④-選ぶべき道-

 数時間後。執務室の中にはジルナとユキト(とルゥナ)、そしてゴルドフを始めとするロド家の重鎮達が揃っていた。

 一堂はテーブルに広げられた地図を、穴が開くかというほどに凝視している。だが誰も声を発さない。壁際で成り行きを見届けているユキトも、室内の陰鬱な空気を感じ取っていた。


「……してやられましたね」


 州長席に座るジルナは、徹夜仕事を終えた後のように憔悴していた。


「この総攻撃こそがライゼルスの狙いだったのでしょう。今はただ、気づけなかった自分が恨めしい」


「己を責めなさるなジルナール様。家臣一同、いやダイアロン連合国の誰もが奴らの狙いには気づけなかったのです。まさかこんな一手を打ってくるとは、誰も想像せん」


 ゴルドフは短い頭髪を撫でて口元を歪める。同意するようにクザンも頷いた。


「……聖ライゼルス帝国の狙いは、全戦力を投入して七州を撃破すること、ではありません。真の狙いは、ゼスペリア州の陥落にあります」


 クザンは教鞭のような細い棒で地図を指し示すと、小声で話し始める。棒の先端はピレトー山脈に置かれていた。


「……ご存知の通り、連合国は各街道を六州で分担管理し、敵襲を察知した場合は各州が管轄する街道へ軍を出向させます」


 カッ、カッ、と音を立てて、棒が六つの街道を叩く。


「……この方針は、戦時中に別の街道が攻め込まれることを阻止する体制でもある。現に数十年前、聖ライゼルス帝国は複数の街道に対し時間差の同時攻撃を敢行しました。ですが、連合国は戦力を分散していたおかげで退けることが出来た」


「ありゃあ辛い戦いだった。ワシのじいさまもそれで亡くなったからな」


 ゴルドフが昔を思い出すようにため息を吐くと、重鎮の何人かが深く頷いた。歴戦の戦士達にとっては実感の湧く話のようだった。


「……翻って今回。敵国はほぼ同時に六街道を北上し、我らの領土を侵犯しようとしています。従来の方針を貫けば、各州は管轄街道の防衛に専念することになる。ですが、大きな問題があります」


「ゼスペリアのみ、先の戦争で大幅に戦力を削られている、ということですね?」


 ジルナの指摘を受けて、クザンは静かに頷く。


「……他州がゼスペリアに兵や軍備を融通すれば、それだけ自軍が弱体化する。ライゼルス軍と拮抗状態にある我が国の軍事力からすれば致命的でしょう。州の長であれば、たとえ同盟関係であっても自領土の防衛を優先せざるを得ない」


「だがなクザン。ゼスペリアが陥落すれば他の州にも危害が及ぶのだ。最悪、連合国が崩壊しかねん。さすがに他州とて放置はするまい?」


「……ゴルドフ殿の言も一理はあります。ゼスペリアが懇願すれば、あるいは支援を申し出る州が出てくるやもしれない。ですが、支援先として一番可能性が高い州こそが問題なのです」


 含みをもたせた返しだった。ユキトはすぐに、クザンの懸念に気づく。

 脳裏を過るのはガルディーンの不敵な笑みだった。


「……智将と評されるあのお方が、この状況を見逃すはずがない。援軍の要請をすれば十中八九、合併軍参入を条件として提示してくることでしょう。こちらも援助を申し込んでおきながら、ギュオレイン州のみ断るなど相当の理由がないと成り立ちませぬ。我々が他州に助力を求めれば、ガルディーン卿の計略に絡め取られるでしょう」


 加えてヘルメスの婿入りも強制されれば、戦争に勝ったところでガルディーンからは逃げられなくなる。

 危険性を認識したゴルドフは「むう」と唸って黙り込んだ。


「……先のドルニア戦役は前哨戦に過ぎなかった。聖ライゼルス帝国は全ての街道を攻め込むことで弱体化したゼスペリアを孤立させ、この領地を手中に収めようとしている。ドルニア戦役後に一旦引き返したのも、こちらが油断している間に別働隊と合流する方針だったのでしょう」


 クザンが眉間に皺を寄せる。無表情が多い男には珍しく、苦悶の感情を表していた。それが返って、事態の深刻さを物語っている。


『……妙だな』


 そのとき、黙り込んでいたルゥナが呟いた。


『各街道を同時に攻め込むことで、ゼスペリアへの支援を足止めして一点突破する。理に適っていると思うかもしれないが、問題点が幾つかある』


 ルゥナは腕を組みながら、指を三本立てた。


『まず前哨戦での勝利が必須条件だ。負ければ計画は頓挫し、後続部隊の山越え準備が徒労に終わる。次にゼスペリアが孤立しなかった場合。各州が結束して軍事力を平準化させる可能性もあった。最後に、ライゼルスは短期間のうちにゼスペリア州を落とさなければいけないという、厳しい条件がある』


「前の二つは何となく分かるけど、最後のは……?」とユキトはこっそり聞く。


『たとえばゼスペリアが持ち堪えている間に他州が勝利し、そのまま援軍として合流されてしまうかもしれない。ライゼルスは物資にも限りがある故、早期の決着を望むだろう』


「……ちょっと待った。それ全部外れてるじゃないか。今はライゼルスに都合のいい展開ばかりだ」


『そう、それが妙なんだ。あまりにもライゼルスに有利な方向へ転がっている。大胆な作戦は強運頼りだったのか、さもなくば、戦況が有利に流れることを事前に把握していたかのどちらかになる』


 ユキトは奇妙な感覚に捕われた。まるでガルディーンの計画を逆手に取るような動きだ。

 しかしダイアロン内部の、それも入念に隠蔽された権力争いを早い段階から察知していなければそんな芸当はできない。


 ――……まさか、ガルディーン派閥の裏切り者?


 該当しそう人物には心当たりがある。ラウアーロだ。

 現にあの男はガルディーンの思惑とは別の行動をしていた節がある。


『運ではないとすれば、内通者の存在だ。ラウアーロという男が筆頭候補だろう。どういう了見かは知らないが、ガルディーン卿の策謀を利用してゼスペリアを孤立させたかったのかもしれない』


 ルゥナも同じ見解に辿り着いていた。しかしその先を二人は進められない。ラウアーロの正体がわからないままでは、意図を読み解くことは不可能だ。

 全ての真相が明るみになったと思いきや、まだ深い闇の中をさ迷っている。これ以上詮索できないことが、ユキトはもどかしかった。

 一方で会議の方も再び停滞していた。援軍が見込めない状況での打開策など、簡単に見いだせるはずがない。


「……籠城戦しか、あるまい」


 そんな中で切り出したのがゴルドフだった。

 家臣一同とジルナの視線を浴びる中、厳めしい老兵は地図のある地点を指で示す。ゼスペリア州内地だ。


「ゼスペリア領土における全ての物資と武器、人員を内地へと結集し、全ての門を閉鎖して外壁周辺を自軍で固める。いくらライゼルス軍といえど簡単には突破できまい。食料が持てば一ヶ月は状況を維持できる。その間にバーナ州などの増援を呼び込めば、陥落は免れる」


 幾人かの家臣が同意を示すように頷いた。しかし待ったを掛けたのがクザンだ。


「……確かに備蓄はありますが、ライゼルス軍を退けるまで保つかは不透明です。敵は略奪で用立てできますが、我らには調達の術がない。何より、他州が援軍を送れないほど疲弊している場合は救援も大幅に遅延します。陥落は時間の問題だ」


「難が多いことは承知しておるわ。しかし他に方法があるのか?」


「……ガルディーン派閥に支援を求める」


 驚愕がその場を駆け抜けた。ゴルドフは目を剥く。


「諸侯王への反逆に賛同しろというのか!? 何よりルゥナール様を亡き者にした怨敵を頼るなど言語道断だ!」


「……では、ライゼルス軍に蹂躙されるのを待てと仰るのですか? 今はゼスペリアが生き残る道を模索すべきでございます。たとえ諸侯王を裏切ったとしても」


 ゴルドフは無言でクザンの胸ぐらを掴む。対する寡黙な男の目には烈火のような怒りがあった。

 それはゴルドフに対してではない。苦肉の策を選ぶしかない自分の不甲斐なさへの憤りだ。

 黙って睨み続けたゴルドフだが、罵るべき言葉が見つからず、手を離した。

 すると家臣達が一斉に声を上げ始めた。


「クザン殿の言う通り、ガルディーン卿を頼るべきではないか? このままではゼスペリアは陥落するぞ」「ロド家への忠義はどうした! これでは先代方にも顔向けできぬ!」「ならばゼスペリアに滅べというのか?」「懇意の諸侯を通じれば必ずや援軍は訪れるはずだ!」


 壮年の男達が口々に叫ぶ。部外者として口を挟まないでいたユキトだが、眉間に皺を刻んだ。好き勝手吠えるだけで何の中身もない。

 一方でルゥナはといえば、腕を組んで固く目を閉じている。それは何かをじっと待つような姿勢だった。


「……ゴルドフの案もクザンの案も、どちらも正しいと思います」


 小さな呟きが、騒乱の中を通り抜ける。ジルナの声だ。

 たったそれだけで、場は水を打ったように静まり返った。


「両者とも、ゼスペリアの未来を守るために考えた結論なのでしょう。ですが一番に考えなければいけないのは、我が州の民です」


 ジルナは一同へ、厳しい視線を投げかける。


「籠城すれば来る日も来る日も敵兵の侵略に怯えることになる。ガルディーン卿に屈服すれば身内同士での争い、そして絶え間ない戦争に疲弊していく。どちらも民の平穏にはほど遠い。私はそれを是としたくない」


 彼女の声音はいつもと変わりはない。だが、耳を傾けざるを得ない強い意志が込められていた。

 一泊置いたジルナは、深く息を吸い込むと、意を決したように告げた。


「ドルニア平原で、ライゼルス軍を迎え撃ちます。厳しい戦になるでしょうが、ロド家の手でゼスペリアを守らなければいけません」


 家臣たちがざわめき、困惑を浮かべながら互いの顔を見合った。


「私も賛成だ」


 第三者の声が割り込む。

 一同は、壁際のユキトへ一斉に振り向いた。


「あ、今のはルゥナの言葉です。伝言を続けます」


 ユキトは一度注釈してからルゥナに横目で合図をする。彼女は頷き、家臣達へ向けて声を発した。


『自力でライゼルス軍を打ち倒すしか道は残されていない。それにここで勝利すれば、ガルディーン卿もジルナを無能とは誹れなくなる。付け入る隙を消滅させ、対等に持ち込める』


「そ、そうかもしれませぬが! 勝算がなければ話にならんのですぞルゥナール様!」


『勝算はある』


 きっぱりと言い切ったことにゴルドフやクザンはおろか、伝言役のユキトも驚いてしまった。彼女は構わず続けているので、ユキトは通訳に戻る。


『ゼスペリアが弱体化したままということは、つまり他州は万全の態勢にあるといえる。ライゼルス軍にとっては脅威のままだろう。つまり敵国は、いつにも増して他州攻略に力を入れざるを得ない』


「……なるほど。我らへの戦力は、逆に手薄になるということですか」


 クザンが納得したように相槌を打つ。


『ただ、ライゼルスとて計算はしているだろうから、甘い采配で済ますことはまずない。しかし付け入ると隙があるとすれば、ここにしかない』


「姉様の仰る通りです」とジルナが首肯する。どうやら姉妹は同じ戦略を思い描いているようだった。


「ゴルドフ。現時点でゼスペリアが投入できる兵力はどれくらいですか?」


「あ、ええとですな。およそ三千から四千、といったところかと。騎兵隊は一千あるかどうか……」


「ライゼルスは一万以上は派兵してくるでしょう。あと五千は欲しい、か」


 自身の頬を撫でたジルナは、次にユキトへと視線を送った。正確には隣のルゥナにだ。何かを考え込むように黙った後、彼女はまた家臣の方へ向き直る。


「数では圧倒的に不利です。だからこそ、戦力差を覆す策が必要となる」


「簡単に申されるがなジルナール様。戦とは数と数のぶつかり合いが本質。小手先の策など、どこまで通用するか」


 定石を知り尽くすゴルドフは渋い顔になっている。ジルナの経験が浅いことも不安材料のようだ。

 しかし、老兵の憂いを払拭するようにジルナは言い放つ。


「秘策ならあります」


「……なんじゃと?」


「ただ、手練のゴルドフからすれば奇抜に映るかもしれない。ですので、今から伝えた後に実現性の――」


「失礼いたします!」


 ジルナの勢い込んだ声は、扉の開閉音に邪魔された。

 室内に飛び込んできたのは一人の衛兵だ。


「あ、軍議中に失礼いたしました……!」


「構いません。何用ですか?」


「ジルナール様に来客でございまして」


「こんなときに……?」


 訝しむ彼女に向けて、衛兵はその名を告げる。


「御客人はヘルメス・ガルディーン・ギュオレイン殿下にございます」


 動揺がさざ波のように広がった。

 ガルディーンの息子であり、ルゥナとライオット暗殺に関わる中心人物。そんな男がロド家に乗り込んできた。

 怒りが沸く前に不気味すぎて、ユキトは息を飲む。


「その、名を告げれば用件はわかると仰られて、既に応接室にいらっしゃるのですが……軍議中であるとお伝えしたほうがよろしいでしょうか」


「……いえ、出向きましょう。軍議は一時中断します。ゴルドフにクザン、それとユキトは同席してください」


 ジルナは席を立ち、歩き始める。

 その顔は人相が変わるほどに険しくなっていた。

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