空気食ダイエット
歳のせいか、めっきり痩せづらくなってきた。
学生時代はあれだけ沢山の食事を腹の中に放り込んでいたにも関わらず、一体どこへ消えてしまうのかと言うぐらいほとんど体型が変わることは無かったのに、今じゃ食事の量はあの頃と比べて明らかに減ってるにも関わらずすぐ太る。
焦って食事制限したり運動しても反応の薄いこと薄いこと。
何か良い方法は無いものか……と、本業の仕事よりも必死になって調べまくった結果、たどり着いた究極のダイエット方法。
その名も……空気食ダイエット!
空食学の権威であるウィルチェンスター・ロディアルス教授が考案した画期的な痩身法で、その名前が示す通り〈空気〉のみを食べることにより、信じられないほどのスピードで体重を減らせるという画期的なダイエット法である。
もちろん、絶食することの比喩としてそう言ってるわけではなく、文字通り空気を食べるのだ。
ロディアルス教授によると、長年の研究結果により空気には人間が生きて行く上で欠かせない栄養素が全て含まれているという。
ちょっとでも知識を持っている者からしたら「なに言ってんだおい」とツッコミを入れたくなってしまうだろうが、教授はあらゆる反論を論破し、はねのけて見せた。
その際の大きな武器となったのが<空気の熟成>という概念。
ただの空気であれば、当然のことながら全ての栄養素を賄うなんてことは到底無理。
しかし、ある特定の条件下において空気は熟成され、タンパク質やアミノ酸、脂質やビタミンなどの栄養素が発生するのだ!
……と言っても、私には何でそうなるのか、そのメカニズムに関しては何も理解できない。
重要なのは、教授の言う通りにやれば空気を食べるだけで生きていける、それに尽きる。
ただ、空気を食べるだけで痩せるというのはあまりにもトンデモ無い発想で、都合が良すぎなため、詐欺などの類いなんじゃないかと疑う者も少なくなかった。
しかし、その点に関しては私でも論破できる。
まず、空気は誰でも無料で手に入れることができる。
そして、肝心の〈空気熟成法〉は教授が開設した公式サイトに掲載されており、お金を払う必要も無ければ、会員登録する必要すら無く、誰でも自由に閲覧できるのである。
つまり、詐欺の魔の手が入り込む余地が一切無いというわけ。
それでもなんだか薄気味悪いと思う人は少なからず居たが、ここ数年、ちょっとポッチャリしてきたんじゃないと密かに囁かれ続けていた国民的美人女優が突然綺麗に痩せた姿を見せ、それが〈空気食ダイエット〉のおかげだと明言したことから、不信感という名のモヤモヤしたベールが取れ、堰を切ったように世間に浸透し、一大ブームになりかけていた。
と言うわけで、私も実践してみることにした。
ロディアルス教授によると、空気を熟成するために一番必要なものは〈集中力〉。
私の苦手分野だが、教授はそんな人のためへの対策法まで用意してくれていた。
それは、空食法を実践する前に全裸になって鏡の前に立つ、ただそれだけ。
そして、だらしない現実を直視した上で、理想の自分を頭に思い浮かべる。
さらに、一番愛している人、好きな人を頭の中に登場させる。
最後に、再び現実を映す鏡を見る。
……めちゃくちゃやる気が出てきたよおい!
ロディアルス教授……いや、ロディ、ありがとう!!
そんなこんなで、いよいよ空気食ダイエットスタート!
まず、陽当たりの良い場所に移動する。
私の家であれば、ちょうどこの時間帯に燦々と日が射し込むリビングの窓際が最適だ。
そこへ移動し、ヒシ座する。
……あっ、もしかしてヒシ座を知らない人が居るかもしれないので、簡単に説明しておく。
ヒシ座とは、尻を床につけ、脚を伸ばし、膝を曲げながら両足裏をくっつけて、“◇”の形にする座り方である。
これが、空気食ダイエットの基本姿勢。
そして脇をギュッと締めた状態で誰かが目の前を通り過ぎるのを待つ。
誰かとは、家族でも友達でも、猫や犬のペットでも、生きとし生けるものであれば何でも良い。
ただ、自分からお願いするのはNGなので、とにかくひたすら待たければならない。
なお余談だが、当然のことながら虫でもオッケーなので、虫が沢山湧いてる家に住んでる人ほど痩せている傾向があるのはこれが理由と言われている。
私の場合、待っているのは猫のマルゲリータ。
モッツァレラチーズのように白くてモチモチした愛猫が通り過ぎるのをひたすら待ち続ける。
この時、必ずスマホをいじることを忘れないように。
ただボケッとしてしまうと、空気の熟成が弱まってしまう……と、ロディが言っていた。
というわけで、餃子の美味しい店を検索……って危ない危ない!
無意識に指が動いてしまった……すまんロディ。
ダイエットしようとしてるにも関わらず、あろうことか餃子を検索してしまうなんて──。
(……べつに大丈夫ダヨ)
「あ、ありがとう……って、ええっ!? だ、誰!?」
ヒシ座の姿勢を崩さないように頭だけ動かしてリビングを見回すが、間違い無く私以外に誰も居ない。
テーブルの下にマルゲリータの背中が見えたけど、どう考えても猫の鳴き声には──。
(……ニャー……)
「えっ!? も、もしかして、マルゲリータが!?」
(……ごめん。違う。ちょっと調子に乗っちゃったヨ)
「なんだよ! ちょっと期待したじゃない! って誰よ!」
(……ロディだよ。ウィルチェンスター・ロディアルスダヨ……)
「……えっ!? 空気食ダイエットの??」
(……そうダヨ……空気食ダイエットのダヨ……)
「マジで!? って、なんで教授が私のリビングに??」
(……違うヨ……ここに居るわけじゃないんダヨ……空気を熟成する過程において稀に発生〈空気間通話現象〉が起きちゃってるみたいダネ……)
「うっそ! あの、空気間通話現象が!? ……って、なに?」
(……細かく説明する? 28時間ぐらいかかるケド……?)
「あっ、結構でーす。とにかく、遠く離れたエディさん本人で間違いないってこと? ちょっと信じられないけど……」
(……まあイイヨ。信じる信じない別として、暇だからお話しまショウヨ……)
「う、うん……まあ、こっちもマルゲリータ待ちで暇と言えば暇だし、もし本当にエディさんだったら光栄なんで、騙されたと思って受け入れようかな」
(……だ、騙す!? ボクがアナタを騙すだって!? そんなことするわけないでショ! 人生の大半を捧げた貴重な研究結果を好意で無償公開してるのに、みんなサギだの何だの言ってきてもうやんなっちゃってるノニ……シクシク……)
うわっ、なんかちょっと可愛そう……。
確かに、言ってることがあまりにも都合良すぎて胡散臭いし、このご時世だから誰もが詐欺を疑っちゃうのは仕方無いけど、ただ純粋に皆が簡単に痩せる方法を好意で公開してるんだとしたら、それを攻められちゃうのはあまりにも可愛そうだよね……。
「ごめんロディ。言い方が悪かったよ。空気が熟成できるまでの間、私とお話して下さい!」
(……ほ、ホントに?……)
「う、うん。ホントだよ」
(……ホントにホント?……)
「う、うん。ホントにホントだよ……」
むむむ……なにこれ。
詐欺とかそういうの以前に、ちょっと面倒くさい人なんじゃ……。
(……面倒くさい人とか思ってナイ??……)
「ギクッ! って、思ってないよ、やだなもうアハハ……って、じゃあ質問! ロディは何で空気を食べるなんていう研究を始めたの?」
(……良い質問キター!! ほら、ボクって見た目こんなジャン?……)
「いや、見えないんですけど……」
(……ハハハ! ボクとしたことが! えっと、言葉で説明するのは恥ずかしいのでスガ、超デブなノネ……)
「あ、そうなんだ……まあでも、そのおかげで空気食ダイエットという画期的な発見をしたんだもんね。マイナスをプラスに変えられる人って凄いなぁって思うよ。ほんと、憧れちゃうなぁ~」
(……そ、そうカナ?? フフフ、そう言われると嬉しいナァ! でも、なんでボクは未だに超デブなんでショウカ……?)
「えっ? 空気食ダイエットの第一人者なのに?? それは聞きたく無かったなぁ……ちょっとモチベーションが……」
(……あっ、勘違いしないで下サイ! 空気食ダイエットは間違い無く究極の痩身術なんデース! 私が未だに超デブなのは、映画を観るとき必ずスナック菓子とピザを食べる習慣が止められないからなんデース! 安心して下サーイ!!)
「いや、だったら映画を観るのをちょっと控えるとか……」
(……なんてこと言うのですカー! 私から映画を取ったら脂肪しか残らないノニ! あなた鬼デスカ? 悪魔デスカ? それとも……それとも……あれ、他に悪いヤツっていましたでしょうカ……? もの凄い悪いヤツに喩えてケチョンケチョンにしてやりたい気持ちが山々なのデスガ……)
「そこまで言う!? 悪かったよもう、ごめんなさい! 映画は面白いもんね。映画を観ながら食べるスナック菓子とピザは美味しいもんね。ロディ、私だってその気持ち本当によく分かるよ。でも、どうしても痩せなきゃいけない理由があるんだよ」
(……ほう、なんデスカ? プライバシーに関わる事なら答えなくても大丈夫ですケド。コンプライアンスを重視しないと何を言われるか分かったもんじゃありませんノデ……)
「フフッ、大丈夫だよ。今度ね、結婚するんだ」
(……おお、そーでしたカ! それはそれはおめでとうございマス!!)
「ありがと。でね、式を挙げるんだけどそれまで痩せときたいじゃん。一生に1度の晴れ舞台だし、できる限り美しい姿で迎えたいじゃない……ってね」
(……わかりマス、わかりマス。ボクも奥さんと結婚するとき頑張って痩せようとしたのデスガ、プレッシャーが大きくて逆に体も大きくなっちゃッテ……)
「……プッ! ロディ、面白過ぎ」
(……ハハハ、ウケたみたいで良かったデス。アナタはそうならないように頑張ってくだサイネ)
「うん、ありがとう! 発案者から励まして貰えたら本当に頑張れる気がするよ!」
(……こちらこそ、私の考案したダイエット法を実践して貰ってるだけで光栄デス。これもナニカの縁。まだ公式サイトには掲載されていない、空気食ダイエットに関するとっておきの方法を教えて差し上げまショウ!)
「えっ、うそっ、ホントに?」
(……ハイ。こんなことで嘘をついて今までの功績に泥を塗るような真似をすると思いまスカ?)
「フフッ、だよね。それじゃ、ありがたく教えて貰いまーす!」
(……オッケー。アナタも実際やってる通り、集中する際の姿勢としてヒシ座を推奨していマスガ、実はそれより効率の良い姿勢というものがありまシテ……)
「なにそれ、すごい気になる!!」
(……ハイ。それは〈アンド座〉と言って、記号の『&』のように脚を組み……あっ、ごめんなサイ! 緊急事態が……!)
「えっ!? ロディ大丈夫?? もしかして、最愛の奥さんに何か!? それとも、極秘の研究結果を盗もうと企む不届き者が──」
(……いや、そんなんじゃないんデス。ピザが届いたんデス。これから奥さんと一緒に映画を観るんデス。テーブル一面にスナック菓子を敷き詰めて、あとはピザが届くのを待ってる時にこの通話が始まったんデスヨ。ちゃんとコーラもありますし、しょっぱいだけだとアレだから甘いチョコレートやシュークリーム、ミルクレープなどもちゃんと冷蔵庫に待機してマスシ、ピザのサイドメニューとしてチキンスティックやポテトフライ、ピザ屋特製のブルンブルン生クリームがたっぷり乗ったパンケーキも──)
「いやぁぁぁぁ!! 分かったからもうやめてぇぇぇぇ! 奥さんによろしくさようならまたね!!」
ロディの飯テロ攻撃を遮るように、私は空気間通話を切った。
……いや、違う。
私はその切り方なんてもちろん知らない。
じゃあ、誰が通話を切ってくれたのかと言えば……。
「……にゃあ」
愛猫のマルゲリータは私の目の前を通り過ぎると、窓に背中をくっつけるようにして体を丸めた。
「……さすが、愛しのマルちゃん! 結婚しても、ずっと一緒によろしくね!」
私は感謝の言葉を投げかけつつ、空気食ダイエットを再開した。
〈了〉
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