都度起こされる不快感とセットだと複雑なところだ。
「――王子、ただ今戻りました」
そこへ、ケンゴの捜索から帰宅するマスター。
今日はチョージを探ってくれていたはずだが、収穫はあったのだろうか。
さすがに気になって目を開くが、映ったのは芳しくない様子のマスターの表情。
これは期待できそうもない。
「どう、でしたか……?」
「まず、ヘイスケという男は既に仕事を辞めていたらしく、いませんでした」
「それじゃ、僕が訪ねても大丈夫ですね」
「いえいえ、人に会うのはまだお控えください。どこに人の目があるかわかりませんからな。探りなら、わたくしが入れてまいりますので」
どうやら当分、ここに軟禁の気配。だが、暇を持て余す心配だけはなさそうだ。
学習することが山積みな上に、肝心の魔法も習得しなければならない。
そして魔法はアヤメ、武術はカズラ、座学はアザミと講師まで揃っている。
むしろ、休む暇を与えてくれるかの方が心配だ。
「それで、ケンゴさんの手掛かりは何か掴めましたか?」
「……それが、残念ながら……」
ケンゴの安否は気になるが、チョージのところでも手掛かりなしとなると、もう思いつく場所はない。お手上げだ。
そんな状況で僕がシータウの捜索をしたところで、雲をつかむような話。
ならば捜索はマスターに任せて、僕は僕で確実にできることをやるべきだろう。
「わかりました。マスターは引き続き、ケンゴさんの捜索をお願いできますか?」
「かしこまりました。ご期待に沿えるよう、尽力いたします。ですので、王子も魔法の習得にお励みください」
今後の生活スケジュールを頭に浮かべると、目の前が真っ暗になりそうだ。
だが、弱音は吐いていられない。
魔力が蓄積されるのにひと月。その間に、この国の知識を深めておかなくては。
そう思うとやる気が湧き、自然と拳に力が入る。
「――やる気あるみたいね。いい心がけだわ。じゃあ、今からまた稽古つけてあげるから表に出なさい。手加減はなしよ」
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