⑨-裏切りの名は-
『悪かったなユキト……こんな大袈裟になっちまってよ』
「謝る必要ないよ。未練、なくなったんだろ?」
目元を擦りながらユキトは笑う。憑依中の影響で泣き腫らしたように膨れているが、むしろそれはニックスの未練を解消した証拠であり、誇らしくもあった。
半透明な体の男は肩を竦めるだけだ。素直ではないが、ニックスらしいといえる。
ユキトは一息つき、ちらりとサンドラ家のほうを窺った。現在はミリシャとサンドラ、そしてアルル達が屋内に入っている。何も知らない二人はセイラから事情を聞かされているはずだ。
今から少し前、ニックスとセイラ達の一悶着の途中で憑依時間は終了した。
肉体の制御権が戻ったユキトはすぐ、サンドラとミリシャに非礼を詫びる。あまりにも別人のように変貌したのでミリシャは面食らっていたが、サンドラは逆に導師の力の凄さ(厳密には違うが)を思い知って感嘆していた。
それからユキト達はニックスに協力した理由を説明しようとしたが、気づけばニックスの透明度はかなり進行していた。未練がほとんど解消された証拠だが、うかうかしているとすぐに消え去ってしまう。そこでサンドラ達への説明とは別に、ユキト一人だけはニックスから事の真相を聞くことにした。
「じゃあ、頼む」
少しの緊張を含みながら告げると、ニックスもまた真面目な顔つきになって頷く。
『わかってる……時間がないのもな。だから手短に話す』
するとニックスは、ユキトではなく別の方向へと視線を傾けた。細められた双眸には張り詰めた感情の揺らぎがあった。
『ユキト、あんたは俺の誤魔化しを見破ってたよな。なんで味方が裏切ったことを知ってるんだ、って』
「ああ」
『それは誰のことだと思った?』
「誰って、ニックスじゃ――」
ユキトはハッとする。ニックスがどの方向を睨んでいるかに感づいた。
男の視線の先にはギュオレイン州の中央、即ち領主館がある。
『あんたらの総大将ルゥナールを襲い、そして……俺を殺した連中。それはこの州の長、ガルディーンの手下共だ』
そしてニックスは物語を紡ぐように語り始めた。
ニックスが奇妙な男に声を掛けられたのは、義勇兵登録を済ませた帰りのことだった。軍舎にたむろしている同業者と情報交換しつつ酒を調達していたとき、彼はフードを被った男に声をかけられた。
切れ長の細い目と人を食ってかかったような独特の笑みを携えた男は、自らをラウアーロと名乗り、ガルディーン軍の特務士官補佐という役職に就いていると説明する。
下士官以上の人間と親しくなったことのないニックスは怪訝に思ったが、ラウアーロはとある作戦のために人員調達していることを耳打ちする。
なんでも、きたる第四次ドルニア戦役に向けてギュオレイン軍で開発した新型兵器の投入を計画しているという。弩砲を小型化し連射装填形式に改良した代物で運搬が容易く、威力の低下は空中で炸裂する爆破矢の使用で補う。ギュオレイン軍はこれを戦場に配備したがっていた。
しかし弩砲は攻城戦兵器で組み立てに時間がかかり、野戦では出番も少ない。加えてまだ試作段階にあることから、遠征軍総指揮を取るロド家が難色を示し、今回は見送られることになった。
ガルディーン側としては、何としてでも実績と測定結果が欲しい。そこでゼスペリア軍には極秘で新型弩砲を運び、運用する計画が立てられた。
もちろんドルニアまでの行軍に組み込めば反発は必至だ。そこで正規兵ではなく金で雇った傭兵達で新型弩砲を運び、戦地で組み立てようという魂胆だった。
ここまでくればニックスでも、なぜ声をかけられたかピンとくる。主君のいない傭兵であればいくらでも自由が効くし、金さえ貰えれば口も固くなるものだ。
ゼスペリアにも内緒で、というのはきな臭いが、ダイアロン連合国が決して一枚岩ではないことなどニックスも承知している。ようは戦争にかこつけて各州の権力闘争が起こっているのだろう。
しかしラウアーロがニックスに要求した仕事は、想像とは別の内容だった。
新型弩砲搬入は森を経由して行うという。しかも用心のために夜間に行動する、無謀とも取れる予定が立てられていた。
さしものニックスも耳を疑った。夜の森は見通しが悪く搬入どころではない。
疑問を呈するとラウアーロは、所定の中継地点で落ち合い、野営地まで先導する案内役を探していると答えた。深い森でも案内役がいれば運搬は難しくない。経路探索に余分な時間がかからない分、戦地に入る前に森の木々を資材とした下準備ができるのも利点だった。
その役目を、各地を流転し土地勘のあるニックスに頼むためラウアーロは近づいてきていた。
話の筋は通っている。しかし前例のない依頼だ。ニックスが二の足を踏んでいると、ラウアーロはすかさず契約金額を提示する。
その瞬間、ニックスは目の色を変えた。彼の人生の中でも最高額の大金だった。
あまりにも好待遇すぎて逆に不信感を強めると、ラウアーロは安心させるように穏やかな声で囁いた。
――傭兵を雇うには正規兵の三倍以上の報奨金をお支払いするのが当たり前ですから。それに大規模な野戦ともなると機会はそうそう訪れない。大金を叩いても実施したいのですよ。
ニックスは悩んだ末、申し出を受けた。
死ぬ危険性のある戦場で泥臭い仕事をするより、道案内の方が何倍も楽で安心できる。目の前にぶら下がった大金もみすみす逃す手はない。
なにより妻のサンドラと義娘のミリシャのためにもなる。
怠け癖がついてしまったニックスに愛想を尽かし始めた妻と、怯える一方でろくに会話もできない娘。家庭は崩壊寸前で、きっかけさえあれば二人は離れていってしまうだろう。
ニックスはもう、一人になりたくなかった。またあの過酷で惨めな流転の生活には戻りたくない。それにサンドラを愛してしまっている。彼女と過ごした時間はニックスの心を慰めてくれた。娘のミリシャともいつか打ち解けることができたら、父親らしい生き方ができたらと密かに願っている。
大金を持ち帰ればきっと感謝されるはずだ。サンドラも娼婦を辞めてミリシャとの時間を増やせるかもしれない。内地のもっといい土地に移り住んで、粉挽きや郵便など真っ当な職につくことも可能だ。
考え始めると希望の未来図を描くことが止められなくなった。内心でほくそ笑みながら、ニックスはラウアーロと契約を果たし前金を受け取る。
ラウアーロの提示した条件は三日目の夜に所定の場所で落ち合い、森を抜けて野営地まで先導すること。
そのためニックスは地図を何度も読み返し森を抜ける最短ルートを構築した。戦争が始まってからは疲弊する体に鞭を打って野営地を抜け出し、森の中をさ迷った。事前調査を入念にこなして目印をつけ、侵入経路を確保した。
そして三日目の夜。所定の場所で落ち合った連中は全員が黒ずくめの格好をしていた。甲冑は黒く塗り潰され顔もフードに閉ざされている。闇夜に完全に溶け込んでいた。
まるで暗殺部隊だ、とニックスは唖然とする。
傭兵達は個々に雇われたと思えないほど統率された動きをしながら、ニックスの後をついてきた。だが肝心の機材がほとんど見当たらない。どうしたのかと問うと、黙っていろとだけ命令してくる。
このとき異変に感づいていればニックスは命を落とすことはなかったかもしれない。だが男は家族を愛するがあまり、仕事を完遂することを優先した。
森を抜けて野営地まで出てきたとき、ニックスはほっと胸を撫で下ろす。仕事は無事に終わった。後は何食わぬ顔で野営地に戻り、戦争が終わるまで適当に働いて生き抜けば良い。
そうして仕事の完了を告げようと振り返った瞬間。
ニックスの胸を、冷たい刃が貫いていた。
――ご苦労様でした、ニックスさん。
フードに隠された傭兵達の一人に、愉悦を滲ませるラウアーロが混じっていた。そこで初めてニックスは、自分が騙されていたことに気づく。
だが不思議と怒りや絶望は沸かなかった。ゆっくりと凶刃が引き抜かれていく様を眺めるニックスは、しくじったな、と自虐する。
欲に眩んで嗅覚が鈍っていた。しかしその欲とは、男が初めて抱く他人への思いやりでもあった。それを捨てることなど、ニックスにはできなかった。
派手に血をまき散らし絶命したニックスの体は、傭兵達によっていずこかへ持ち去られていく。更に男達は武器を手に持ち、気配を消しながらゼスペリア側の司令部幕営地に進んでいった。
数分後、幕営地から悲鳴が響き渡る。周囲は不自然なほどの濃い闇に包まれ、肉眼では何が起きているのか確かめられなくなっていた。
ニックスは戦慄した。自分が何に加担したのか嫌でも理解した。
しかしもはや男にはどうすることもできない。止めることも、誰かに伝えることもできない。
未練を抱えて現世に留まった幽霊は、悪夢のような出来事を愕然と眺めることしかできなかった。
想像を絶する追憶に、ユキトはしばし言葉を失っていた。
思考がまとまりきらず、乾いた喉に唾を流すのが精一杯だ。
「ど……どうして、なんだ?」
掠れた声でようやく呟いたユキトは、信じられないものを見るような目をニックスに向けた。
「裏切られたってなんで最初に話してくれなかった! 黙ってる理由はないだろ!?」
どうしても解せない部分だった。ニックスは騙され、殺されたのだ。怒りや恨みは当然あるに違いないし、加担したことへの罪悪感だってあるだろう。
だというのに、ニックスは今の今まで全てを隠し通してきた。しかも悟られないよう嘘までついている。あまりに矛盾した行為だった。
『なんだよ、最初に聞くのがそれか。あんたのお人好しも筋金入りだな』
ニックスは呆れると、顎をしゃくり自宅を示す。
『あんた達が信用に足るかどうか見極めねぇことには喋れんだろ。事情はどうあれ俺は大罪人だ。そんな奴の家族に、影響が及ばないと言い切れるか?』
「あっ……」と呟き、ユキトは腑に落ちる。困惑が急速に引いていった。
「そうか。家族を守るため、だったんだな」
普通の人間であれば騙されたことを告白したり、あるいは奇襲に協力したことを懺悔するものだが、ニックスはそうすることができなかった。なぜなら、家族の安全をまず確保しなければいけなかったからだ。
州長代理の殺害は死刑を免れないほどの重罪だ。知らなかったとはいえ計画を補助したニックスも、生きていれば反逆罪に問われ厳罰は避けられない。
そしてこの世界では個人の罪の購いが一族にまで及ぶ。ロド家を裏切った家臣のモルディットも、一族もろとも追放されていった。
もしニックスが不用意に語れば、サンドラやミリシャにも矛先が向けられる可能性がある。ニックスはそれを危惧して事実を隠蔽しようとした。
「だけど嘘をついて、その後はどうするつもりだったのさ。未練を諦めてあの場に残ろうとしたとか?」
『いや、あのときは焦ってたんでよ。とりあえず誤魔化すことしか考えてなかった。まぁ喋ってるうちにあんたが霊を救うなんて本気で考えてるぶっ飛んだ野郎ってのがわかったんでな。こいつは俺の家族に手を出すことはないって、逆に信用できたのさ。もちろん良い意味でだぜ?』
褒められてるのかけなされてるのかよくわからないが、ひとまず置いておく。
「……なるほどね。てことはもう一つの頼みは、家族の保護か」
『あー、少し違うな。あくまであいつらは見逃してやってくれってだけだ……さっきのあれは、その、勢いっつうか』
思い出してしまったのかニックスが恥ずかしげにうつむく。本人にとっても予想外の行動だったようだ。しかし人間とはときに感情に突き動かされる生き物だということを、ユキトはよく知っている。ルゥナも同じだった。
ただ、常から家族を想っていないと実行できないことでもある。
ニックスが情報を餌にしてユキト達を動かしたのも、自分のためというより、他者を介入させることで二人の現状を変えようとした、と考えたほうが今はしっくりくる。
欺し欺される世界で培った狡猾さと、不器用な人間性が合わさった最後の目論見。それこそがニックスの未練の形なのだ。
『まぁあいつらは心配するまでもなかったようだけどよ……みっともなく頼み込んですまなかったな。あの姉ちゃん達にも詫びといてくれ』
「ああ、そのことだけどさ。今の話を聞いて――」
「ユキト様。話はどうですか?」
言葉の途中で家屋のドアが開き、セイラ達が外へ出てきた。その中でサンドラだけは憔悴の色が濃い。事の顛末を聞いて動揺しているのだろう。
それでもユキトの姿を確認したサンドラは、しっかりとした足取りで彼の前に歩み寄ってきた。セイラが制止しようとしたが間に合わず、彼女はユキトの隣の虚空に向けて声を張り上げる。
「ほんと馬鹿だねあんたは!」
ユキトは面食らうが、サンドラは肩を怒らせたまま続けた。
「こんなことになる前になんでもっと話してくれなかったんだ! しかもたくさんの人に迷惑かけて……! やっていいことと悪いこともわからないのかい!? ……気づいてたら、あたしが絶対に止めたのに」
『……んだよ、うるせーな。金さえ持って帰りゃ文句なかっただろうが』
売り言葉に買い言葉という諺がそのまま当てはまるやり取りだった。ユキトは素直に伝えるべきか逡巡したが、とりあえずやんわりと伝言する。
するとサンドラはユキトの隣をキッと睨みつけた。
「まだあたしの気持ちがわからないのかい? あんたと引き換えの金なんてね、欲しくないんだよ」
深々とため息を吐くサンドラに対し、ニックスは言葉に詰まったように黙り込む。反応がないことに気づいたサンドラは、なぜかそこで微笑を浮かべた。
「ほんと、昔からこうだったねあたし達は」
呟いた声には、懐かしさと哀愁が混じっている。
「でもさ……こんなになっちまっても、あんたは来てくれたんだね。最後に男を上げたね、ニックス」
『けっ、相変わらず上からだな』
「そりゃそうさ。姉さん女房だもの」
サンドラがからからと笑う。言い返そうとしたニックスだが、彼女の目尻に涙が浮かんでいることに気づくと、自分を落ち着かせるように深く息を吸った。
『……つってもよ、俺は反逆罪の悪人になっちまった。だから、俺みたいな男のことは忘れて違う旦那でも見つけろよ。その方が幸せだ』
「お生憎様。もう男の面倒をみるのは懲り懲りさ。旦那はあんたで十分よ」
サンドラは即座に言い切る。迷う素振りすらないことに、ニックスは驚いていた。
「それにあたしにはこの子がいるしね」
そう言ってサンドラは隣に立つミリシャの頭を撫でる。
ミリシャは片方の手で母の服を掴み、もう片方の手はアルルの手を握りしめている。
ミリシャとて事情を聞いているはずだから、アルルが単に興味を持って近づいたのではないことを知っているはずだ。ともすれば夢を壊すような周到さなのだが、少女に嫌悪の感触はない。本当に彼女のことを気に入ったのだろう。
ニックスは、うつむくミリシャに向かって笑いかける。
『ってことだからな、ミリシャ。今度からはもうお前一人だ。それでも我慢できるな』
「……うん」
短い返事ながらも、そこに確固たる決意が込められていた。唇を噛み締めて、萎みそうになる心を奮い立たせている。
ニックスは満足げに頷くとユキトのほうへ向く。
もはやその体は完全な透明に近い。
『んで、さっき何を言いかけてたんだ?』
「ああ。二人のことは任せろ、ってことさ。だから心配しなくていい」
目を丸くするニックスは、次に腹を抱えて大笑いした。
『はははは! 大した野郎だ。もし生きてたら酒を奢ってやったところだけど、残念だな。まぁ天界で会ったら一杯やろうや』
そして男は『じゃあな』と手を上げる。
体は徐々に薄くなり、陽光が透き通っていく。
そして光の粒子と共に、その姿は完全に消えた。
静寂が過ぎる。しばらくユキトが空を見上げたまま固まっていると、アルルが話しかけた。
「あの、ユキト様。ニックスさんは……」
振り返り、小さく頷く。それだけで全員はニックスが消え去ったことを理解した。
「っふ、うう……うううう……!」
少女の口から泣き声が漏れた。今までせき止めていた堤防が壊れ、悲しみや切なさが溢れ出している。そんな娘をサンドラは優しく抱きしめ、彼女もまた涙を流していた。
「……ミリシャちゃん。お父さんのこと、忘れないであげてね」
大粒の涙をこぼすミリシャに言いながら、アルルは空を見上げる。
「それがきっと、一番大事だから」
アルルの言葉は、まるで自分自身にも言い聞かせているような響きだった。
亡くしてしまった愛する人のことを思い浮かべているのかもしれない。
ミリシャは頷く。何度も何度も。
この日はきっと、少女が変わり始めた第一歩の日になるだろう。
ユキトはそう確信していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます