50話「空来」

「瑞輝君……」

「あ、空来さん……」

「瑞輝君、あの……大丈夫?」

「えっ!?」

 瑞輝が焦る。

 悠さんは、このクラスでもごく一部の人にしか見えていない。そんな悠さんに、目立たないようにとはいえ、手を振ったのが妙に思えたのかもしれない。


「いえ……なんか、元気ないなって……」

「ああ、そっちなんだ」

 瑞輝がほっと、胸を撫で下ろす。

「ちょっと、最近色々あって……」

「それにしても、なんだかやつれてるように見えるよ?」

「うん……でも、大丈夫だから……」

「そう? じゃあ……」

 空来が、手にしたノートを机に広げて、何やらボールペンで書き始めた。


「何、書いてるの?」

「魔法陣」

「魔法陣?」

「そう。瑞輝君って……使えるでしょ?」

 空来が、手の平を前にかざした。

「ああ……」

 瑞輝は、それを魔法のジェスチャーだと読み取って、頷いた。

「……だから、ちょっと調べたんだけど……良く分からなくて」

「そりゃ、こっちの世界には存在しないもの」

「そうなんだよね……でも、ちょっと面白いのも見つけて……」

「面白い?」

「そう。これ」

 空来が、スカートのポケットから小さな本を取り出した。その本には、大きな字で「すぐに役立つ黒魔術白魔術ハンドブック」とタイトルが書かれている。


「黒魔術って……」

 瑞輝はその文字に少し恐怖を感じた。黒魔術は、主に人を呪うための魔術だという事を知っていたし、それに加えて、あっちの世界の本当の魔法についても、人の傷を治す魔法から、単に高威力のエネルギーをぶつけて何かを破壊する魔法、果ては死人をリビングデッドとしてモンスター化し、利用する魔法等、穏やかな魔法ばかりではないという意識があるからだ。


「大丈夫、単なるおまじないだから」

「そ、そうなの?」

「そう。……はい、出来た。これをずっとポケットに入れとくといいよ」

「これは……」

 ノートには、丸の中に複雑な模様が書き入れられた、魔法陣が描かれている。

「魔法陣……?」

「そう。魔法陣。簡単そうだったし、効きそうだったから、覚えてたの」

 空来が、ノートの魔法陣が書かれたページを破き、自らの顔の前へと持ってきて、まじまじと見た。自分の書いた魔法陣を見直しているのだろうと、瑞輝は思った。


「それ、簡単な奴なの? 結構複雑に見えるけど……」

「私も最初はそう思ったんだけど、魔法陣って何個かのパーツの組み合わせだから、書き方が分かると案外簡単に書けるのよ。これだって、三角と丸の組み合わせに、ちょっとした模様を足すだけで出来るから、実際は、そんなに難しくないの」

「そういうもんなんだ……ああ、言われてみると……」

 瑞輝は、丸の中に書かれた、一見、複雑な模様も、大きく見ると、本当に幾つかの丸と三角で作られているのだと分かってきた。

 線と線の交差によって惑わされるのだろうけれど、どうやら三角や丸は、それほど多く書かなくていいらしい。


「へぇ……面白いね」

「六芒星ってあるでしょ?」

「ああ……そういえば、あれも三角形二つだけで、なんか不思議な形になってる」

「でしょ、複雑なのは、本当に複雑なやつもあるんだけど、簡単なのって案外簡単なんだ」

「へぇー……」

 空来が見つめる魔法陣を、瑞輝も隣から見る。見れば見るほど単純な図形の組み合わせなのだが、ちゃんと雰囲気のある魔法陣に見えるのが不思議だ。


「うん……これでね……」

 空来がこくりと頷いて、ノートを折り始めた。一回、二回……三回折った所で、空来が手を止めた。

「これを、どこかポケットとかに入れて、身に付けておくの。そうすると、悪いものから、その人の身を守ってくれるんだって」

「ふぅん……身を守る……かぁ」

「最近、色々物騒だから……少しでも、瑞輝君が安心できるといいかなって……」

「そう……ありがとうね。大事にするよ」

「うん」






 二人が微笑み合っているのを、駿一と悠は数席隣から眺めている。

「何故、こんな様子を眺めているのか……」

 駿一は、自ら行った行為を後悔するように、額に手を当てた。

「悠の影響だな。やはり取り憑かれたから霊障が……おい悠」

 悠が、じっと桃井と空来のやり取りを見ているのに、駿一は違和感を感じた。なので駿一は悠に話しかけたのだが……。

「……」

「ヤキモチか……?」

 やっぱり様子がおかしいので、駿一は悠の顔を覗き込みながら、もう一回話しかけた。

「……」

「お? 反応無しか? 良かっ……」

「嬉しいんだよ……」

「おっ、喋った」

「空来さん、本当に桃井君に優しく接してるから」

「ちょっとあざとく誘い過ぎな気もするがな」

「でも、吉田君みたいに嫌がらせされるよりはいいよ」

「そりゃ、そうだがな」


「……あのね、桃井君が行方不明になったのって、私のせいじゃないかって、そう思ってるんだ」

「ええ……?」

「私が幽霊としてこの世に現れて、学校に行って……桃井君と再会した。勿論、その時は、今みたいに桃井君に私は見えてなくて……でも、私は嬉しかったんだ。だって、桃井君の近くに居られるから。でも……その時の桃井君、桃井君じゃないみたいだったっていうか……」

 悠が悲しそうな目で瑞輝を見て、珍しくトーンを下げ始めた。


「魂が抜けたみたいだったの。クラスのみんなは普通に接してたけど、私には分かった。私が生きてた時の桃井君と、私が幽霊になった後の桃井君……どこか違うって。それで……その理由もなんとなく分かったんだ。多分、それは私の死だって……」

「ほう……」

「だから、私、なんとか桃井君のこと、慰めてあげたくて……でも、幽霊だから、それも出来なくて……辛かった時があったんだよね……」

「そうなのか。全くそうには見えなかったが……」

「見えなかっただけだよ! 今まで何も出来なくて、辛かった。でも、今、桃井君に見えるようになって、やっと解放された、そんな気がした」

「ああ……だから今日は、いつも以上にやかましいのか」

「そうそう!」

「納得するなよ!」

「でも、空来さんが、ああやって、労わってくれてさ、良かったなって。あれは、霊体の私には無理だから……」

「でも、喋れるようになったんだろ?」

「そういう問題じゃないよ。やっぱり、生身の人間は、生身の人間と居た方がいいんだよ」

「ほお、悠もたまにはまともな事を言うんだな」

「ふふん、私だって、いいこと言うでしょ!」

「ふむふむ。じゃあ、その『いいこと』を実践しようか。俺にも生身の人間……は、宇宙人とかビッグフットとか雪女とかしか居ないが……」

 駿一が、ロニクルと雪奈を順番に見終わった後、ため息を一回ついた。

「それとこれとは別問題!」

「何が別問題だよ!」

「だって、私が大好きなんだもん! 二人共だーい好き!」

「ああ、そう……やれやれ……」

 どうやら、悠から解放される日は遠そうだ。

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