尻に伝説の剣が刺さった昼下がり

 日曜の昼下がり。

 青く晴れ渡った空の下、僕はあてもなくブラブラと近所を散歩していた。

 顔見知りのおばさんとすれ違い様に談笑したり、よく見かける野良猫の寝顔に癒やされたり、とても平和な時間を過ごしていた……のだが。


「……ん? な、なんだあれは……!?」


 人通りの少ない路地裏に差し掛かった時、向こうからあやしげな人間がやって来るのに気付き、足を止めて観察モードに突入。

 推定身長185センチ。

 独特な形をした布の服を身にまとい、背中に羽織った大きな紫色のマントが歩く度に揺れている。

 整った顔立ちに、派手な色の髪の毛をツンツンと立たせている。

 その時点でちょっとアレっぽいと思ったが、決定的なのが両手に持ったブツ。

 左手に大きな盾、そして右手には鋭い剣を持っていて……。


「ゆ、勇者じゃね!?」


 あまりにも条件が揃いすぎてるせいで、思わず心の声が口から漏れ出てしまった。

 いや、まさか……。

 百歩譲ってそういう存在が現実に居るとして、こんな平和な住宅街を歩いてるわけが無いでしょ!

 もっと、いかにも魔物が棲んでそうな妖しい雰囲気の森とか廃墟とか──。


「出たな! ゴブリン!! てやぁぁぁ!!」


 突然、その勇者っぽいヤツがこっちに向かって走り出した。


「えっ……ええっ!?」


 なにこの状況!?

 あっ、もしかして、いつのまにか悪い魔女か何かに呪いをかけられて、見た目がゴブリンみたいになっちゃったとか……。

 と、心配になってポケットからスマホを取りだし、セルフカメラで自分の顔を確認してみた。

 そこにはとんでもない化け物が……なんてことは無く、画面にはちゃんといつもと変わらない自分の顔が映っていた。


「ふぅ、焦ったなもう。ってことは、あの人なんか勘違いしてるのかな……あっ、もしかして、僕の後ろに……」


 と、念のため振り向いて確認してみたが、突き当たりまで人間も人間じゃ無い何かの姿も見えなかった。


「じゃあ、なんで……わっ!」


 正面に向き直るや否や、勇者はもうすぐそこまで来ていた。

 しかも、やってやるぞ感たっぷりの表情で、右手に構えた剣を思いきり振りかざすしている。


「食らえ! 伝説の剣!!」

「……いやいや、ちょっと待って! 人間! 僕、人間だから!!」

「ほざけ! 醜い顔をしたゴブリンが!!」


 ……はいっ??

 ちょっと、さすがにそれは失礼すぎじゃないですか??

 いや、そりゃ、イケメンとまでは口が裂けでも言えないですよ。

 でもね、別に太ってるわけでもなく、定期的に美容院に行って髪も整えてるし、清潔感もある方だし、醜いなんて言われるのは心外だっつーの!!

 住宅街に現れた勇者に対する違和感よりも、鋭く尖った剣に対する恐怖心よりも、失礼な言葉に対する怒りが勝り、僕は右手に持ったままだったスマホを勇者に向け、フラッシュONでカメラの写真ボタンを連射してやった。


「うわっ! な、なにをする……!?」


 パシャパシャパシャッ!

 ピカッピカッピカッ!


 突然の反撃に動揺したのか、勇者の手から剣がスポッと滑り落ちた。


 カツンッ……カツンッ……カツンッ……。


 僕の目の前に落ちた剣がアスファルトに落ちた瞬間、跳びはねてすぐ横のブロック塀に当たり、僕の後ろに回り込むような動きをして再びアスファルトに当たって──。


 ブスッ……!


「……ギャァァァァァ!! い、い、痛ぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

「……ん? どうしたゴブリン??」

「い、いや、ゴブリンじゃないし……剣が……アンタが落とした剣が……痛ぇぇぇぇ!」

「おい、落ち着け。痛いって言ってるだけじゃ何も分からんぞ。ゴブリンじゃないと言い張るなら、人間らしくしっかり説明しろ」


 こ、こいつ……殺したい!!

 ……いやいや、この感情はダメよダメダメ。

 人間としての尊厳を失ったらそれこそゴブリンに堕ちてしまう。

 でも……痛いんだもの!

 だって……だって……。


「ケツに剣が刺さってるんですけど!? これ……!」


 僕はクルンと体を反転させて、勇者に尻を向けた。


「……うわっ、エグっ……やばっ……」

「いやいや! これ、あんたがやったの! 目を背けるな! 現実を直視しろ!! 勇者だろが!!」

「そ、そうだけど……うわぁ、痛そう……最悪だなこれ……」


 手ぶらになった右手で口元を覆いながらドン引きし続ける勇者。

 こ、こいつ……殺したい!

 今すぐケツの剣を引っこ抜いて、憎き勇者の心臓を一刺し……いやいや、ダメよダメダメ。

 こんなやつのために刑務所に入りたくなんかない!

 それに、剣がズッポリとケツに刺さってるにしては、なぜか一滴も血が流れていない。

 いや、場所が場所だけに目で確認しづらいのだが、感触でわかる。

 たぶん、あまりにも綺麗に刺さったもんだから出血を免れてるんだろうけど、これ絶対に引っこ抜いた瞬間──。


「なあ、そんなに痛いなら抜いてやろうか? もちろん、金はいらねーぜ。なんてったってオレ、勇者だからっ!」


 キラッ、と白い歯を……。


「見せてんじゃねーよ! 鬼か! 抜いたら赤い血がドバッだっつーの! 殺す気か!」

「そうなのか?」

「そうだよ! 実際に刺さってる側の人間だから何となく分かんの!」

「いや、そうじゃなくて、赤い血なのかってこと。本当は緑色なんじゃないの??」


 フフフと……。


「薄ら笑いすんじゃねー! ゴブリンじゃないって言ってるでしょうが!! って、こんなやり取りしてる最中も激痛で意識が飛んじゃいそうなんだけど……。あっ、ちょっと目の前がボンヤリと……」

「それはマズいな。うん。わかった。オレに任せろ」


 勇者の口調が変わった。

 ようやく、事の重大さに気付いてくれたのだろうか。

 まあ、何か問題があるとしたら僕を魔物と勘違いしてたっていう点だけで、別にわざと僕のケツに剣を刺したわけでも無いし、このまま身を委ねても良いのかも……。


「大丈夫、安心して気を失うがいい。そしたら、痛みを感じることなく地獄という名の故郷に送り返して──」

「……おい! 信じかけた心を返せ!!」


 ふぅ、危ない危ない!

 やっぱりコイツは絶対に信用しちゃダメだ。

 ただ、そうこうしてる内にケツの痛みはどんどん強くなっていく。

 少しでも動いたら抜けてしまうか、それとも逆にもっと深く刺さっていきそうな気がして一歩も動くことができない。

 何とか顔だけ左右に動かしてみても残念ながら人のの気配が全く無い。

 ここは住宅街、しかも今日は日曜日で「火事だー!」とでも叫べば誰かが来てくれそうなもんだが、叫び声という名の刺激を与えることで勇者がどう動くか想像するだけで身の毛がよだつ。

 となると、この危機的状況から生還するには……このヤバい勇者に頼るしか道は無い。


「ちょっと、お願いがあるんだけど……」

「ん? なんだ? カレーを温めたまま火を消さずに家を出てきちゃったかもしれないから様子を見に行って欲しいのか? しょうがないな。それじゃ鍵渡せ」

「そうそう、結局一番怖いのは火事だからねぇ……って、ちゃうわい! なに言ってんだアンタ。こうなったら『火事だー!』って叫んだろか!」

「えっ? どこだ? どこで火事なんだ!?」

「誰か呼ぶための嘘だから!! 妙なところで勇者っぽい純粋さを見せるなっつーの!」

「へへへ、それほどでも」

「照れるな! もう、良いからとりあえず救急車を呼んでくれ! ケツの痛みがもう限界で痛みのケツが……」

「おお、そうか。それじゃ……」


 と、勇者は腰にぶら下げた皮の袋を広げて中からスマホを……スマホ!?


「えっ、勇者のくせにスマホ??」

「ん? ダメか? それは勇者に対する差別的発言と捉えて良いか?」

「いやっ、えっと……そうそう、良いスマホ使ってるなぁって見とれちゃったんだよ」

「だろ? 最新型のやつな……ってしまった! 機種変で金がかかりすぎて携帯利用料金払えなくて電話止められてるんだった! くそぉ!!! 融通の利かない会社め! 伝説の剣で成敗してくれる!!」

「待て待て! すぐキレるなっつーの。っていうかそれ、もろ逆ギレだから! 分かった。それじゃ、僕の携帯を使って……あっ」


 そっか。

 なんで気付かなかったんだ。

 最初から自分の携帯で救急車を呼べば良かっただけじゃないか──。


「おっ、この携帯使えるの?」


 勇者の手がこっちに伸びてきたかと思ったら、スッと僕の手から携帯を奪い取られてしまった。

 

「ちょ、ちょっと……! もちろん、ちゃんと携帯料金払ってるから使えるけど……」

「ふーん、なるほどねぇ……ちょっと古めの機種だけど……使えるに越したことはないよな。よし、ありがたく頂いてとくわ。サンキューな!」

「どういたしまして……ちゃうちゃう! 誰があげるって言ったか! 返せ返せ!!」

「すまん。無理。この前のダンジョン合コンで知り合った姫から何とか連絡先だけゲットできてな。何としても落としたいんだわ。だってよ、死ぬほど可愛いんだわ。スタイルも抜群だし、声も最高だし。ってことで、アディオス!」


 勇者はクルッと体を反転させ、そのまま来た道を引き返そうとした。


「いや、ちょっと待って! ど、泥棒! どろぼ……痛ぇ……」


 ケツに刺さった伝説の剣がミリで動く度に激痛が走り、叫ぶに叫べない。

 そうこうしてる内に、憎らしい紫色のマントがどんどん小さくなっていく。

 そして、遠くの十字路を右に曲がり、ついに姿を消した。


「あの勇者め……いや、悪魔だ……あれはもう悪の化身に違いない……」


 と、思わず涙が零れそうになったその時。


 ピーポー、ピーポー!


 遠くから聞こえて来たサイレンの音が、間違い無くこっちに近づいてくるのが分かった。

 ほどなくして、救急車が到着した。

 

「大丈夫ですか! ……うわっ、これはひどい! 急いで運ばないと!」


 何人かの救急隊員が救急車から飛び出して来て、段取りよくストレッチャーに乗せてくれた。

 もちろん、うつ伏せで。


「あの……誰かが呼んでくれたんですか? 僕、ちょっとわけあって携帯が……」

「はい。ユウウシャという方から連絡がありまして」

「そ、そうですか……」


 アイツ、なんだかんだでちゃんと呼んでくれたんだ。

 やっぱ、勇者ってカッコいいな……って、思えるわけねえ!!

 ケツに剣を刺した上に携帯電話奪うとか、それもう盗賊のやり方だろが!!

 いつか絶対復讐してやる……。

 なんてったって、こっちには伝説の剣があるんだからな……!

 ……待てよ。

 それよりこれをフリマアプリで……って、携帯が無ぇ!

 やっぱ復讐!

 


〈了〉

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