⑥-本音 上-

 セイラ達と合流した後、ユキトはミリシャとの対話も失敗に終わったことを告げる。他に行く宛もなく宿に戻ると、それまで黙り込んでいたアルルは開口一番に謝罪をしてきた。


「申し訳ありませんユキト様……! あ、あたしが勝手なことをしたばかりに……!」


「アルルのせいじゃないよ。途中までうまくいってたし……運が悪かったんだ」


 慰めの言葉はアルルを余計に追い詰めたようで、彼女は沈痛な面持ちのまま塞ぎ込んでしまう。

 すると驚くことに、ニックスまで労るような発言をした。


『そうしょげるな嬢ちゃん。感謝してるぜ? あいつのあんな顔を見たの、初めてだったからな……最後にいいもんが見れた』


 最後、という言葉が何を意味するのか、聞くまでもなかった。

 現に男の透明度は更に増している。ニックスの顔も、憑き物が取れたようにスッキリとしていた。かつて助けた少女の幽霊の顔と、どこか重なって見える。


『いつだって俺の人生はこんなもんだ。死んでも変わらねぇってのは、我ながら呆れるけどよ』


 そしてニックスは、ベットに腰掛けるユキトに向かってはっきりと告げた。


『だからもう十分だ。終いにしてくれ』


「……本当に、いいのか」


 それが無意味な問いであることを、ユキトは理解している。

 ニックスは自分の心に踏ん切りをつけ始めていた。その選択を他人がどうこうする権利はない。

 むしろ今の状況では、諦めることでしか成仏できないともいえる。下手に希望を持たせて引き留めれば、苦しむのはニックス自身だ。

 あえて意思を確認したのは、一抹の希望を、考え直してくれる余地を引き出したかったからに他ならない。

 だがユキトの悪あがきは『当たり前だろ』という一言で砕かれた。


『人がせっかく未練を消そうとしてんのによ……つうか、あんたが心配してんのは俺が口を割らないこと、だよな? このままじゃ条件達成にならねぇからな』


 誤解だったが、訂正するのも億劫でユキトは口をつぐむ。

 するとニックスは平然と言い放った。


『雇い主が誰かってのは教えてやる。感謝しな』


「……は?」


 予想外の話にユキトは何度も瞬きをする。

 ニックスの顔は冷静で、嘘をついているようには思えない。


「い、いいのか?」


『礼を忘れるほど落ちぶれちゃいねぇよ。だから、あんたはこれ以上粘らなくていい』


 何も言い返せなかった。胸中は複雑で、素直に喜べない。

 結局、ニックスを救ったとは言い切れない。そんな人間が、こんな結末で良しと満足するのは滑稽にも程がある。

 かといって、ニックスの提案を拒否することもできなかった。ルゥナの死の真相を解き明かすことが絶対的な目的で、自分の感情を優先することは愚行だと冷静な自分が指摘している。


「ユキト様。今はどのような会話を?」


 セイラが問うてきたので、ユキトは手短に伝える。

 ニックスが口を割ろうとしている、と聞かされた二人は声を弾ませた。


「良かった。これで先に進めますわね。苦労したかいがありましたわ」


「そいつすぐ消えるんでしょ? じゃあ話を聞いたらルゥナール様のとこに戻りましょうぜユキト殿」


 好き勝手に口走る彼女たちに対し、ユキトの心はささくれ立つ。

 悪気はないとわかっていても、死者の絶望を見届けてきたユキトにとっては無視できない。

 そしてアルルもまた眉根を寄せて黙り込んでいる。おそらくミリシャのために、義父の最後の言葉を届けたかったはずだ。

 しかし当の本人であるニックスは、まるで歯牙にもかけていない。


『姉ちゃんたちも付き合わせて悪かったな……だけどよ、もう少しだけ待ってくれねぇか。消える前に、二つほど頼みたいことがある』


 ニックスはユキトの隣にある物へ目を向ける。

 ベットの上には、さきほど拾ってきた葉っぱの船が置いてあった。


『聞いてくれるか、ユキト』


 身勝手に生きてきた男が見せる、初めての真摯な態度だった。

 押し黙っているユキトは、自分の感情をすり潰すようにして頷く。

 死者の望みを聞けるのは、ユキト一人だけなのだから。


 ******


「ただいまお母さん! お父さん!」


 ドアを開けると眩しい光景が広がっていた。埃など一つもない部屋は綺麗に整理され、使い込まれた暖炉には暖かい火が灯っている。

 それ以上に、室内は人の温もりに満ちていた。


「おかえりミリシャ」


「おかえり」


 穏やかな声が響いた。テーブルに料理を並べている母が微笑み、椅子に腰掛け装備品を点検していた養父が優しげな眼差しを送ってきた。


「わぁいい匂い。今日は何のお料理?」


「お父さんがいいお肉を調達してきてくれたの。スープにしたから食べましょ」


「母さんの料理はうまいからな。楽しみだ」


 母と養父が見つめ合って微笑する。優しさに溢れる、素敵な眺めだ。


「ねぇお父さん! わたしの作った葉っぱの船が凄い遠くまで行ったんだよ!」


「そうかぁ。さすがだなミリシャは」


「皆も凄い凄いって言ってくれたんだ! 教えてくれって大変だったんだよぉ」


「ふふ、大人気じゃない。もっと聞かせてちょうだい」


 ミリシャは破顔して頷くと椅子に座る。皆でテーブルを囲み、温かい料理を口に運びながら談笑する。雰囲気はとても穏やかで、時間はゆっくりと流れる。息の詰まるような苦しさなど微塵もない。

 母はいつも微笑みながら話を聞いてくれる。ヒステリックに怒鳴る姿など見たこともない。

 父とは血が繋がっていないが、誰よりも優しくて頼りになる人だ。傭兵でもある養父は旅先の冒険譚を夜遅くまで語ってくれる。悩みがあれば一緒に向き合ってくれる。大好きで、本当の父親だと認めていた。


「さぁミリシャ。もう遅い時間だから寝ましょう」


 二階の寝室に行ったミリシャはベットに入る。

 ベットは少し動くだけでギシリと物音を立てる粗末な代物だ。毛布も薄くて冬場は寒いが、それでも眠りにつくまで両親が手を握っていてくれるから我慢できた。


「おやすみ、ミリシャ」


「おやすみなさい」


 小さな少女は瞼を閉じ、まどろみの中に沈んでいった。


 ミリシャが目を開けたとき、人の気配はなかった。

 薄暗くてかび臭い室内だ。暖かさなど、人の温もりなど微塵も感じ取れない。

 締め切った雨戸の隙間から陽光が差し込み、室内を舞う埃を微かに照らす。

 寒かった。ミリシャはぶるっと身震いすると毛布をたぐり寄せる。ミシミシとベットが軋んだ。


 ――お母さんとお父さんはどこだろう。


 半覚醒のぼんやりした頭で考えたとき、少女の手が何かに触れた。衣ずれの音と共に取り出したそれは、母であるサンドラの衣服だ。

 いつも一人で寝ているミリシャは、寂しさを紛らわすためサンドラの衣服を抱いて眠りにつく。母の匂いがついた布があれば幾分か不安を紛らわせることができるからだ。

 握っていたのは布きれ。では、温かい二人の手は何だったのか。

 その差異に違和感を抱いたとき、ミリシャは気づく。

 夢だった、と。

 陰鬱な気分が全身を気怠くさせる。酷い孤独感に胸が押し潰されそうだった。

 どうして自分の現実はこうなのだろう。どうして夢に見た光景は幻で終わるのだろう。幼いミリシャは考え込むが、拙い頭では原因を解けない。


 ただ、そこで脳裏を過ぎるのは、苦手な養父のことだった。

 ある日やってきた無精髭の男はとても怖くて、新しいお父さんだよと母に言われてもミリシャは戸惑うばかりだった。無口で人相が悪くて、ミリシャに一つも笑いかけない。だからミリシャはずっと母の後ろにくっついていた。

 母と養父の喧嘩中も、ミリシャはただ物陰に隠れて終わるのを待った。不機嫌そうなときはなるだけ目を合わさないようにして、一緒に住んでいるのに他人のように接した。次第に、胸の奥底で嫌悪感が燻るようになった。

 それでもミリシャは、養父ニックスのことを憎んでいるわけではない。

 酒を飲むばかりでろくに働かず、怒鳴り散らすのは凄く怖いが、手を上げられたことは一度としてない。

 母を悲しませることは許せないが、初期の頃は二人で楽しそうに談笑する姿もよく見ていた。決して二人は嫌い合っているわけではない。

 何よりニックスは、船の作り方を教えてくれた。無愛想で全然親切ではなかったが、物事を教えてくれたことは初めてで嬉しかった。


 もしかすると、ダメな人ではあっても、悪い人ではないかもしれない。

 幼心にそう感じたミリシャは、養父が自分を避ける理由を考えてみた。思い当たるのは、鈍くさくて気弱な態度だ。ミリシャ本人も、こんな自分とは友達になりたくないと素直に思った。

 決して単純な話ではないのだが、経験の浅い少女は狭い物差しでしか推し量れない。だから彼女は、自分が変われば養父の態度も変わると結論づけた。

 ではどうすればニックスの、自分を見る目が変わるだろうか?

 悩んだ末にミリシャは、ニックスと同じくらい精巧な葉っぱの船を作ることを目指した。出来が良ければ、頑張ったなと褒めてくれるかもしれない。

 それがきっかけで、家族間のギスギスした関係が治ることも密かに期待した。

 ようやくできた接点を一縷の望みにして、彼女は奮起した。


 だが戦争が起こり、ニックスが出て行った。養父はついに帰ってこなかった。

 ある日、母のサンドラは軍舎に寄って、ニックスの私物と僅かばかりの恩給を受け取って帰ってきた。その日、母はずっと泣いていた。

 ニックスがどうなったかは、聞くことができない。聞いてしまえば全て終わってしまうという予感がずっと纏わりついている。


 ミリシャはのそりと起き上がる。毛布を被りながら埃っぽい床を歩き、窓を塞いでいる雨戸を外す。早朝ということもあって空気は澄んでいる。新鮮な外気を胸いっぱいに吸い込んでから、ふと窓枠のほうへ目を向けた。

 いつもならそこに、ニックスお手製の葉っぱの船が置いてあるはずだ。

 今は、見当たらない。置いてきたのだから当然だった。

 サンドラは、もう忘れろと言った。忘れるべきなのだろうか。あの船のように、ニックスという養父がいた事実も、褒められたいと願った想いも、捨て去るべきなのか。

 

 ミリシャは、昨日仲良くなった商人のアルルを思い出す。

 最初は困惑したが、とても親しみやすい女性だった。母以外であんなに会話が弾んだ人は初めてだった。

 アルルは、ニックスともっと話をしたらどうかと諭してきた。船を教えてくれた理由も聞いてみなさいと。

 そのときミリシャは、自分の本当の過ちに気づいた。


 ――本当はわたし、逃げてる……。


 話しかけるきっかけなどいくらでも作れた。船の作り方を教わるでもなんでもいい。もっと勇気を出して自分から打ち解けにいけば、こんなに後悔することはなかった。手遅れにもならなかった。

 上手く出来たら話しかけるだなんて、傷つかないための言い訳に過ぎない。

 臆病で逃げ腰な自分のことが、本当に嫌になる。


 ――帰って、こない、かな……。


 船のことは、もうどうだっていい。

 ニックスにもう一度会えたら、話をしてみたい。

 本当はどんな人なのか知りたい。


 ――神様。お願いです。ニックスさんに、会わせてください。


 ミリシャは教会にも通わず、皆が信仰している豊穣神セレスティアに祈りを捧げたこともない。そんな怠け者が願ったところ意味はないかもしれないが、祈らずにはいられなかった。

 ガタリ、と物音がする。

「ひゃう!?」とミリシャは上ずった声を出した。

 音は一階からだ。母が帰ってきたのだろうか。しかし、いつもより早い気はする。

 もし物盗りだったら、と嫌な可能性が浮かんでミリシャは身震いしたが、考えてみれば朝方の侵入というのは少し変だ。

 となれば、家の中に入ろうとする人間は一人しかいない。


「ニックスさん……?」


 ミリシャは毛布を放り投げて駆けだした。

 サンドラに迂闊さを注意されたことも、妙な連中が近づいてきてるという話もすっぽりと頭から抜け落ちていた。


「あっ……」


 一階には誰もいなかった。

 見慣れたテーブルと椅子も、昨晩の状態から動いた形跡はない。

 ミリシャは脱力する。きっと風が戸を叩いたか、もしくは小動物が床を走った音なのだろう。

 肩を落として引き返そうとしたミリシャだが、そこで入り口のドアの前に何かが置かれていることに気づく。

 近づいてみると、そこには小さな羊皮紙と、葉っぱの船が置いてあった。

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