第8章 帷面権現(9)
帷面がいつごろから起こったのかは、定かではない。
一応起源としては、広く山地に広がる漠然とした信仰がまとまったものとなっている。それが厳しい風土により、戦いの神へと形造られていった。
鋼の翼を持つ鷹や、夜目の効く瞳を額に持つ貂てんなど、神体は架空の動物が担う。武力を謳うたって信者を獲得するには、神秘性を打ち出すことが効果的なので、これらの動物はトレードマークとして大きく貢献したことだろう。しかしその反動として、あやしげな邪教と位置付けられ、けっして表に出てこられない存在となった。
帷面が広く知られるようになったのは、室町中期の応仁の乱の頃だった。戦が常態化され、戦いの神にすがろうとする有力者が多く出始めたからだ。応仁の乱の当事者ともいえる大名が信者だったことも、知られている。
それ以降、戦国期まで、噂まで含めると、歴史に名を遺す武将の信者は数多い。
実際、帷面の行によって得とくできる術は、戦いにおいて圧倒的な有利を導くものだ。空を飛べる、透視ができる、夜目が効く、読心術、などだ。時を超えられる、未来予知ができる、呪いをかけられる、などという超能力的なものもある。
もしもこれらがマスターできれば、技術の発達していない中世のこと、どれほど役に立つか分からない。有力者が渇望したのも頷ける。
ただ、最初に史書でこれを知ったときの礼韻は、鼻で笑って真剣に取り合わなかった。
礼韻は帷面を無視したわけではない。むしろ、大まじめに検討した。自分で推理し、帷面の術に対する仮説を頭の中で固めたのだ。
空を飛ぶのは、もしかしたら布か何かを巻きつけて高所から飛び降りたのではないか。現在でいう、パラグライダーやパラシュートの要領だ。追われ、あとは突き落とされるだけと窮した者であれば、とっさにやるかもしれない。もしも崖から飛び降りた者が中空でふわりと浮き、旋回し、無事に地上に降り立てば、当時であれば立派な術と映るだろう。
透視は、障害物の向こうに仲間を忍ばせブロックサインを送ってもらえば術の完成だ。サインを送るという戦術そのものが広まってなかっただろうから、人は、障害物を透かして見たのだと取ることだろう。
夜目は、栄養ある食物の摂取か。当時は万人がビタミン不足で鳥目だったはずで、現在の人間くらいに見えていれば夜目が効くと驚かれるだろう。
読心や予知は分かりかねるが、呪いによる相手への危害は毒物を使用したものではないかと礼韻は考えた。山地に暮らす者であれば、草木や虫に関する知識は高かったことだろう。当時は死体解剖などなかったので、毒物は使いやすい武器だったはずだ。戦国時代の大名には毒見の係が必ずいたので、それくらい毒殺が多かったことが裏付けられる。
筋道立てて理で固めた礼韻にとっては、帷面の神秘性は作られたものという意識しかなかった。
それが今回、核心部へと入り込むことになった。礼韻は恐れももちろんあったが、それ以上に知的興味が強かった。いかさまなどではなく、本当に超常現象を手の内にしているのだろうか。
礼韻は一軒の小屋に入れられた。明日の早暁までそこで待てと言う。髭に覆われた大男は、山中での非常食のような乾いた食料を、ざる一杯ほど置いて去っていった。
ちょうど陽が山に隠れようとする頃、その小屋に客があった。戸を叩く音に出てみると、優丸が軽装で立っていた。
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