異世界に行ったら僕の居場所はありますか? ~第2部

プロローグ

プロローグ

 カーオーディオからは、興味のない最近の流行歌が音量を控えめに流れている。

 身体を窮屈に折り畳み、軽自動車の後部座席でぼんやりと外を眺めるが、目に映るのは高速道路の防音壁のみだ。

 きついカーブに重心が取られると同時に、右の肩に柔らかい重みを感じる。

 少し前までは目に映るもの全てを見逃すまいと、ひっきりなしに右の窓、左の窓、背面の窓、そして身を乗り出し気味に正面と、落ち着きなく観察していたが、さすがに疲れた様子のアザミは、寝息を立てて僕に寄り掛かっている。


山王子さんのうじくーん、そーろそろ、事情話してくれてもいいんじゃないかなー?」


 三人でドライブを始めてそろそろ一時間。

 未だに僕が沈黙を続けることにしびれを切らしたのか、運転席から甘い口調に嫌味を含ませて尋ねてきたのは職場の上司、主任の皆川みながわ 久子ひさこだ。彼女は僕より三歳年上になる。

 沈黙を貫くつもりはないのだが事情が事情なだけに、何から話せばいいか、そしてどこまで話していいかと、ずっと考えあぐねているところだ。

 そんな折、道路の継ぎ目で車が軽く跳ね、振動でアザミが目を覚ます。


「あっ、すみません……」


 慌ててもたれ掛かっていた肩から姿勢を正し、軽い謝罪をした。

 そして主任がタイミング良く、興味津々な様子で再び尋ねる。


「それでその子は誰なのよー。彼女? には見えないわよね……。妹さん? とも思えないし……」


 さっきから主任が、ルームミラーでチラチラと様子を伺っていたのはわかっている。

 確かに彼女や妹だったら、肩にもたれ掛かったぐらいで謝るはずもないだろう。


「えーと、私は……その、カズトさんに助けていただいて……」

「カズトさん? あーら、偽名なんて使って悪い人ねー、山王子 玲央さんのうじ れおくん」

「え? レオ? じゃあ本当に兄さまなのですか!?」


 運転席からはからかわれて、隣からは猛烈な勢いで問い詰められた。

 僕が兄という設定は初対面の時に、アザミ自身が身を守るためについた嘘じゃないか。寝起きで寝ぼけているのだろうか。

 主任への事情説明をどうするか、もう少しで纏まりそうだったのに『助けられた』なんてアザミが答えたので筋書きが使えなくなってしまった。だから余計な受け答えはしなくていいと、アザミには言っておいたのだが……。



 ――何でこんな状況になったかといえば、三時間ほど前にさかのぼる。


 こっちの世界に戻って来て最初に出迎えたのは、この身を切るような寒さだった。

 アザミはカウチンセーターのパーカーなので少しはましかもしれないが、それでも充分ではないだろう。そして僕の着ている安っぽいセーターは、この寒さの中ではインナー扱いにしかならないような代物だ。


 ひとまず、手近なコンビニに飛び込んで暖を取る。

 僕はこっちへ来る予定じゃなかったので、荷物も全部置いてきてしまった。アザミも最後のロニスの妨害のせいでカバンは持ってこれなかったようで、たすき掛けにしたショルダーバッグを一つ持ち込むのがやっとだったみたいだ。

 財布だけでもあれば、急場を凌いで自宅に帰れたのに……。

 よく交番でお金を借りたという話を耳にするので、それもありだろうか。いやいや、この真冬並みの寒さの夜中に男女二人がパーカーとセーターだけで、さらに僕は痛みで足を引きずっている状況だ。すぐさま事情聴取が始まって、アザミの身元が証明できないことが発覚するのは想像に容易い。そうなればお金を借りるどころではないだろう。


 横を見るとアザミはフードを目深に被り、完全に怯え切っている。

 彼女にとっては珍しい物で溢れかえるはずのこのコンビニで、好奇心よりも恐怖心の方が上回っているようだ。レジに立つ店員の死角に入るように僕に寄り添って、元々大きくない身体をさらに小さくしていた。

 怪訝そうにこちらを見るコンビニ店員の視線に、僕でさえも後ろめたさを感じ始めた時だった。


 ――ポケットの中に懐かしい振動を感じる。


 そういえば、携帯電話をポケットに入れていたことを思い出す。

 向こうの世界で懐中電灯代わりに使った時に電源を入れていたので、こちらの世界に帰るなり電波を受信したのか。

 半月振りなので山のような通知の数だ。メール類は後でゆっくり読むとして、優先度の高そうな留守番電話から再生する。


「山王子! 貴様仕事を何だと思ってんだ! 今すぐ連絡寄越せ、わかったな!」


 久しぶりに聞くこちらの世界の第一声は、罵声を浴びせる課長だった。

 その後も七、八軒、人は替わるものの同じような内容が続き、ため息が漏れる。突然消息を絶ったのだから、各方面から激昂する伝言が入るのも当然だろう。わかってはいたことだが、さすがにこうも続くと気が滅入ってくる。最後まで聞く気力を失い、再生を打ち切ろうかと思った時、女性の声が聞こえてきた。


「山王子くん、突然連絡が取れなくなったので心配してます。家も訪ねたけど不在のようだし……。とにかく連絡ちょうだいね。待ってます」


 主任の声だった。

 罵声や怒声ばかりの留守電の中で、唯一僕を心配してくれた伝言に目が潤む。

 仕事でミスしたときもかばってくれたのは主任ぐらいだったし、高卒を馬鹿にされたときも本気で言い返してくれた。会社には何の思い入れも残っていないが、いつも目に掛けてくれていた主任を思うと胸が痛む。


 ――全てを打ち明けるというのは無理だが、無事は伝えたい。


 そう思った次の瞬間、夜中の三時だということも忘れて電話を掛けていた……。



 主任には本当に頭が上がらない。

 夜中の電話にもかかわらず、すぐ迎えに行くからじっとしているように言われた。主任の家は川越、そしてここは群馬、しかも今日は平日だというのに……。

 そんな主任に嘘をつくのは忍びないが、『異世界から王女様を連れてきました』なんて言えるはずもない。


「アザミは小さい頃に生き別れた僕の妹です。迎えに来たんですが、携帯の電波の届かない所で遭難してしまって……」


 事態の収束を図るためとはいえ、嘘が下手すぎる。

 大体、半月も遭難していたらニュースになってもおかしくない。だが主任は深く追求せず「そっか、そっか」と軽く受け答える。今は事情が話せないと察してくれたのだろう。

 むしろ隣のアザミの方が心配だ。

 腕にしがみつき、目を輝かせている。まさか今の辻褄合わせの言葉で、何かのスイッチでも入れてしまったのだろうか。

 高速道路を降りて風景が見慣れた街並みに変わる。自宅までもう間もなくだ。



 まだまだ夜の明けぬ闇の中、自宅の安アパートの前に車が止まり、二人が降ろされる。

 この時間は深夜以上に寒い。

 正直言えば、すぐにでも家に駆け込んで暖房をガンガンとかけ、早くこの身体を温めたいところだ。だがその前に、家まで送り届けてくれた主任への感謝を形に表しておかなければならない。

 白い息を吐きながら二人で深々と頭を下げる。

 主任もこの後は出勤が控えているので、助手席側の窓を開けて手短に別れの言葉を掛ける。現実的なその言葉は、異世界での暮らしに終わりを告げたことを実感させるには充分すぎた。




「――ちゃんと出社するのよ、いいわね」

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