59話「見舞い」

 ――トントン――カチャ。

 いかにも遠慮深そうに、ゆっくりと開いたドアを見て、梓は誰が来たのかとドアの方に顔を向けた。目が覚めたのは昨日の今日なので、まだ体を起こすことはできないが、首くらいは自由に動かせる。


「あ、桃井さん」

 梓は、瑞輝の顔を見て納得した。控えめな瑞輝らしいドアの開け方だ。


「梓さん……目が覚めたんですね、良かった……」

 瑞輝が笑みを浮かべて梓に近付いた。しかし、梓は、その笑みの奥に喜びとは違う感情も混じっていることを感じた。


「ええ、どうにか助かったみたいです。怪物にも、一矢報いましたよ」

 瑞輝さんのことだから、きっと何か罪の意識などを感じているのだろう。そう梓は思い、出来るだけ穏やかな笑顔をしてみせた。


「梓さん……」

 瑞輝が、やはり遠慮がちに少し顔を伏せながら梓に近付いて、面会者用の椅子に座った。

「あの……結構酷い怪我だって聞きました……」

「ええ。怪物の、あの大きな鎌で二回やられました。当たり所が悪ければ、どうなっていたことか……」

「そうなんですか……」

 瑞輝が身震いをする。僕は今回の件以外で梓と関わったことが無いので、はっきりと分からないが、高校での評価を聞く限りだと、梓さんは、こういった呪いや心霊といったことには滅法強いらしい。そんな梓さんが、こんな重傷を負うなんて……。


「で、でも、怪物、倒せたんですね」

「ええ、ぎりぎりだったみたいですけどね」

 梓が胸の傷をさすりながら答えた。


「治るのに、時間、かかるんですよね、きっと」

「当分は安静にしてないとだめでしょうね。……なんか、この間と逆になっちゃったですね」

「え……?」

「ほら、桃井さんが怨霊に襲われた時、あの時は、桃井さんの方がぼろぼろだったです」

「ああ……そういえば……ああ、そうだ」

 瑞輝は、自分の手提げ袋から、梓への見舞いの品を取り出した。


「梓さんのみたいに、立派な桃じゃないんですけど……」

「あら、お菓子がいっぱい」

 瑞輝が取り出した見舞いの品は、数種類の袋菓子だった。

「どの程度、食べていいか分からなかったので、これ、持って来ていいか悩んだんですけど……」

「食事は普通に摂っていいみたいです。でも、起き上がるだけで、傷が結構痛むですから、仰向けのまま食べないとですけど」

「ああ……なるほど……」


「桃井さんの方は、怨霊のこと、その後、大丈夫ですか?」

「そう……ですね。そういえば、今のところ大丈夫です。あれからは、全く何も無いです」

「ですか……」

 梓が考える。怨霊は、放っておけば自然消滅することもあるが、あの怨霊について聞く限りだと、瑞輝に対する負の感情の影響が色濃い。このことから、瑞輝に何もせずに自然に成仏することは考えにくいのだが……逆に考えると、まだ成仏せず、この世のどこかに居るのに瑞輝になにもしてこないのも不自然だ。


「うーん……ちょっと不可解ですね、気になります。もうちょっと体が回復すれば、そのくらいのことだったら調べられるんですけど……」

「あ……それは心配しなくてもいいですよ。いよいよの時は、魔法を使えば浄化出来ますし」

「ああ、そうでしたね、桃井さんは魔法を使えるから……でも、危険なことには変わりないですから、引き続き、身の回りには気を付けるです」

「はい」

「ああ、それと、もう一つ」

「何ですか?」

「桃井さんの魔法の力……恐らく、破魔の力と似通った性質があるです。だから、怨霊以外も祓おうと思えば祓えると思いますけど……できれば、私とか、霊能者に相談してからにした方がいいと思うです。霊って、元は人間ですから、人間と同じように、複雑な感情や関係の中に居るです。だから、問答無用で強制的にお祓いするっていう手段は、最後の手段として使うです」

 瑞輝がこくりと頷く。

「霊にも事情がある……そういうことですね」

「それもあるですけど……自衛のためです」

「自衛……自分の身を守るため……」

「そうです。悪霊の中には敏感な霊も居て、自分が祓われると分かったら、自分の本来の目的を無視して、祓おうとした相手を排除するような動きをする霊も存在しますし、霊が祓われたことによって、更に悪いことが起きたりすることもあるです」

「なるほど……確かに複雑……」

「なので、少なくとも自分に危害を与えない霊については、無暗に祓わずにやり過ごして、その事を霊能者に伝えるです。そうすれば、霊能者は、その霊のこと……性質や、生きていた時のこととかを調べて、相応の手段で処理してくれるはずです」

「なるほど……」

「今回の怨霊の件は、桃井さんへの負の干渉が原因になってるということ以外は目立った因縁も無いみたいなので、魔法で祓って大丈夫だと思うですけど……でも、やっぱり注意してくださいね、その後、何が起こるかは、完全には読めないですから」

「そう……ですか……」

 その後のことは分からないが、少なくとも、どうしようもないときは、吉田君の怨霊が自分で祓うことは、やっていいらしいと、瑞輝は思った。


「……でも、良かったです。これで、この連続殺人事件も終わったんですね」

「……え?」

「えっ? だって、あの怪物を倒したから……」

「ああ……あの、それは、ちょっと違ってですね、えーと……」

 瑞輝が何やら勘違いしているのを察した梓は、少し間をおいて、一旦頭の中を整理した。


「確かに私は怪物に一矢を報いることは出来たんですけど、まだ油断は出来なくて……死神があれだけどは考えにくいんですよ」

「え……もっと居るってことですか?」

「恐らくは……死神は呪いの産物です。だから、その元を絶たないと、死神は何回も生まれるでしょう。呪いの元……誰が、何の目的でやっているのかは、まだ分かりませんが、呪っている人物を探し出さないことには、この事件は解決しません」

「じ、じゃあ……梓さんは、何でそんな危険を……? 死神を倒しても、後から出て来たら意味無いんじゃあ……」

「守る為です。一人でも多くの人を。そのために……呪いの被害を水際で防ぐために、私は死神と戦ったです」

「一人を守って……これからも続く……それじゃあ……梓さんの身が持たないんじゃ……」

「分からないですね。でも、傷が治らないうちに、新たな怪物と戦う事になったら厳しいかもです。戦って、なんとなく実感したことはありましたから、今度はもっと有利に戦えると思いますけど……死神の強さも実感したです。それでも、こちらが手負いの状態では、多分、死神には勝てないでしょう」

「そうなんですか……」


 瑞輝は思った。梓さんは、一人でも多くの人々を救うために、こんなにボロボロになっている。それなのに、僕は、吉田君を祓うのが嫌だというだけで梓さんに頼っていていいのか。吉田君にとっても、早く祓って苦痛を取り除いてあげた方がいいのではないか。

 自分が少しでも役に立つのなら……少なくとも、吉田君の怨霊を祓うことは出来る。ならば、こういう切羽詰まった時くらい、自分でやれることはやってみるべきではないか。

 ……吉田君の気持ちは分からない。でも、吉田君のように怨霊となった魂は、強制的に成仏……つまり、浄化して苦痛から解放した方がいいと梓さんは言っていた。だったら、誰かがそれをやるべきで……そして、こうして、怪物と戦って傷付いている梓さんでなくとも、吉田君の浄化は僕にでも出来る。怪物の相手は……補助程度なら出来ると思うが、異世界と違って、この場所の精霊力は少ないし、自分の呪いに対する知識も少ない。どんな状況であっても怪物と対等には戦えなそうだ。だったら、少しでも梓さんに怪物に対して集中が出来る環境に居てもらうために、吉田君の怨霊くらいは自分の手で祓った方がいいのではないか……。

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