第4章 美味しい物は人を笑顔にする 4
「――さすがに疲れたわね」
通されたのは四人席。
壁を背にしたソファーにアザミとカズラ。アザミの向かいの椅子席にケンゴ、そして、カズラの向かいが僕だ。
周囲のテーブルを見ると、ここは甘味屋らしい。
看板も読めず、入ってみるまで何の店かもわからないのだから、自立には程遠いと痛感する。
今日も、昨日と同じように日差しが強い。
歩いているだけで汗が滲む暑さだが、店内は日陰で風通しが良く、随分と涼しく感じる。もちろん、エアコンどころか扇風機もないのだが。
「あたしはあんみつね。それと、お茶も」
「あ、私もそれでお願いします」
あまりにも早い決断。品書きなど見てもいない。
注文する物を選んだというよりは、それを注文するためにこの店を選んだと言った方が正しそうだ。
自分たちは早々に注文の品を決めて、両手をパタパタと団扇のように扇ぎ始める。
「あんたたちも早く決めなさいよ。いつまで経っても注文できないじゃないのよ」
「そんなに急かさなくてもいいじゃない、カズラ」
いつものカズラが帰ってきた。煽られつつも、そんな感情が先に立つ。
しかし、メニューを見たところで記号の羅列。見るだけ時間の無駄。
適当に注文をして、この世界にないものだったら困る。ここは無難に、ケンゴの注文の品に乗っかる。
「じゃあ、俺は団子にすっかな」
「あ、僕もそれで」
注文した『あんみつ』がテーブルに運ばれ、目を輝かせるアザミとカズラ。
女性が甘い物に目がないのも全世界共通か。そういう自分も嫌いではないが。
「噂通りだわ」
「美味しい!」
初めて『あんみつ』を食べたような口ぶり。
良家すぎて、庶民の食べ物など口に入れたことがないのだろうか。
初めて見せるほどの、満面の笑みのカズラ。思わず刮目する。
整った目鼻立ち、大きい瞳、そして黒い髪。
怒鳴られる度につい目を逸らしてしまうので、じっくりとその顔を見ていなかった。だが改めてこうして見ると、かなりの美人だと再認識。
しかし騙されてはいけない、口の悪さを思い出せ、幻想を見るな……。
続いて運ばれてくる、二串のみたらし団子。
そして、四人の中央に置かれる団子の皿。
あんみつに夢中になっていた二人の手が止まり、それをじっと見つめる。
魔力のない僕でも、これぐらいはわかる。この熱い視線は『一口欲しい』だ。
ご機嫌取りにでもなればと、自分の分の団子を手に取り、カズラの前に差し出す。
カズラは嬉しそうに、その大きい瞳を輝かせた。
「わかってるじゃなーい」
僕への好意的な発言。初めて聞く、甘えたような声。
思わず、少しときめく。
カズラは、差し出した串に顔を寄せ、先端の一つを咥え取る。
そしてゆっくりと、口の中で食感と味を楽しむと、満足そうに飲み込んだ。
「これも美味しいわ! アザミも食べてごらんなさいよ」
「え、でも悪いわよ……」
僕の注文の品だというのに、勝手に勧めるカズラ。
そして遠慮しながらも、団子を注視するアザミ。食べる気満々にしか見えない。
ケンゴの分から一つあげれば良いんじゃないかと隣を見たが、ケンゴは絶対に譲らないという構え。
どうやら刺さっていた三つの団子のうち、二つが消えてなくなりそうだ。
「どうぞ」
アザミにも、気前よく団子を差し出す。どうせケンゴの奢りだ。
遠慮していたはずのアザミ。しかし差し出してみたら、待ってましたとばかりに咥えついた。
「あんみつも、お団子もほんと美味しいね。来て良かったわ、カズラ」
美味しそうに団子を頬張るアザミ。
こちらも、今まで見た中で最高の笑顔だ。やはり、美味しい物は人を笑顔にする。
少し垂れ気味の優しい目。やや低めの愛嬌のある鼻。柔らかそうな頬と唇。
赤みがかった長めの髪も、軽くパーマが掛かっていて、とても似合っている。
こんな可愛い子が、こんなに嬉しそうな表情で笑っている。団子の一つぐらいちっとも惜しくない。惜しくないさ……。
どうやら、出掛ける前の事故は完全に過去の出来事。もう、完全に水に流してもらえたと思って良さそうだ。
そんなことを考えると、思い出されるのはあの後ろ姿。本人を目の前にして思い出すなんてやばすぎる。いかんいかん、静まれ静まれ……。
妄想を振り払い、残った団子を口に運ぼうとすると――。
「ちょっと待ちなさい。それをあんたが食べたら、アザミと間接キスじゃないの」
言葉と同時に奪い去られる、団子の串。
呆然とする間もなく、最後の一つがカズラの口に運ばれる。
間接キスという言葉がこっちにもあることがわかったが、勉強代としては空しい。
横を見るとケンゴもとっくに完食し、満足そうな表情を浮かべていた。
あらかた食べ終わったとみて、店員がお茶を補充する。
やはり、甘味の後のお茶は至福だ。いや、至福のはずだ。
僕だけは、ただの二杯目のお茶だった。
「ところでお嬢さん方、ついつい聞きそびれちまってたんだが、家出でもしてきたのかい?」
和やかなムードだった二人の表情が、一気に険しくなる。
何もこんな場所で、突然そんな話をしなくてもと、ケンゴに少し不満をいだく。
「…………」
「…………」
二人とも押し黙り、口を開く様子はない。
きっと良家からの家出。簡単に口を割るような、軽い事情ではないだろう。
それにいくら助けられたとはいえ、相手は昨日出会ったばかりの男。
そこまで気は許していないだろうから、沈黙を貫くのも無理はない。
「事情もわからんから、咎めるつもりはねえ。聞きてえのは家出したことを後悔してんのか、それとも絶対に帰るわけにはいかねえのかってことだ」
緊迫した表情のケンゴ。
さっきまでの、団子に舌鼓を打っていた雰囲気はどこにもない。
そして、その言葉に顔を上げるアザミ。
力強い眼差し。はっきりとした口調。そして覚悟を感じさせる言葉。
「助けていただいたのに、詳しく話せなくてごめんなさい。でも、少なくとも今は帰れません」
「そうかい、理由なんて話したくなければ無理に話さなくてもいいさ。でもよ、ああいう奴から逃げ回ってるんじゃないかと思ってな……」
そう言うとケンゴは、親指をクイクイと店の入り口の方へと向けた。
その指し示す先には、この街には似つかわしくない、整った身なりの青年。店員にあれこれと、身振り手振りで尋ねている。
アザミとカズラに目を向けると、こわばった表情。
互いに手を取り、固く握りしめ合う二人。
間違いなく、その挙動の理由はあの青年。どうやら、ケンゴの予感が的中したらしい。
身を隠すために、机の下に潜り込もうとする二人。
だが、その動作の途中で動きが止まる。
青年に気付かれたようで、目が合ったらしい。
アザミは首をすくめ、怯え切った眼を細める。
カズラはゲークスの時を思い起こさせるように、自分の背後にアザミを隠すようにしてかばう。だが、あのときのような勇ましさは鳴りを潜め、不安そうで弱々しい。
青年は一つしかない出入り口を背に、一心不乱にこちらにズカズカと近づきながら、声を荒げる。一歩一歩近づいて来る青年に、二人はより一層怖気づく。
「お探し致しましたよ。さあ、早くお屋敷に戻りましょう」
白手袋をはめた青年は、その右手を差し出しながら、一歩ずつ着実に歩み寄る。
そして僕の横へと差し掛かった時、身体を一瞬浮かび上がらせ、そのまま酷く惨めな音を立てて床にその身を叩きつけた。
僕の突き出した右足に、まんまと躓いたからだ。
そして、起き上がろうとするところへ座っていた椅子を嵌め、身体の自由を奪う。
「今だ! 逃げろ!」
僕の掛け声に合わせ、駆け出す三人。
「良くやったわ! お手柄よ!」
カズラが誉め言葉を掛けながら、アザミの手を取り、逃げ出して行く。
そしてケンゴは「支払いは、あの金持ちの青年がするからよ」と、調子のいいセリフを店員に残し、二人の後に続いて店を飛び出す。
三人は店から無事逃げ出した。時間稼ぎももう充分だろう。僕も遅れて後に続く。
走りながら振り返ると、店を出たところで棒立ちの青年。
もう間に合わないと諦めたのだろう。
こちらに向かって、悲痛な叫び声を上げる。
「――王女さまー! なにとぞお戻りくださーい!」
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