⑤-VS ガルディーン-

 間一髪のところでヴラド諸侯王を守ったルゥナは、ガルディーンの挙動を一瞬たりとも見逃さぬよう目を光らせていた。

 その目を通してガルディーンを見ているユキトは、空恐ろしさを感じていた。

 ガルディーンは自暴自棄になるような短絡的人間ではない。この場面からでもまだ王位簒奪の可能性があるからこそ動いたのだ。おそらくまだ他に手段を隠している。

 一体何手先まで読んでいるのか、そしてどれほど周到に策を講じているのかユキトには見当もつかない。


 だがそれとは別に、ユキトはガルディーンの持つ剣が気にかかっていた。男の握る武器は、この国の人間が使う標準的な両刃剣と形状が異なっているのだ。

 刀身は片刃で、先端にいくにつれ僅かに反り返っている。

 それはユキトの世界でいう日本刀と呼ばれる武器と酷似していた。

 だが日本刀にしては刀身の幅が太く長い。歴史の知識でいうなら、野太刀と言い換えられるかも知れない。筋肉質で上背のあるガルディーンでなければとても扱えないような代物だった。

 更には、男の腰元にもう一本の柄が見える。鞘に収まっているので形状は判別できないが、おそらく刀だろう。予備のためであればマシだなと、ユキトは自分の予想が外れることを願う。

 ガルディーンは刀を構えながらやれやれと首を振った。


「一番に駆けつけた点は悪くねぇ。だが俺と殺り合っていいのか?」


「……貴殿の腕前はよく存じております。並の騎士を軽く超越した剣技が、おそらく連合国内の頂点に属していることも」


 ルゥナの声は緊張を含んでいる。十剣侯と対峙したとき、いやそれ以上に神経を尖らせていた。実際ルゥナは、試合形式ながらもガルディーンと戦って敗北した経験がある。否が応なく、ユキトにも緊張感が伝播していく。


「理解できてないようだな。自分の任務を忘れるなよ」


 ガルディーンが失笑する。途端、男は反転して赤い絨毯の上を疾駆した。

 進行方向には、ジルナがいる。


「ジルナっ!」


 ルゥナの叫びと同時に金属同士がぶつかる甲高い音が響く。

 ジルナめがけて振り下ろされた太刀は、ヴラドのとき同様に直撃寸前で防がれる。

 二人の間に割って入ったのはサイラスだ。鍔迫り合いの状態に持ち込んだ隙に、他の騎士がジルナを退避させる。


「分隊長サイラスか。流石の腕前だな」


「お褒めに預かり光栄ですが、手心は加えませんよ。我が主君とジルナール様への狼藉、捨て置くわけにはいかない」


 サイラスは身を乗り出すように剣を押し込める。ガルディーンは一瞬だけ別の方向に視線を向けると、剣を弾いて後方へ下がる。接近し振り放っていたルゥナの斬撃は空振りに終わった。

 二人が改めて剣を構えると、ガルディーンは太刀の峰側を肩に置いて、面倒そうにため息を吐く。


「暑苦しいもんだな、愚直な従者は」


 男は走り出す。出入り口の扉へと。

 虚を突かれたルゥナとサイラスはすぐに駆け出すが、ガルディーンは出入り口を塞ぐ衛兵を扉ごと切り裂いて飛び出していく。


「サイラス殿はジルナと陛下を守ってくれ! 私は奴を討つ!」


「しかしユキ、いやルゥナール様! お一人では無茶だ!」


「私なら大丈夫!」


 虚栄でも過信でもない、確かな力強さがあった。

 追いかけていたサイラスの足が緩やかになり、彼は信頼を示すよう頷く。頷き返したルゥナは前を向いて全速力で廊下を駆け抜けた。

 前方では悲鳴や苦悶の声が上がっている。包囲する衛兵達を、ガルディーンは一太刀の元に切り伏せていた。壁には血が付着し、多くの兵士が床に転がっている。


「ガルディーン!」


 叫び、肉薄したルゥナが剣を振るう。衛兵へ斬撃を放っていたガルディーンは、その勢いのまま背後へ太刀を振るった。

 鋭い金属音が打ち鳴らされ、ルゥナの斬撃は止められる。


「逃がさんっ!」


「怒鳴るんじゃねぇよ」


 辟易したように応え、ガルディーンが剣を弾く。

 直後、円運動した鎖の先端部がガルディーンの頭部へと迫る。

 円燐剣三の型「双炎」による鎖を使った打撃は、しかし男に容易く回避された。凄まじい反応速度にユキトは驚愕する。

 だが双炎の型は相手に攻撃の暇を与えないのが特徴だ。ルゥナは手の中で剣をくるりと回すと、立て続けに斬撃を放つ。ガルディーンがそれを防いでも、鞭のようにしなった鎖が男の剥き出しの脚部を強打する。

 鍛えられた肉体ではダメージなど軽微だが、一瞬の怯みは生まれた。ルゥナにとってはそれで十分。彼女は横回転しながらガルディーンの背後に回り込み、一の型「獅光」の回転斬りを振り放つ。

 瞬間、ルゥナとガルディーンの視線が交差した。

 背後を取っていたはずなのにいつのまにか向き合い、互いに武器を振り放っている。

 ガルディーンは自身も回転してルゥナの技に対応していた。渾身の一撃は刀に弾かれ、ルゥナは舌打ちする。


 狭い廊下で斬撃の応酬が始まり、壁や地面に裂傷が刻まれていく。あまりの攻防に包囲する衛兵達は割って入ることもできなかった。迂闊に踏み出せば一瞬のうちに切り刻まれることがわかりきっている。

 擦過音と共に両者がやや離れる。その隙を突いてガルディーンはまたも走り出した。逃亡を優先しているようだが、なぜか階段を目指す気配がない。謁見の間は上層階にあるため、城を出るには下階に行くことが不可欠なはずだが。

 何か狙いがある、とユキトが予感にも似た考えを抱いたとき、ガルディーンは廊下の突き当たりにある木製の扉を切断して外へ飛び出した。


 正確に言えば、そこは外ではない。レミュオルム城は中間部から二つの塔に分離し、塔同士を繋ぐ渡り廊が何本か設置してあった。ガルディーンが出たのはその渡り廊の一つだ。

 手すりが設置されただけの渡り廊は強い風が吹き付けている。ガルディーンは怯むことなく進んでいく。ルゥナも全速力で駆け抜けた。鎖を握りしめ、剣を縦回転させながら肉薄する。

 ガルディーンは渡り廊の中間に来る急に振り返り、ルゥナの放った斬撃を刀で弾き返した。衝撃が廊を振るわせる。

 再び始まった激しい斬り合いの中で、ガルディーンが口角を上げた。


『逃げろ!』


 ガルディーンは腰に差していたもう一本の柄に手を掛け、一気に抜き放つ。間一髪のところで回避したルゥナだが態勢が崩れた。

 その隙を突き、ガルディーンが彼女の腹部を蹴り飛ばす。

 ルゥナの体が空中に投げ出された。

 一瞬の浮遊感の後、その身体は急激に落下を始める。ユキトは無意識に叫ぶ。


「くっ!」


 寄る辺のない空中でもがくルゥナは、塔の膨らんだ部分――回廊の外壁めがけて回転させていた剣で刺突を放つ。宝剣は塔の外壁に突き刺さり半ばまで食い込んだ。鎖を握りしめていたルゥナは、アンカーとなった剣に全体重を預ける。

 宝剣はギシリと曲がったが、壁から抜け落ちることはなかった。落下が止まり、ルゥナは宙ぶらりの状態になる。


『うおおおお危ねぇ……!』


 恐怖と興奮でユキトは声を震わせる。寿命がいくらか縮んでもおかしくない体験だった。

 しかしルゥナは安堵するどころか警戒心を更に跳ね上げる。


「まさか……!」


 彼女の死線の先にはガルディーンがいた。

 その姿がどんどんと接近してくる。

 男の体は、空中にあった。


『嘘だろおい!?』


 ガルディーンは滑空するようにルゥナめがけて落下している。事故でないことは、焦り一つない冷淡な表情と剣を構えた姿勢が語っている。

 唸り声を上げたルゥナは剣を引いて壁を蹴る。

 直後、急接近していたガルディーンの斬撃が壁を切り裂いた。回避されたものの男はすぐに壁を蹴ってルゥナを追う。二人の距離は一瞬にして縮まった。

 驚愕したルゥナは空中で剣を振るう。両者の剣が激突して擦過音が響く。落下中にも関わらず二人は戦い続けている。あまりにも常識外れな絵面だった。


『地面が……!』


 ユキトは狼狽と共に叫ぶ。あと数秒ほどで大地に激突する、という段階で二人は剣を引いた。

 ルゥナはもう一度塔の外壁めがけて剣を突き刺し、鎖にぶら下がることで激突を食い止める。一方でガルディーンはといえば、彼女と同じように外壁へ刀を突き立てて落下を減衰させた。成人男性の体重と鎧の重量も合わさってすぐに刀は抜けてしまったが、ガルディーンはもう一本の刀を突き刺すことで中空に留まる。

 両者のあまりの離れ業に、渡り廊から見下ろしていた衛兵達が動揺のざわめきを漏らしていた。

 壁際でぶら下がったままの二人は同時に武器を引き抜く。まだ少し高さはあるが、ルゥナは体を回転させて軽やかに着地し、ガルディーンは両足で豪快に着地していた。


 ガルディーンの表情は先ほどからまったく変化がない。その胆力と豪快さに、ユキトは畏敬の念すら感じてしまった。

 おそらくガルディーンは封鎖された塔の脱出が困難と捉えて、最初から渡り廊を使う脱出経路を考えていたのだろう。普通はそんな風に利用するはずもないが、だからこそ衛兵たちは食い止める術がなかった。ルゥナを誘き寄せて墜落死させようとしたのも、あくまで逃走のついでなのだろう。


 城郭の開けた場所に降り立った二人は剣を構える。だが今までとは違って、ガルディーンは刀を両手に握りしめていた。


『……やっぱり、二本同時に使うのか』


 当たってほしくない予想が的中してしまった。

 元の世界でも二刀を扱う剣豪は存在している。難易度が高いといわれる技法だが、ガルディーンほどの人間なら扱えるだろう。

 そして二刀流を極めた者は、一刀だけの者よりも遥かに強い。


「あれがガルディーン卿の本来の型だ。極東諸島原産の「励剣」を使い、圧倒的な斬撃の数で押し切る。あれを防げるのは、十剣候デルガドの防御壁くらいだろう」


 ルゥナが小声で説明すると、ガルディーンの目に興味の色が浮かんだ。


「全王円卓会議でも独白していたな。独り言がお前の癖か?」


 ユキトとルゥナは息を呑む。会議中、ガルディーンに観察されていた気配は微塵もなかった。


「いや、違うな。精神的な揺れではない。まさかとは思っていたが……貴様、ルゥナールか」


 ルゥナは、答えない。だが彼女の表情が険しさを増したことで、ガルディーンは確信を得たとばかりに笑った。


「口調の変化は演技だとしても、動き自体は誤魔化せるもんじゃねぇ。円燐剣の遣い手がもう一人いる可能性も考慮していたが、剣捌きの癖まで同じはずがない。なにより一度剣を交えた相手の動きは全て記憶している。貴様はルゥナールだ」


「……」


「まぁ本音を言えば、かなり信じがたいがな。導師の力なんてのは単なる詐欺だ。人間の魂と接触できる奴なんざいやしねぇ。ましてや神の宣託を得るなんざ不可能だ」


「詐欺、だと?」


 間髪入れず問い返したルゥナは、驚きを隠しきれていなかった。それはユキトも同じだ。

 確かにグリニャーダは詐欺師だったが、導師全体がそうであるとユキトは考えていない。しかしガルディーンの言葉は、まるで全員がそうだと示唆している。

 この世界に幽霊を見ることのできる人間は、神や精霊と接触できる人間はいないというのか。

 ならば憑依の力を知る者も、存在しないことになる。

 ユキトはそれでも、妙にすっきりした気分になった。もはや疑いようはない。

 異世界に転移したことと、憑依の力は確実に繋がっている。 


「知らなかったって風だな。つまり貴様らはラオクリア総主教庁とも関与していないってことか……貴様は一体なんなんだ、小僧」


 ガルディーンもまた違和感を抱いたように眉をひそめる。

 両者の間に漂う緊迫感が薄れ、探り合うような視線が交錯した。ガルディーンにも理解できないこと、計り知れないことがあるようだ。決して完全無欠ではないということが知れて、ユキトは若干だが安心を覚える。

 黙していたガルディーンだが、止めていた呼吸を再開するように息を吐いた。


「まぁ、いい。正体がなんであろうと、ルゥナールの魂を定着させていることに間違いはなさそうだ。で、お前は妹に暗殺の件を伝えて報復に動いた訳か。自分の弔い戦とはまた数奇な運命だな」


 まるで他人事のような言い分にユキトは不快感を抱く。

 一方でルゥナは、険しい目付きのまま確認するように聞いた。


「……暗殺が自分の指示であると、お認めになるのですか」


「ああ、そうだが?」


 明朗な返事だった。あんなに苦労したのは何だったのかとユキトが呆れてしまうほどの、あっさりとした白状だ。


「さしもの俺も、魂の存在までは予想の範疇外だったな。知っていれば計画の破綻は防げただろうが」


「なぜですか」


 硬質な声で呟くルゥナは、剣の柄をぎゅっと握りしめる。


「帝国を葬るためだけにゼスペリア州を崩壊寸前まで追い込み、ライオット殿下を殺害し、ジルナを貶めたのですか? たったそれだけのことで……!」


「違うな」


 酷薄と鋭さを持って、ガルディーンは否定する。


「帝国なんざ通過点に過ぎん。この大陸全て、いやこの大地に存在する全ての国々を統一することこそ我が覇道だ。戦乱を平定することは民の安寧にも繋がる。可能とするのは、この俺だけよ」


 俺だけ、とガルディーンは言い切った。そこに同胞であるアルメロイの存在は含まれていない。結局のところ辺境伯も駒の一つでしかないのだ。


「詭弁だ……!」


 ルゥナは吠えると、宝剣の切っ先をガルディーンに突きつけた。


「貴方は平和など考えていない! 大願成就の途中で多くの血が流れることを無視している! だからゼスペリアを危機に晒しても平然とした顔でいられるんだ……!」


「なんとでも言えよ。評価は後世の歴史家がするもんだ。盤石の体制を作るには多少の犠牲も必要だろ?」


『多少だって?』


 男のいう多少とは数千か数万か、それとも更に大きい数だろうか。

 口で語るだけなら何てことはない感触だ。しかし多少の犠牲という言葉には、有り余るほどの悲劇と怨嗟が詰め込まれている。目を背けたくなるほどの慟哭がそこにはある。

 ガルディーンはそれらを切り捨てた。人の尊厳を踏みにじっている。

 そしてルゥナの命を弄んだ。


「私は! 貴方を州長だと認めないっ!」


 咆哮したルゥナは、ガルディーンへ突貫する。

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