⑪-仇討ち-

 敵の斬撃を受け止めようとしたユキトの肌を嫌な予感がなぞる。衝動的に剣を引いて回避に移った。

 次の瞬間、二つの剣が地面を穿つ。まるで爆発でも起きたかのように、抉り取られた土と砂利が四方へ吹き飛んだ。

 無残な爪痕にユキトは息を飲む。受け止めていたらと思うとゾッとした。


『距離を取って戦うんだ導師殿!』


 背後からライオットが助言を飛ばす。頷いたユキトは剣の柄ではなく鎖を握った。

 縦方向に回し、手首のひねりを活かして更に速度を増幅させる。ヒュンヒュンと風鳴りの音が響く。

 円燐剣四の型<流舞>。ルゥナが得意とするこの型も、一発で再現していた。


 ユキトは黒の戦士めがけて疾走する。攻撃を仕掛けられる前に先制の斬撃を放った。

 剣は鞭のようにしなり二人の頭部を狙うが、相手の剣に阻まれる。

 その結果は織り込み済みだ。

 弾かれたと同時にユキトは位置を移して更に追撃を仕掛ける。またもや防がれるが攻撃の手は休めない。ひたすら動いて回転斬りを浴びせ続ける。途切れることのない連続攻撃に、黒の戦士二人は立ち止まらざるを得なかった。


 ユキトの剣は鎖分の長さを加えることで槍の距離感に変化している。いかに屈強な相手であろうと剣が届く間合いに入らなければ怖くはない。

 それは考えて導き出した対策ではなかった。まるで経験上知っていたかのように、ユキトは自然とこの手段を選んでいた。意識せずとも身体が動くため恐怖も克服できている。


 剣を振り続け、敵が攻撃に移るのをひたすら防ぐ。相手は先の戦士より更に剣速も力も上の強敵だ。まともにやりあえば苦戦は必至。攻撃の中で隙を狙うしかない。

 だが、毒を盛られた影響が彼の足を引っ張った。

 先に動きが鈍ったのはユキトのほうだ。脂汗が滲み反応速度に陰りが出る。

 些細な変化を敵が見逃すはずはなかった。

 斬撃がユキトの横腹を切り裂く。革鎧のおかげで致命傷には至らなかったが、肉を裂かれる激痛でユキトの思考が一瞬真っ白になった。

 黒の戦士が剣を振る。地面が爆発したように抉れる。

 一瞬前に飛び退ったユキトは間一髪のところで回避していた。だが既にもう一人が迫っている。回避は間に合わない。

 咄嗟に剣の腹で斬撃を受け止める。凄まじい衝撃が腕を貫き骨を軋ませた。

 ユキトは後方に吹き飛ばされ砂利だらけの地面を転がる。視界が回転。

 ようやく勢いが止まって頭を上げたが、敵がいない。


『右だ!』


 ユキトは反射的に剣を振るった。

 戦士一人の剣がユキトの左肩に食い込む、その寸前で停止していた。

 彼の剣の切っ先が先に、男の胴体を貫いている。

 更にユキトは前方に飛び込んだ。直後、亡骸に仲間の剣が叩き下ろされる。頭部を両断された戦士の体が塵となって霧散していく。

 距離を取ったユキトは剣を構えつつ、近くにいるライオットに目で感謝を示した。ライオットはほっとしたように頷く。先ほどの憑依でやった芸当を、立場を変えて再現したわけだ。傍目からは二対一でも、心強い味方が協力してくれている。


 残りは一人。だが果たしてこれで終わりだろうか。ラウアーロの能力は底が知れない。次々に敵を生み出されればいずれ体力が尽きるのはこちらだ。

 元を断ち切らなければいけない。そう考えてラウアーロを確認したユキトは、自分の失態に気付かされた。


「最初からこうしておけばよかったですね。三体も失っちゃったよ、まったく」


 ラウアーロの腕の中には苦しげに顔を歪めるアルルがいた。

 男の手刀が彼女の喉元に突きつけられている。


「アルル!」


「動かないでくださいねぇ。こんな人間いつでも殺せるんだから」


 ユキトは奥歯を噛みしめその場に立ち尽くす。その間に巨漢の男が彼へとゆっくりと近づいた。


「この少女を助ける方法は一つ。君が死ぬことだけです。私の勧誘を断ったんだから当然ですよね?」


 ラウアーロの笑い声を合図にして、黒の戦士が剣を振り上げる。

 ユキトは動けない。動けばアルルが殺される。必死に思考を展開させるが打開策は見つからない。

 そのとき霊体であるライオットが駆け寄り、男へと剣を叩きつけた。


『離れろ! くそ、届けっ……!』


 何度振っても、半透明の剣は肉体をすり抜けて影響を与えない。

 それでもライオットは、奇蹟を引き起こそうとするように剣を振り続けた。

 懸命な姿が、ユキトの胸中を熱くさせる。


 ――そうだ、こんなとこで終わらせるかよ……!


 全ての真実を明らかにできるかもしれない。ライオットとルゥナも再会できる。

 何よりジルナの元へ帰る約束をしていた。まだ足掻け、と自分を叱咤する。

 だが無情にも剣が振り下ろされた。


『やめろぉ!』


 ライオットが叫ぶ。衝撃を覚悟してユキトは目をつむる。

 痛みは訪れない。代わりにユキトの耳朶へ、苦悶の声が届いた。

 ハッとして瞼を開けたユキトの視界には、頭に戦斧が突き刺さった黒の戦士の姿があった。


「間に合ったぜぇユキト殿!」


 雄叫びの声には聞き覚えがあった。興奮が鳥肌と共に全身を走る。

 振り向けば視線の先には、馬を走らせ急接近するライラとセイラの姿があった。

 岸辺に向かう二人は停止するどころか手綱を叩いて更に勢いを加速させた。


「「はっ!」」


 馬が川中に突っ込み水しぶきを上げる。だが二人は入水前に鞍を蹴って跳躍し、川を飛び越えて中洲に着陸してみせた。

 降り立ったライラは塵となった男の残骸から戦斧を取り上げる。ボロボロに崩壊していく様子に眉をひそめていたが、そこでは特に何も言わなかった。

 セイラはユキトの前に立って長槍を構える。


「遅くなって申し訳ございませんユキト様」


 背中越しにセイラが振り向く。

 驚きと高揚でユキトは知らず破顔していた。


「二人とも無事だったのか……! でもどうしてここが」


「敵の馬を奪ったんですの。よく調教された馬は主の匂いを辿るものですわ。勝手に走らせれば生き残った首魁に辿り着くと踏んだのですけど、正解でしたわね。とにかく、生き延びてくださってホッとしました」


 安堵するセイラと同じようにライラも歯を見せて笑う。

 だが他人の心配をするのがおかしいほどに、彼女達も酷い怪我だった。特にセイラのほうが重症で、背中や肩口に巻かれた包帯からは血が滲んでいる。ライラもよく見れば顔に火傷の跡があった。

 こんな状態でも探しに来てくれた事がたまらなく嬉しい。


「……無駄な幸運が続きますねユキト君。これも余計な加護のせいか」


 辟易したように呟いたラウアーロは、三人に見えるようにアルルの首を絞める。意識朦朧とした少女は眉間に深い皺を刻んだ。ユキトは奥歯を噛み締め、憤怒を滾らせる。


「でもね、どう足掻いたところで人質はこっちの手にあるんですよ。殺されたくなければ抵抗はやめなさい」


「ゲス野郎が、調子に乗ってるとぶっ殺すぞ」


 ライラが底冷えのする声で威嚇する。だがラウアーロは失笑するだけだ。


「見え透いた挑発ですねぇ。いいから動くなって言ってるんです」


 瞬間、ラウアーロの背中がボコりと盛り上がった。二つのコブが出現して地面に落ちる。蠢く闇色の物体は徐々に大きくなり、ラウアーロの両隣で人型を形成すると、時間を掛けず戦士の姿へと変貌した。


「なっ……!」


 初めて見る異形の戦士にセイラとライラが唖然とする。言葉を失う彼女達に向かって、生まれたての敵はゆっくりと歩を進めた。


「もう一度言いますよ。この人間を殺されたくなければ抵抗しないことです」


 ライラは苦渋の表情で戦斧を構えたが、それ以上動くことはできない。セイラも唇を噛みしめて悔しげにラウアーロを睨むだけだ。

 彼女らにとってユキトを守る任務は絶対。しかし、これまでの道中を通して二人はアルルに親しみを覚えている。誰かのために涙を流す心優しい少女のことを見捨てられない。

 心臓が痛くなるほどの焦りの中でユキトは、この位置からラウアーロを攻撃する手段を考えた。だが唯一の遠距離攻撃である流舞の応用技<飛閃>は動きが大きすぎて相手に気づかれる。 

 懊悩するユキトはそのとき、視界の隅にある人物を捉えた。

 全速力でこちらに向かってくるのはライオットだ。

 同時に、黒の戦士二人がライラとセイラの前に立つ。二人は最後の最後までアルルを助ける方法を探していたが、敵が剣を振り上げたことで苦渋の決断を下した。

 その覚悟を、ユキトの声が後押しする。


「攻撃を許可する! 戦え!」


「「っ!」」


 両者は声に反応して凶刃を防ぎ、黒の戦士へ斬りかかる。少年本来の声質、雰囲気とは異なっていたが、それでも両者はユキトを信じて動いた。

 ラウアーロが哄笑する。


「あははは! 見捨てたね! じゃあ殺すから!」


 手刀がアルルへと迫る。

 瞬間、鈍い音がしてラウアーロは仰け反った。


「……あれ?」


 男の額に剣が突き刺さっていた。

 切っ先は脳髄を通過して後頭部から突き出ている。


「アルメロイ流剣闘術裏型<穿矢はくや>だ。油断したな悪党」


 ユキト、いや彼の体に憑依したライオットは右掌底を突き出した格好で厳かに告げた。

 内側に押し込められたユキトは攻撃の一部始終を見届けている。ライオットは今の位置から剣の柄頭を掌底で勢い良く弾き、まるで矢のように鋭い刺突を飛ばしていたのだ。遠距離から一直線に剣を飛ばす技術は相当のもので、真似しようと思ってもできるものではない。

 ぐらりと傾いたラウアーロが後方に倒れ、解放されたアルルも地面に倒れ伏す。

 警戒は続けるライオットだったが、ピクリとも動かないことを確認すると、ふっと息を吐いて弛緩した。


「間一髪だったな……うまくいって良かった」


『まさかあんな技を持ってたとは。最初はびっくりしました』


「ギリギリだったからな。驚かせてすまない。だが、僕に託してくれてありがとう、導師殿」


 ライオットが微笑すると、後方で「うおっ」とライラが驚いていた。

 振り向けば二人が相手をしていた黒の戦士が倒れ伏し、黒い塵になって消え失せようとしている。


「さっきの奴もそうだけど何なんだこいつら。気色悪ぃ」


「もしや、ユキト様を襲った黒い者共と同じ存在なのでしょうか」


 セイラに問われたライオットだが、彼はすぐに首を振る。


「すまないが僕には答えるべき知識がない。後で導師殿に尋ねてくれ」


「は?」「え?」


 予期せぬ応対に二人が面食らうと、それを無視してライオットはゆっくりとラウアーロに近づいた。頭部に剣が突き刺さったままのラウアーロは、呆然とした顔のまま事切れている。

 見下ろすライオットの口から呟きが漏れた。


「……これでルゥナール様の仇が討てたのだな」


 言葉とは裏腹に、達成感の欠片もない声だった。どうしようもない虚しさを無理矢理に誤魔化そうとしているようでもある。

 たとえ仇討ちしたところで彼もルゥナも生き返ることはない。ルゥナが復讐を無意味と捉えていたように、残酷な現実を覆せないのでは喜びなど霧散してしまう。

 それでもライオットは、ルゥナのことを慮っていた。今までの態度からしても、彼の未練の形はもはや明らかだ。


 ――ルゥナと会うことが、望みだったんだな。


 しかし問題は、二人が死人同士ということにある。多くの幽霊を見てきた中でもこのパターンは初めてで、再開した二人がどうなるかは未知数だ。

 

「……おかしいな」

 

 ライオットが訝しむ。視線を辿ったユキトもそれに気づいた。

 ラウアーロの頭部には剣が突き刺さっている。だが血は一滴も溢れていない。流れ出た痕跡すら皆無だった。

 確かめるべくライオットが手を伸ばした瞬間、ラウアーロの体が黒い塵となって分解を始めた。

 ライオットが驚いて後ずさると、加速度的に分解していくラウアーロは完全に塵となって空へ舞い、跡形もなく消えてしまう。


「どういうことだ。この男もまた、闇で出来た化け物だったのか?」


 ユキトには答えられない。判断すべき材料があまりにも乏しい。

 だが違和感はある。ラウアーロは操っていた黒い戦士と違って人間らしい感情を持っていた。メディウス教との関連も含めて、何かが心の奥に引っかかる。


「……どういうことなのか、説明が欲しいところですわね」


 神妙な面持ちでセイラが話しかける。ライラは倒れていたアルルを抱きかかえて近寄ってきた。振り返ったライオットを、二人はじっと見つめる。


「貴方は、ユキト様ではありませんね。どこの誰ですか」


「うむ。貴公の見立ての通り、僕は導師ユキト殿ではない。なんだか名乗りを挙げてばかりだが、お答えしよう」


 ライオットは二人に向けて柔らかく笑いかけると、鞘に剣を戻した。


「僕の名はライオット・アルメロイ。君たちがゼスペリア騎士団の人間であれば、説明せずとも顔は浮かぶはずだ」


 言葉は返ってこなかった。

 セイラとライラは極限まで目を見開き、だらしなく口を半開きにする。


「ラ、ラ、ライオット様って……え、待って待って」


「だって、え、だってこんなとこにいるはずねぇじゃん! 逃げたって聞いてたんだけど!?」


「悪いがそれは誤解だ。いや、意図した誤報だろう。とにかく僕はこのとおり既に死んで魂となっている」


 ライオットは怒るでもなく冷静に答える。その威厳漂う態度は従来のユキトにはないもので、生来の位の高さが滲み出ていた。

 意図した誤報、という言葉の意味が気になったユキトだが、次の瞬間にセイラとライラは盛大に跪いた。


「申し訳ございませんライオット殿下! ご本人を前に無礼な真似を……!」


「うわどうしよう諸侯王の甥かよやべぇ殺されるごめんなさい!」


 二人の取り乱し方は凄まじかった。ライラにいたっては混乱しすぎて内心がダダ漏れになっている。

 ライオットは苦笑いすると首を振った。


「よせ、僕は死んだ身だ。導師殿の体を借りている分際に非礼も何もあるまい。わかったら顔を上げてくれ」

 

 両者はゆっくりと顔を上げる。信じがたい、という目つきのままセイラは改めて問うた。


「……正直、あまりの事態に理解が追いついておりません。お許しいただけるのであれば、我々にご事情をお話ください」


「そのつもりだが、まずはその従者の娘を街に送り届けよう。死ぬような毒ではないが、かなり衰弱している」


 彼の言うとおりアルルの顔は酷く青ざめていた。訓練もしていない少女の身体は、溺れてからずっと疲弊し続けている。早く休めないといけない。

「承知いたしました」とセイラは即座に川を渡っていき、「了解っす!」とライラもアルルを持ち上げて濡れないようにしながら川を超える。一切口を挟むことなく迅速に対応していた。

 考えてみればライオットは彼女たちの新しい主になる予定だったわけで、姿形がユキトであっても自然と主従関係になってしまうようだ。

 苦笑するユキトだが、ライオットが立ち止まっていることに気づく。彼は中洲の岸辺で固まり、じっと水を睨み付けていた。


『あの、どうしたんですか』


「……僕は泳げない」


 心底恥ずかしげにライオットは言った。そういえば中洲に辿り着いたときそんなことを語っていた気がする。

 しかし悠長に憑依切れを待っているわけにもいかない。今は二回目の憑依中だ。解除すると動けなくなる可能性のほうが高かった。


『だ、大丈夫ですよ! セイラさん達だって頭は出てました! 浅いから歩いていけます!』


「そ、そう、かな?」


 一瞬だけ気を持ち直すライオットだが、やはり迷いがあるのか川に入ろうとしない。

 ユキトがやきもきしていると、ライオットはふと気が抜けたように笑った。


「幼少の頃、僕は父上と桟橋から川を覗いていたんだ。確か魚を見ていた。あのとき落ちたのが原因で、僕は水が嫌いになってしまった」


 唐突の思い出話だが、ユキトは不可解な気配を感じる。


「……あのとき父上は、溺れた僕を必死に助けてくれた。死にそうになりながらも僕は感動して、父上についていこうと、父上のような男になろうと決めた」


 ライオットの表情に陰りが落ちる。


「なのにどうして、変わってしまったんだろうな」


 痛みを堪えたような、重苦しいため息が川音に混ざる。


「父に殺される運命など、望んではいなかったよ」

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