⑫-花葬 下-
領主館の門扉を抜けて大通りを歩く。やはり人の気配はない。まるでゴーストタウンになったかのようだった。
しかしルゥナの道案内通りに大聖堂に向けて歩いていくと、ポツリポツリと人の姿が散見された。皆は一様に黒の喪服を身に纏っている。だが不思議なのは、見かける住民全員が手に一輪の花を握っていることだった。
「なんで花を持ってるんだ?」
『大聖堂に着けばわかるさ』
勿体ぶった言い方にユキトは首を傾げつつ更に歩く。
大聖堂に近づくと長蛇の列が見えた。やはり全員が喪服を着て手に花を握りしめている。老若男女関係なしだ。長蛇の列は遺体が安置されているという礼拝堂に向かって伸びていた。
数百という人が一列にズラッと並ぶ圧巻の光景に驚きながら、ユキトは礼拝堂に辿り着く。長蛇の列が正門に隙間なく入り込んでいる上、施設周辺にも人だかりができていた。正面からは入れなさそうだ。
ユキトは裏門にいる衛兵に事情を話して中庭から礼拝堂へと近づく。そして窓の外から内部を覗き込んだ。
「あっ……」
彼はその光景に目を奪われ息を呑む。
祭壇周辺は土台が増築され、ルゥナの遺体を入れた棺が斜めに置かれていた。
ルゥナは白を基調とした綺麗なドレスを纏っている。死化粧を施され頬はほんのりと朱が差していた。普段の騎士姿とはまったく違う、とても綺麗な女性らしい姿だった。
しかしユキトが驚いたのはそこではない。ルゥナの棺には様々な種類の花がびっしりと入れ込まれていた。更に土台部分にも花や植物が飾られ鮮やかに彩られている。
まるで美しい絵画のようだった。
唖然とするユキトは参列者の方へ目を向ける。住民達はルゥナの遺体の前に来ると一礼し、持っている一輪の花を土台に飾った。続く人もまったく同じ動作をする。飾られた花の数々は最初から用意されていたのではなく、住民達の手によって増やさているのだとユキトは気づいた。
『はは……あそこまで化粧を施されるとまるで別人だな』
隣のルゥナが恥ずかしげに呟く。だがユキトは目の前の光景に気を取られるあまり反応できなかった。
「あれが葬式、なのか?」
失礼に取られかねない台詞だがついそう聞いてしまった。人を弔うならもっと厳粛な内容だと勝手に思っていた。
『そう、あれがゼスペリア式の葬儀「花葬」だよ。死者は添えられた花と共に天界に向けての旅路に出るんだ』
ルゥナは語る。
ダイアロン連合国の過半数の人々が信仰する宗教が、豊穣神セレスティアを崇め奉るラオクリア教だ。その教義は「自然の産物は全て豊穣神が作り給うた奇蹟の賜物であり人間もその一部である。よって自然を変えることは神に反逆する行為に当たる。だが人間は住みよい環境に変えていかねば生きていけない罪深い生き物。よって神に祈りを捧げ罪を懺悔し恵まれた自然の産物に感謝を捧げなければいけない」となる。
花葬はこの教義から生まれた独特の儀式だった。
人は自然に還りやがて神の前に辿り着く。そのとき旅路を共にした数々の花を神に献上する。花の数は関わってきた自然――穀物や畜産、そして人間も含む――の量を示し「わたしはこれだけの自然に生かされてきました」と自分が得てきた様々な糧を神に感謝する。
神は花の数に足る人間かどうか見定め、妥当であればその者を生まれ変わらせるという。
『花が多ければ多いほどたくさんの存在に生かされていたことを示す。翻せばそれだけ多くの人間に関与してきた証にもなる。だから対外的に花の数はその者の人望、価値、影響力を示す指標にもなっている。多くの花が添えられることは名誉なことなんだ』
「ははぁ……なるほどね」
壮大な意味があるものだとユキトは感心した。
「州長代理のルゥナともなれば花の数も膨大になるんだな」
彼がそう言うと、ルゥナは自嘲の笑みを浮かべる。
『まぁ歴代州長の中では最低の数だろうけどね』
意外な言葉にユキトが驚くと、ルゥナは参列者を眺めた。その目線は列の最後尾に向けられている。
『……私は敗戦の将だから。これからゼスペリアを窮地に陥れるかもしれない、その原因を作った人間だ。州長代理としてろくな戦績も残せなかったし州を豊かにしたわけでもない。人々の上に立つ長として認められることは何一つない。恨む住民の方が多いだろう』
そんなことない、とは言えなかった。ユキトは単なる部外者だ。ルゥナのことを見ていた期間も少ない。そんな人間が慰めの言葉を投げたところで虚しくなるだけだった。
『だからきっと、参列自体は一日で途絶えると思う。早ければ明日にでも墓地に埋葬されるだろう……君の苦労も減るだろうから、かえって良かったかもな』
軽く笑うルゥナに対して、ユキトは何も言わずむっつりと黙り込む。
例え事実がそうだとしても、ルゥナの信念と覚悟を間近で見てきたユキトには納得のいかない話だった。彼女がどれだけゼスペリアを愛していたと思う、と訴えたくなる。
だがきっと、そんなもの他人には関係ない。理解できるだけに悔しかった。
******
しかしルゥナの予想は外れた。
参列者は一日だけでなく二日、三日と途切れることはなかった。三日目は夜になっても参列者の数が途絶えることはなく、人々は手元に光源を用意してまで並んだ。
二人は大聖堂ではなく、近くの高台から人々の流れを見つめている。
『そんな……』
ルゥナが呆然と呟く。目の前の光景が信じられないといった様子だ。
対するユキトは笑みが溢れていた。単純に嬉しかった。この光景は彼女の人間性、能力を認めている者が多いことを示している。もしかするとゼスペリアだけでなく他州からも集っているのかもしれない。
『なぜ……私は負けたんだぞ? ゼスペリアの貴重な税を奪われ資源も取られた。なのにどうして皆は……』
「簡単だよ。それでも皆は、ルゥナのことが好きだったんだ」
信じられない、という風にルゥナは首を振る。
『おかしい、そんなの……私は、この州に何も残せなかった。奪われるだけで、これから守ってあげることもできないで、それなのにまだ慕ってくれているというの……?』
「俺はここの住人じゃないから全部はわからない。けどルゥナを見てたら誰だって気づくんじゃないかな。ルゥナがゼスペリアのために、国のために頑張ってたこと。たとえ話したことがなくても、遠くから見てるだけでも、ルゥナは立派な州長だってわかるんだろう。なにせ異世界人の俺ですら気づけたくらいだしな」
ユキトは空を見上げる。柔らかな風が心地良かった。
ルゥナの生きた証は確実に残っている。決して無駄な人生ではない。他人事とは思えないくらい胸が暖かくなっていた。
『…………ありがとう』
ポツリと呟いた声が風に消える。見れば彼女の頬を一筋の涙が流れ落ちていた。止めどなく流れる涙を隠すようにルゥナはうつむく。
彼女が落ち着くまで待っていようと考えたユキトは、そこでジルナの言葉を思い出していた。
前に進むためにけじめをつけなければいけない、と彼女は言った。花葬はそのために必要な儀式だとも。参列する人々もまた、花を添えることで自分の心に整理をつけるのだろう。たとえば物を処分したり死者の物語を作ることも、全ては生きている人が前に進むために必要な行為だ。
ふと、ユキトはある思いを抱く。
霊視と憑依能力を使えば、元の世界よりも更に多くの人々の背中を押すことができるのかもしれない。それがこの世界に転移した意味だとしたら。
理屈ではない。ただの勝手な思い込みだが、妙に腑に落ちた。
だから彼は拳を握りしめ、ルゥナに向き直る。
「俺さ、元の世界に帰る方法を探すの、一旦止めようと思う」
突然の言葉に、頬を濡らしたままのルゥナが振り向く。どうして、と表情に書いてあった。
「ここに残ってジルナのことを手助けしたい。他の人達もいい人ばかりだし、ゼスペリアのことを放っておけないんだ。もしライゼルスが襲ってくるなら……俺も力になる。何ができるかは、まだわからないけど」
死者を救うだけとは明らかにスケールが違う。大人たちの駆け引きに翻弄され血みどろの戦争で悲惨な目に合うかもしれないことになるかもしれない。
それでも、ユキトの決心は硬かった。
「これは俺の我儘だ。好きだから力になりたい。身も蓋もないけどそれが俺なんだ」
ユキトは腰に供えた剣の柄をぐっと握りしめる。
できるできないの話ではない。本質は、逃げるか逃げないか、だ。
そして今は一人ではない。
「だからルゥナ。まだここに残って、俺に力を貸してくれないか?」
ぴくり、とルゥナは肩を震わせた。困惑が現れている。
死者は消えるべきだとルゥナは主張している。ユキト主体の都合とはいえ、死者が現世に対して大きな影響を及ぼし続けることを彼女は嫌うはずだ。
その考えは立派だ。理解もできる。しかしユキトは思う。ルゥナは自分の事情を優先させることを極端に嫌がるが、その性格が彼女の判断にも影響を与えているのではないか。つまり、死んでもなお国のために尽くそうとする行為は自分の我儘で許されない、とセーブをかけてしまうのではないかと、ユキトは推測した。
「この能力は俺の力だから気にするな……って言ってもだめ、かな」
ルゥナは無言だ。じっとユキトを、値踏みするように見つめている。
ややあって彼女は口を開いた。
『……復讐など望まない、と前に言ったことを覚えているか?』
「ああ」
『今もその考えに変わりはない。私は死んだ身だ。肉体がないままでは無意味なことだし、生きている人々の邪魔をしたくない気持ちはある。私はただ妹の決断を見届ければそれでいい。ゼスペリアの将来は気になるが、やはり私が介入すべきことではないだろう』
だけど、とルゥナは続けた。その瞳は何らかの感情で揺れている。
『君は生者だ。君が君の意思で選ぶ選択を、私は否定しない。そして……悔しいけれど、本音を言えばこの先のゼスペリアを見てみたい。それが正直な気持ちだ』
ルゥナは苦しげな様子で胸に手を当てた。
『こんな身勝手さは、騎士としてあるまじき醜さだと思う。だけど君の言葉を聞いて私は、どうしようもなく望んでしまうんだ……私は、もう少し、この世界に留まってもいいのか?』
それは小さな子供が親に伺いを立てるような不安げな声だった。
ユキトは小さく笑った。ようやくルゥナの本心が垣間見れた気がした。
「だって、誰かに駄目だって言われてるわけじゃないだろ? いつか未練が解消される日がくると思うけど、無理して消えようとしなくていいんじゃないかな。それまでは俺と一緒にいて欲しい。襲撃者のことも、ガルディーンのことも、ライゼルスのことも、全部解決しよう」
しばし黙っていたルゥナだが、やがて気が抜けたように笑った。
ユキトが見惚れるくらい、優しく澄んだ微笑みだった。
『改めて誓うよ、ユキト。私は君の剣となり、支える』
「よろしく、ルゥナ」
こうして二人の間に、再びの誓いが契られる。
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