第164話 前夜(7)S☆2
「ありがとうございます」と、告げ黝輝石……いや、サクラが天幕を去った後、アイリーンは胸の内に一つの疑問をくすぶらせていた。
「赤鉄鉱様」
彼女は振り返り、自分が知る限り最も強い男に問いかける。
「どうして、貴方が声をかけてあげなかったのですか?」
それはアイリーンにとって、純粋な疑問だった。
アイリーンにも、赤鉄鉱……親しい者からはヤサウェイと呼ばれるこの男が、サクラに特別な感情を抱いていることぐらいわかる。
だが、彼は先程、不安に涙を流したサクラに一言も声をかけなかった。
それが、アイリーンには不思議でならなかったのだ。
「……僕の言いたかったことは、全部君が言ってくれた……それじゃだめかな?」
やわらかに微笑む……だが、底が知れない彼の表情に、アイリーンはむすりと自分の頬を膨らむのがわかった。
「だとしても、貴方なら自分より先に声をかけるかと思っていました」
知らず知らずの内に、アイリーンの口調は咎めるような言い方になる。
しかし、ヤサウェイは涼しい顔を崩さなかった。
それどころか、彼は――
「そうだね……」
――と、小さく頷き――
「そうかもしれない」
――と、自嘲するようにつぶやく。
しかし。
「でも、僕にはそれができなかったんだ」
彼は、悔いることはないと言うかのように、そうこぼした。
アイリーンには『そこ』がわからない。
何故、彼には自分に言えた言葉が言えなかったのだろうと、不思議でならなかった。
「それは、何故ですか?」
訊ねるアイリーンにヤサウェイは答える。
隠すようなことでもないというように。
彼は、聞かれるままに心境を吐露した。
「僕の考えが、サクラにとっては最善ではないからだよ」
「貴方の考え……お聞かせ、頂けるのでしょうか?」
「ああ」と、静かに前置いて彼は口を開く。
「僕はね。もう、戦場において……命に優先順位をつけることはないんだ。やめてしまったという方が正しい。なのに、大切だと思える子に、自分が投げ出した考えを教えるのは良くないと思わないかい?」
ヤサウェイの問いかけに、アイリーンは首を縦に触れなかった。
「何故、投げ出してしまわれたのですか?」
今、彼女は自分が胸に抱いてきた戦場での価値観を否定されたと言っても過言ではない。
アイリーンは、自分には訊ねる権利があると思った。
そして、これほどまでに強い男が、何故自分と同じ考え方を捨ててしまったのか……その答えが知りたかった。
「赤鉄鉱様……貴方は戦場で、何を胸に戦っているのです」
しかし、目の前の男が口にした答えは……到底、彼女が望むようなものではなかった。
「僕はね、アイリーン。この手で救えるものを、救える内に、救えるだけ救いたいんだ」
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