第7章 祖父の贈り物 (13)

 この関ヶ原の盆地全体が、揺れ動いているかのようだった。相克の状態から、一方に情勢が大きく傾いたのだ。


 もはや西軍は、願坐韻から遠く離れた石田隊のみが戦っているという状況だった。しかしそれも時間の問題だ。それまで宇喜田や大谷などと戦っていた隊も、あらかたけりがついたら石田隊に向かうからだ。数的に極端な差があり、元々弱小大名の石田隊が長くもつはずがない。


 間もなく石田三成が、逃走するだろう。彼はこの場で散ろうとはせず、生き延びて再戦を図ろうとする。


 願坐韻はもっと近付きたかった。しかし、あまりにも危険すぎる。見たい。しかし危ない。願坐韻は秒単位で心を揺り動かした。時渡りなど、もう、生涯において絶対にない。これが一度きりのチャンスだ。見るなら、これを逃すわけにはいかない。それなら行くか。

 

 しかし、時渡りの間に起こることは現実のことなのだ。腕を切られれば腕を失って現代に戻らなければいけない。そして命を絶たれれば、現代に帰ることはない。この天下の合戦の地に体を横たえ、風化されることになる。平和な現代の学者が、戦いを常とする時代の人間に太刀打ちなどできるはずもなく、三成のそばに近付けばただでは済まないだろう。


 願坐韻は自身の好奇心をぐっと抑えつけた。小早川の裏切りを間近で見られただけでも、とんでもないことなのだ。それでよしとしなければならない。現代に帰れなければ、関ヶ原を体験したってなんの意味もなくなってしまう。


 北国街道では蒲生が盾になり、三成逃走の時を稼いでいるはずだ。農民のみすぼらしい格好に着替え、目立ってはいけないので数名の付き人しか付けず、あの戦国きっての優男は敵に背を向け、戦地を去る。


 それでも、その生は一週間弱しかもたない。合戦前から抱えていた腹の痛みを逃走時の空腹でより悪化させ、倒れ、這って進むことになり、三成狩りの包囲網を抜けられずに捕まってしまう。そして家康の首実検のあと、京の六条河原で処刑される。


 今この場にいる者のなかに、この後の展開を知っているのは願坐韻だけだった。三成が空腹で七転八倒することも、匿ってくれた農民への恩返しのために自首することも、首実検の前に、東軍に寝返った武将たちにさらし者にされることも。光成はこの後、首をはねられるまでの間、苦痛しかない生を送る。彼はじっと、遠く北方を眺めた。涙が、つっと、骨ばった顔を流れた。


 石田隊もつぶれ、静観していた西軍諸将が散り散りに逃げた。いくつかは家康との密約済みで、戦いに不参加という形で協力する代わりに、身を安堵するとなっている。吉川がそのいい例で、さして急ぐことなく、割合堂々と、毛利と一緒に南宮山を去っていった。


 ところが密約もないのに、堂々と去っていく隊があった。しかもうしろに退くならともかく、戦地を突っ切って行こうとする。有名な、島津の撤退だった。


 願坐韻は、再び興奮の極みに達した。

 

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