③-姉妹には頭が上がらない-

 よく清掃が行き届いた小綺麗な執務室の中で、ユキトは来客用の長椅子に座っていた。対面にはジルナが座り、二人の間にあるテーブルには朝食が揃っている。

 だがユキトは何も手に取ることなく、あんぐりと口を開いていた。


「なので考えられる案としては、他の二州長と結託することですね。そこまで潤沢ではない二州ですが、この陰謀を知ったとあれば黙っていられないはずです」


 真面目な説明を続けるジルナだが、言葉の合間にぱくぱくと朝食を口に放り込んでいく。長台詞を淀みなく喋り続けているというのに、舌を噛むこともない。

 それよりも驚くべきは朝食の内容だった。テーブルの上に所狭しと並べられたのは、色とりどりの果物と菓子の山。この世界でのパンに値する発酵食品も並べられていたが、彼女は菓子類と果物ばかりに手を伸ばしていた。


「って聞いてますかユキト?」


 ジルナが胡乱げに聞く。我に返ったユキトは、彼女が摘まんでいる小さな菓子をまじまじと見つめた。


「ごめん……その、朝から凄い量を食べるもんだから」


「これから忙しくなりますからね。今のうちに保管しておいたお菓子は食べきっちゃわないと。腐らせるなんて勿体無い」


 と言いながらジルナは菓子をひょいと口に放り込む。頬張る彼女は幸せそうにうっとりとしていた。

 いくら在庫処分とはいえ朝から一気にやらなくてもいいのではないか。そんな本音も、微笑ましい光景と物量のギャップからくる胸焼けに遮られて出てこなかった。


「私の食事はどうでもいいでしょー。それより話の続きをしたいんですけど」


「あ、どうぞ」


 気を取り直し、ユキトも近くにあったパン(異世界準拠)を取って食べ始める。どこか草餅に近い味だ。食感もほどよくもちもちしていた。


「先ほども説明しましたが、ガルディーン卿とアルメロイ卿の結託が判明した今、どちらの婿を迎えることもできません。拒否するということはつまり、ゼスペリアの財政難と軍事的弱体化が続くことになります。これは早急に対策を講じなければいけません」


 ジルナの言う通り、援助の話を断ってでも縁談は破棄する他なかった。

 ガルディーンとアルメロイの狙いはゼスペリアの実権を掌握し、合併軍に参入させることだ。その巨大化した軍事力を利用してヴラド諸侯王の退陣を強要し、国ごと作り替えようとしている。

 ゼスペリアは、いやルゥナは、彼らの野望の道具にされた。ルゥナの死は布石作りの演出でしかなかった。

 後継ぎを必要とするロド家のお家事情につけ込んだ挙句、あまつさえルゥナの人望と命を捨て石のように扱ったのだ。そんな卑劣極まる行為を、許せるはずがない。


「そこでゼスペリアが取るべき方針はひとひゅ」


 もむもむと菓子を頬張るジルナが、人差し指を一本立てる。


「ガルディーン派閥に与していない二州長と結託する道です。ニーヘイロ、カルマンの両名は穏健中立派ですが、ロド州長代理を殺害しヴラド陛下の王位簒奪を狙っているとあれば黙ってはいません。これは歴とした国家反逆罪に相当します。同盟を組み、抵抗を企てます」


「なるほど。こっちも合併軍にするってことだな」


 意趣返しとしては痛烈だ。ガルディーンの策謀は皮肉にも、他州が手を組む事態を招いている。


「我々の手でこの陰謀を止めなければいけません。ガルディーン卿、そしてアルメロイ卿は地の果てまでも追いかけて、罪を償ってもらいます……必ず」


 ジルナの瞳の奥に暗い炎が宿った。ゾッとするほど冷たく、そして悲しみと怒りに満ちた怨嗟の猛りだ。

 するとルゥナが、妹の憤慨を抑えるように優しく話しかける。


『彼らを罰することも大事だが、今はゼスペリアの立て直しを優先して、ジルナ。今ここで彼らと事を荒げても、窮地に追いやられるだけだ』


 ユキトが通訳すると、ジルナはカップの紅茶を飲んで一息ついた。


「……大丈夫ですよ姉様。二州と結託するといっても、表向きは以前と変わらない関係を装います。まずは軍備を整え、ライゼルス軍との衝突に備えなければいけませんし。ニーヘイロさんのバーナ州とカルマンさんのモメンタリ州も、余裕はないにしても隠れて援助はしてくれるはず。残りは自力で何とかします。ユキトが作ってくれた検討時間の中で、ライゼルスを退ける策を考えましょう」


 そうは言うが、婿選びに迷う風を装えるのも時間の問題ではある。痺れを切らしてアルメロイが婿を押し付けてくる可能性もある。

 何よりユキトは、ガルディーンの動きこそ気がかりだった。


「だけどジルナ、ガルディーンはこっちが情報を掴んでることに気づいてる。そうでもないと、俺に刺客を向けたりはしない」


 ライオットのおかげで、襲撃してきた野盗はガルディーン配下の変装だったと判明している。つまりユキトを狙ったのはガルディーンの指示だ。

 理由として、考えられる線は二つ。


「多分、監視か何かついてるんだろう。あっちとしてもロド家の動向を把握したいはずだから。俺達が奇襲のことを調べてると判明して、手を打ったんだ」


『しかしユキト、それでは中央州での襲撃の辻褄が合わない。ラウアーロという男はガルディーン卿の配下だったわけで、あの襲撃も命令だったとするのが妥当だろう。あの時点で君は何も怪しい動きを見せていなかった。なら、君を狙った目的が他にあると考えられないか』


「俺、というかルゥナの存在を感知してたってことだな」


 ルゥナは一瞬驚き、感心したように頷く。

 それがユキトの考える、もう一つの線だった。

 ラウアーロの一度目の襲撃がガルディーンの指示なら、全王円卓会議直後にユキトを狙う理由が発生したことになる。何度想像してみてもその原因は、ルゥナを憑依した力にあるとしか考えられなかった。


『ガルディーン卿からしてみれば、暗殺した相手が霊となって残っているなど脅威以外の何物でもない。君を口封じをしようとした、と考えられる。私や君の力に気づいたきっかけはわからないが、卿の身近な人物に導師様が付いていたとか、色々と可能性はある』


「そうなると異質なのはラウアーロの存在ですね」


 ユキトはギョッとする。話に割って入ったのはジルナだった。


「あの、ルゥナの声、聞こえてないよな?」


「聞こえてませんよ? でもユキトの言葉と話の流れから大体類推できます」


 これにはルゥナも面食らっていた。声が聞こえない相手とのやり取りを想像して話を合わせるなど、簡単にできるはずがない。才女だとは思っていたが、その洞察力に改めてユキトは驚嘆させられた。


「話を続けますね。ラウアーロは三鬼と衝突してまでユキトを狙ったと聞いています。わざわざ捕らえた人物を横取りするような真似をガルディーン卿が指示するはずがない。同じ配下同士なら尚更に」


『そう、気になるのはそこだ。私は実際に見ていないが、ラウアーロは黒の襲撃者を自在に生み出したという。その力でもって君を捕縛すれば良いものを、わざわざ三鬼を用意した。これは不自然だ』


「……ラウアーロの独断だった、ってことか」


 ユキトの言葉に、ジルナとルゥナは首肯する。


「黒い粒子で人間を形作るなどあまりにも常軌を逸していますが、それ故に特異な存在だったのかもしれません。ガルディーン卿でも制御できず、混乱を招いた可能性はある。クザンにメディウス教を調査させますので、ラウアーロの素性は追々わかるでしょう。今は二州への協力要請を優先します」


 ユキトはすぐには相槌を打たず、食べかけのパンをじっと凝視する。

 ラウアーロが裏切ったのはなぜか。化け物としか言いようのない正体のこともそうだが、仲間に引き込もうとした意図がずっと引っかかっている。

 だが死んだ人間には、幽霊にでもならない限り問いただすことは出来ない。そしてラウアーロは現世から消滅している。今更測り知ろうとしても無駄だろう。


「……そうだな。後はガルディーンの悪事を示す証拠を用意しないと」


 菓子を食べようとしていたジルナの手が止まる。何を言ってるんだ、という表情を浮かべていた。


「それは確かに必要でしょうけど……ガルディーン卿が明確な物証を残しているとは思えません。私はユキトの力を頼るつもりだったのですが?」

 

「ガルディーンは、そうだろうね。でもアルメロイのおっさんは違う」


 断言し、ユキトはニヤリと笑った。


「これはライオットさんから託された話なんだ。あの人の遺言を使えば、ガルディーン達を止められるかもしれない」


 ドルニア平原に戻る前、ユキトはライオットから全ての真実を明かされた。

 その上で彼から、ある願いを託されている。それはライオットの幸せの形であり、今は万が一があったときの保険となっていた。


「――ってことで、ライオットさんの友人の鍛冶職人が持ってるはずなんだ。中身もまだ見てない状態だけど、ヴラド諸侯王に訴えるには十分説得力がある。だから取りに……ってジルナ?」


 説明途中でユキトは眉をひそめた。ジルナはうつむき、膝に置いた手をぎゅっと握りしめている。


「……そんな話が、あったなんて」


 彼女の声は、感極まったように震えていた。目尻にも涙が賜っている。


「な、泣いてるのか……?」


「だってすっごくいい話じゃないですか!」


 ジルナは頬を紅潮させ、ほうっと熱のある吐息を吐く。

 ユキトは拍子抜けした。また怒らせでもしたのかと勘ぐっていただけに。

 

「まさかそんな物を用意されていらっしゃったとは……凄いですね、姉様。殿方からこんなにも想われているなんて羨ましいです」


 涙を拭いたジルナがユキトの隣に向けて微笑む。


『……ああ、そうだな』


 ルゥナも笑い返す。だが、ユキトはその様子に訝しんだ。

 彼女は何も嬉しそうではない。笑みも、無理に浮かべたようにぎこちない。表情には陰りがある。

 いや、ルゥナの様子がおかしいのは今だけのことではなかった。

 ライオットと最後の会話をしてから、彼女は物思いに耽る時間が増えた。遠くを眺めるその表情は、今にも消えてしまいそうなほど儚げだった。

 二人の最後の会話だからと踏み込まずにいたユキトだが、この調子ではさすがに不安を覚える。

 事情を聞こうか迷うユキトだったが、先にジルナが話し始めた。


「で、もう一方については証拠品として申し分ありません。手に入れば俄然こちらが有利になります。州同士の武力衝突も回避できるかもしれない」


 希望のある言葉だ。ユキトとしても、国の仲間同士で殺し合いなどさせたくはなかった。


「じゃあ俺が取りに行くよ。場所も聞いてるし」


「なに言ってるんですか」『なに言ってるんだ』


 姉妹から同時に突っ込みが入る。え、とユキトは目を瞬かせた。


「あのですね、ガルディーン卿は貴方を狙ってるんですよ? ゼスペリアから離れた貴方を放っておくはずないでしょ? 行くことは許しません」


『君が動くことでこちらの狙いを察知される恐れもある。せっかくの証拠を奪われていいのか? それに訓練をつけてくれと言ったそばから中断する気か君は? 師としては許可できない』


「う、それはその……」


『「わかったわね?」』


「はいっ!」


 姉妹の物凄い剣幕に、ユキトは反射的に背筋を伸ばして返事をする。

 ジルナは呆れたように首を振った。


「まったく貴方って人は。ほんとなんでも自分でやろうとするんだから。少しは大人しく待てないんですか」


『それが彼のいいところでもあるけどね。無茶はしないよう、二人で教育すればいいさ』


 今さらっとルゥナに子供扱いされた気がするが、口答えするとまずそうなのでユキトは黙っておいた。


「とにかく、貴方はここで待機です。引き取りには別の者を向かわせますから。辺境伯の領地なので警戒しなければいけませんが、兵を含め人選は私の方で――」


 そのとき、執務室の扉が勢いよく開け放たれる。


「ジルナール様っ!」


 室内に入ってきたのはゴルドフだ。

 家臣の顔色は、ユキトが息を飲むほどに蒼白になっていた。まるで猛獣にでも追われていたかのようだ。

 ジルナに歩み寄ったゴルドフは、息を整えるのに精一杯で喋りだせないでいる。異変を感じ取ったジルナは立ち上がった。


「どうしました」


「ラ、ライゼルス軍が……」


 話初めの言葉にユキトは、ライゼルスの再侵攻が始まったのかと身を固くした。

 だが続けて放たれた話に、衝撃を受ける。


「我が国へ続く街道を北上しております……それも六街道、全てにおいて」


「えっ……?」


「奴らは、聖ライゼルス帝国は全面戦争を開始するつもりですぞ!」


 血の気が引く音が聞こえた。愕然としたジルナの手から、菓子が落ちる。

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