42話「吉田の気持ち」

 もう少し。もう少しで、こいつを俺と同じ目に合わせることができる。怨霊と化した吉田は歓喜した。桃井に絡んだことで、俺がこんな状態鳴ってしまったことへの贖罪を、ようやくすることができる。

 思えばあの時以来だ。悠は俺ばかりに辛く当たり、瑞輝にばかり優しくしていた。人間、弱いものを守りたくなるというが、まさにそれだ。俺がどんなに強さを見せつけようと、悠は俺に近寄ることはなかった。むしろ、逆に遠ざかっているようにも見えて……それを感じる度に、制御できないほどの不快感を覚えた。……それも、あの根暗のせいだ。そして、その根暗は、今、俺の前に居る。亡霊となり果てた、俺の前にだ。


 俺が何故、ここまで堕ちてしまったのか、その理由の殆どは、目の前に居る根暗、桃井が関係している。元々、俺は桃井など意に介していなかった。しかし、桃井は妙に俺の癇に障った。何故癇に障ったのかは論理的に説明するのは難しいが……奴を嬲ると、俺は妙な高揚感に包まれて……満たされるのだ。根暗なガキにも利用価値があったってことだ。


 桃井の利用価値を見つけた俺は、本来なら感謝されなければならない。しかし、桃井はそんなこともせず……俺はそうしてるうちに、いつの間にか、俺と……周りの人間の距離が離れていく。そんな感覚を感じ始めるようになった。


「――吉田君! あんた、自分のやってることが分かってるの!?」


「――桃井君だけじゃないよ、みんな吉田君を怖がるようになってる」


 悠の言葉だ。今思えば、俺はこの言葉に、言いしれない不安感を煽られていたのかもしれない。


「――桃井君は強い人間だね。それに比べて吉田君……吉田君は弱い人間だよ」


「――桃井君は、吉田君のやったことに歯向かいもしてないんだよ。それどころか、吉田君が傷付かないように気を使ってさえいる」


「――桃井君は、強いね、こんなことされたって……」

「やめろ!」

 頭の中に響く言葉に、吉田は思わず怒鳴った。桃井君、桃井君と、悠は桃井の事しか頭に無い。それどころか、俺に弱いとまで言った。逆に桃井には強いと言った。天邪鬼に逆張りをしているだけと分かってはいても、頭で納得は出来ない。吉田にとって、強烈な矛盾を孕んだ言葉は、吉田の脳裏に深く焼き付いて、今もこうして頭の中に響いている。


 俺は、それから負けず嫌いになったんだと思う。勉強においても、部活においても……そして、ゲームにおいてだってそうだ。俺は、負けることを極端に嫌がっていた。その時から、俺は、本当に周りの皆から遠ざかっていくようになった。


 俺がゲームで負けた時は必ず喧嘩になり、そこでも負けたくない俺は、必死の思いで相手を殴った。その時には、相手の泣き叫ぶ様子を見て、ぞくぞくしたものだ。

 しかし、今思えば当然だが、それをきっかけに、つるんでいる仲間は一人、また一人と減っていった。

 そのさなか、他校の部員に言われた言葉は、忘れられない。


「――あいつ、卑怯だよな」

「せこい勝ち方しやがって」

 そう。向こうがこちらに聞かせようと思って言ったのかは分からないが、ふと、他校の会話が聞こえてきたのだ。無論、その程度で逆上する俺ではない。そんなこと、スポーツ以外でもいつも言われている事だ。卑怯者、勝てばそれでいいのか。と。問題なのは……俺の神経を、これでもかと逆なでした言葉は、それから二、三言先の言葉だった。


「気にすんなよ、俺、あいつのこと、聞いたことあるぜ」

「ええ? 何だよ」

「あいつ、あいつの学校でも嫌われてるらしいぜ」

 ――その言葉に、俺はカチンときた。


「マジかよ、やっぱ人格って出るんだな」

「露骨にそうだろう。気にすんなよ、事故にでもあったと思って諦めろ」

 奴らがそこまで会話を進めた時だ。

「人の事を好き勝手に言いやがってよぉ!」

 心を心底イラつかせながら、俺は奴らの間近へと来ていた。そして、俺は感情に任せて奴らを殴った。

 結果、許せない悪口を言ったやつらは哀れまれ、俺は停学処分を喰らった。それに伴って、スポーツ推薦をという道も消えた。


 負けず嫌いになってからは、俺はゲームも、スポーツも、そして勉強も、全てにおいて精を出していたが、その中でも一番上手くいったのはスポーツだった。スポーツは、手段を選ばない行為を取り易かったのだ。スポーツはルールに支配されていて、反則を行った場合の罰則も定義されている。つまり、反則も損得勘定に組み込めるのだ。相手は、その事を知ってか知らずか、馬鹿正直にやっている。だから、そこに漬け込む隙があった。スポーツマンシップがどうのこうのは建前だ。上手い奴は、反則も戦略に組み込んで勝つものだ。それも含めてスポーツ、それも含めて損得勘定なのだ。


 俺は、そうやってスポーツで成り上がっていったが、勉強の方はそうにもいかなく、成績も、少しは上がったが、雀の涙程度だった。凡庸か、その下かといった所に居たのが、完全に凡庸になったというレベルの話で、いい高校にはとても行けそうになかった。そんな中、俺がすがりついたのがスポーツ推薦入試だった。これなら、スポーツでいい成績を残せば、いい大学に行けそうだ。そう思っていた。


 しかし、あの事件で、それも泡に消えた。俺はそのことに強烈な怒りを覚えた。そして、やがてその怒りは、苦しみへと変わり――更に憎しみとなった。

 俺をここまで苦しめたのは誰だ。強い俺を苦しめた奴。そんな奴を生かしてはおけない。


 ……俺の頭に浮かんだのは桃井、そして悠だった。俺をここまで苦しめたのは、悠、その人なのだ。桃井にばかり傾倒して、俺には見向きもしない悠がいけないのだ。俺はそう思って悠を落としたのだ。


 これは贖罪だ。悠には贖罪をしてもらったのだ。そして、遂に悠は死ぬまで俺になびくことはなかった。生きていたら、もしかしたら俺を……いや、生きることなど許されない。あれは俺を苦しめたことに対する罰だったのだから。


 悠を贖罪させた後には、当然のように教室には重い空気が広がった。今と同じか、それ以上だろうか。当然、桃井も落ち込んでいた。一石二鳥というやつだ。……だが、今度はクラスの全員……いや、この世の全ての人の、俺に対しての風当たりが強くなった。そんな気がした。


 それも全ては悠が……いや、全ては桃井が悪い。桃井が……俺の興味を惹かなければ。桃井が悠に嫌われていれば……そうすれば、悠は俺のことを……。


 ――ある時、俺の心を弄んだばちが当たったのか、突如として桃井が姿をくらました。その時、俺はいい気味だ、ざまあみろと思ったものだが……桃井の居ない学校は、どこか退屈で、面白味が無かった。俺は桃井を欲していたのか。そんな事まで考えるようになった。思えば、桃井をいじり始めた時は、どこか愛情すら感じていた気がする。それが俺を、こんなに虚しい気持ちにさせているのだろうか。心の中にざわつきを感じながら、俺はその後の数か月を過ごしたのだった。

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