20話「梓と瑞輝とティムと杉村」

「ティムは!?」

 梓が診察室から出てくるやいなや、少年は慌てて椅子から立ち上がり、梓に問いかけた。

「大丈夫。一命は取り留めたみたいです。はぁ……」

 梓が倒れこむように少年の横の座席に座り、ぐったりとした。少年の方も気が抜けたようで、心ここにあらずといった風だが、ゆっくりと座りなおした。梓はこの少年の事を知っている。蘇った高校生の噂話は、この界隈では大いに話題になった。それは梓にとっても例外ではなかった。

 しかし、梓はこの少年の性格を知らない。あの時に話題だった少年は、桃井瑞輝という、ごく普通の高校生だ。梓と同じくらいの歳の、いかにも大人しそうな少年だったが……。


「まさかティムちゃんが……いえ……ティムちゃんだから助かったんでしょうね、きっと」

 梓は瑞輝を見ながら思った。この事は私自身にとっても精神的にきつい出来事だ。しかし、この瑞輝さんにとっては、私よりも何倍もショックが大きいだろう。ティムと友達ではなくても、精神的な負担は大きかったことだろうに、ティムとは親しい関係のようだ。そのティムが大量に血を流し、今にも死にそうな状態を、瑞輝さんは間近で見てしまったのだ。


「えと、瑞輝さんでしたよね、今日は大変でしたね」

 仕事柄、こうやって落ち込んでいる人に話しかけることは珍しくない。こういう時は、こちらまで気が滅入るものだ。しかし、それを相手に悟らせてはいけない。相手を励ます目的であれ、相手を探る目的であれ、こちらまで気が滅入っている事が相手に伝わったら、十中八九、いい方向に事は運ばない。梓は努めて、自らの気持ちを表情に現わさないように努めた。


「でも、さすがティムちゃんです。ティムちゃんは人一倍反射神経も良くて、体も頑丈でした」

「そっか、ティムだから……助かったのか……」

「瑞輝さん?」

「僕のせいなんです。僕がティムを……みんなを巻き込んで……」

 瑞輝はこうべを垂れて項垂れた。梓と初めて会った時から精神的に参っている様子だったが、梓には、それが時が経つ毎に酷くなっているように感じる。


「そんなことないですよ、ティムちゃんに怪物のターゲットが向かっていなければ、貴方は死んでいた。ティムちゃんだから助かった。不幸中の幸いだったんです」

 こんな事を言っても、気休めにしかならないだろうと思いながらも、梓は努めて明るく言った。


「違うんだ!」

「……」

 瑞輝が、堰を切ったかのように叫んだ。梓は励まそうとしたが……かける言葉が見つからない。


 暫くの間、沈黙が流れ……先に口を開けたのは瑞輝だった。

「あ……すいません……でも、僕は……普通じゃないんです」

「普通じゃない? そんなことは……」


 そんなことはない。瑞輝さんは普通の人間だ。梓はそう言おうと思った。しかし……瑞輝の目を見て梓の言葉は途切れた。

 梓の見た瑞輝の目は虚ろだった。ティムが大怪我をしたことが余程ショックだったのだろうと梓は直感した。 しかし、その更に奥にある感情……とても強烈な感情……決意の感情を、梓は怖いほど感じた。


「魔法が……使えるんです」

 瑞輝が静かに語る。静かだが、その一言に、梓は不可解な重みを感じている。


「魔法……?」

 瑞輝は魔法と言ったことの意味を、梓は考える。心霊、UMA、妖怪、宇宙人……これまでいくつもの怪異と関わってきたが……魔法なんて存在するのだろうか。なにかのきっかけで、怪物が魔法で消え去ったように見えたのか、それともまだ頭が混乱していて記憶が錯綜しているのだろうか。普通ならそう考えるだろう。しかし、もしかすると本当にあるのかもしれない。瑞輝の視線に、梓はそう思わせる何かを感じる。


「そう……ですか……魔法……ですか……」

 にわかには信じられないが……話を聞いてみる価値はある。今の瑞輝の言葉を聞いて、梓はそう思った。


「ティムがやられて、あの怪物が鎌を構えて……そう、次にやられるのは僕だったんです。でも……何が起きたかは僕にも分からないんです。だけど……多分、魔法でどうにかなったんじゃないかって」

「瑞輝さん、魔法の事と、その時の状況。今は思い出すのはつらいでしょうけど……」

「君、少し混乱しているようだね」

 梓の後ろから、誰かが瑞輝に声をかけた。その声が梓には聞き覚えがあって、思わずびくりと首を竦めた。

「杉村さん……」

 オカルト否定派の警察官、杉村叡吉。

「こんな深夜までご苦労様です」

 杉村に、にこやかにお議事をした梓だが……内心は焦っている。動揺して声が少しだけ裏返った気がした。

 梓は、さっきは瑞輝のただならぬ雰囲気もあって、瑞輝から何か情報を引き出そうとはしたが、それは本当は今日話す予定ではなかった。ここに来る間に考えたが、瑞輝の心理状態を考えたら、今日聞くのは酷だろうと思ったからだ。後日の方が、お互い冷静に話ができるだろう。

 梓自身にとってもそうだ。梓は知人がこの事件の被害者になる可能性は十分に高いと予想はしていた。しかし、いざ本当に知人が被害者になると、冷静ではいられない。それが偶々ティムで、持ち前の頑丈さと反射神経があったから助かっただけだ。むしろ、それがレアケースで、どれか一つが欠けていただけで、誰かが死に至っていた。

 そう考えると梓は体が震える気がした。こうやって、無理矢理に平静を装って話せているのが不思議なくらいだ。


「インチキ霊能者か。今回は随分と手回しがいいじゃないか。また何か悪さをしようとしてるんじゃないだろうな?」

「あの、インチキじゃ……まあ、いいです。はぁ……」

 杉村に説明したところで、納得してくれるとは思えない。梓はため息を一回つき、事情を話し始めた。


「実は、被害者とは知り合いで……連絡は警察から来たんですが、居ても立ってもいられなくなって、様子を見に来たんです」

「それは気の毒だ。心中、お察しする。が、こっちは仕事で来てる。邪魔はするなよ」

「それは……勿論です」

 瑞輝は今回の事件の発見者なので、当然警察官は動くのだが……来る人とタイミングが最悪だ。梓は自分の運の無さを呪わずにはいられなかった。


「どうして現場ではなく、ここへ?」

「こっちに来た方が新たな発見があると踏んでね。どうせ現場を探したところで、また既存の証拠しか出てこない。お前もそう思ったから来たんだとばかり思ったがな」

 梓は思った。杉村さんの言っていることは理に適っている。事件の起きた現場は、これまで事件の度に探られてきた。有用な証拠は出尽くしたと考えるのが自然だ。今回も何の証拠も出ない可能性は高い。

 対して、事件当時に近くに居て、今回は発見、通報までした人のうちの一人に事情を聴いた方が、何かの手掛かりにぶつかる可能性は高い。


「まあ……私も同じ立場なら、そうしていたかもしれませんが……」

「そうだろうな。発見者とその周辺を疑うのが妥当だ」

 杉村の言葉を聞いて、梓は瑞輝の方を向いた。瑞輝の首は、恐らく反射的にぴくりと動き、杉村の方を向いた。が、次の瞬間、またゆっくりと瑞輝はこうべを垂れ、諦めたようにつぶやいた。


「えと……疑ってるんですか? いや……当然か……」

 杉村さんの判断自体は妥当なだけに、尚のこと、性質たちが悪い。梓はそのことに、もどかしさを禁じ得ない。この人が協力的になってくれたら心強いのだが……それはあり得ない。超常現象を信じることは、杉村さんの人格の根っこから否定することになる。同時に、適切で合理的な行動さえ失ってしまうだろう。

 しかし、杉村さんの合理的な考え方は、時に裏目に出る。確かにやり方は合理的なのだが、時々その合理性が、人の気持ちよりも優先されてしまう。

 それは杉村さんの欠点だと思う。それが原因で、結局、目的から遠ざかってしまうことが、ままあるからだ。


「あ、あの……瑞輝さん、杉村さんは……」

「ああもう! 今は俺が話してるんだ! 君は口出しせずに帰りたまえ! これは我々の仕事だ!」

 杉村が激昂する。

「いや、そういう事じゃ……」

 瑞輝さんに要らぬ誤解をさせたくない。梓はそう思って食い下がろうとしたが……。


「ああ!?」

 杉村が、更に気勢を上げる。

「……いえ、帰ります」

 この様子だと、無理に食い下がっても口喧嘩になって、更に事態を悪化させてしまうかもしれない。ここは大人しく引いた方が良さそうなので梓は立ち去ることにした。

「よし、夜道は気を付けて帰れよ」

「はい……」

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