第7章 祖父の贈り物 (9)

 礼韻が返答に困っていると、願坐韻は付き人を呼んで椅子を持ってこさせた。


 それを、願坐韻の車椅子の前に設置する。


 願坐韻が礼韻に促した。その手招きに吸い寄せられるように、礼韻は椅子に体を落とした。窓を覆われ、座席を取り払ってフラットになった小型バスの中で、祖父と孫は2メートルほど間を空けて、向かい合った。


「これから私は、ある若き日の1日を回想する。お前はそれを、じっと見て、なにかしら感じるがいい」


 願坐韻の言葉が、礼韻の頭の中に流れた。


 付き人たちは、なにも注意を向けない。それはそうだ。声が聞こえないのだから。拈華微笑なのだから。


 願坐韻は、歴史学者として歩みだした頃の、ある1日を回想した。


 その願坐韻は、礼韻に似ていた。礼韻は最初、自分が映されているのかと思った。しかし全体の雰囲気が、妙に違っていた。そして耳の下に大きなほくろがあり、それが願坐韻だと分かった。


 願坐韻は樹々の中で、黒づくめの男に囲まれていた。敵か味方か分からないが、極めて危険な光景に映った。男たちの発する「気」が、よそ者を排除するものだったからだ。


 願坐韻は洞窟に連れられ、入るよう促された。闇が囲み、何ひとつ見えなかった。そこを願坐韻は躓くことなく進んだ。そして、周囲が突然、煙った。煙は生き物かのように、まとわりついてくる。それを、左右にかき分けて進んでいった。


 長い、長い時間だった。願坐韻は疲れることなく、一定の歩調で進んだ。見ている礼韻の方が疲れてしまった。


 礼韻が飽き、椅子から立ち上がろうとした瞬間、地に、足が付いた感触を受けた。


 礼韻はその感触に驚き、椅子に深く沈んだ。そして目を開け、願坐韻を見た。


 願坐韻は目を閉じていた。その血の気の薄れた顔に、うっすらと汗を浮かべていた。礼韻は祖父につられ、再び目を閉じた。


 願坐韻を通して、感触は礼韻の肌に流れていた。寒く、足から受ける感触はでこぼこで歩きづらく、そして暗かった。しかし洞窟のような狭い場所ではなく、広い大地だった。総合して考えてみるに、山道を歩いているかのようだった。


「そうだ。ここは関ヶ原だ」


 願坐韻の声が礼韻の頭の中に流れた。

 

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