⑩-VS ラウアーロ-
ユキトとライオットは愕然としていた。
ヘレーネの遺体は跡形もなく消失している。人間の肉体一つを消すなどあまりにも常軌を逸していた。ラウアーロの性質はまったくの不明で、異質さが恐怖心を煽る。
だがその感情を押しのけるようにして、ユキトの中にある感情が芽生えていた。
ニックスを誑かし、ルゥナに奇襲をしかけた張本人。
その名はラウアーロといった。
同名の男が、目の前に現れている。
様々な疑問が浮かぶ中で、じわりと怒りの感情が鎌首をもたげている。
――こいつが……ルゥナを。
人を食ってかかったような笑みを浮かべる男に対し、自分でも驚くほど心を揺さぶられていた。
「初めましてユキト君。色々と嗅ぎ回ってたようですが、なにか収穫は得ましたか?」
気安い調子でラウアーロが語りかける。ユキトが警戒心を露わにして表情を固くすると、男はおどけたように肩を竦めた。
「そんなにピリピリしないでくださいよ。まずは友好的にお話しようってだけなんです。君に対してはね」
「……なら、答えろ」
どういう意図があるかはわからないが、確認したいことは山ほどあった。
「ルゥナを奇襲したのは、あんたか」
隣でライオットが驚愕する気配が伝わった。
『この男が……?』と呟き相手を凝視する。
「あ、やっぱバレちゃってましたか」
動揺した素振りなどまったくなく、ラウアーロは白状した。
あまりの呆気なさに、思わず何か企んでいるのかと邪推してしまった。しかしラウアーロに不審な点は見当たらない。
「何か掴んだんだろうなーとは思ってたんですよ。ある程度は計画のうちだったんですが、僕の見立てより早い。いや、君は優秀ですねぇ」
ラウアーロは値踏みするようにユキトを見つめる。そこにあるのは興味の感情だ。
「情報源は死霊、ですね?」
心臓が跳ねる。
「君は死んだ人間から情報を集めてるはず。違いますか」
反応するつもりはなかったが、ユキトは頬をピクリと動かしてしまった。
男は愉しむように笑みを深めた。
「やっぱりね。今も君のそばにいるようだ、情報の提供者が。誰なのか教えてくださいよ」
媚びるように言う男を無視して、ユキトは眉をひそめる。
――霊が見えるわけじゃないのか……。
では男は、ユキトの霊視能力をどこで嗅ぎ付けたのか。付け狙う理由もはっきりとはしない。
疑問は増えるばかりだが、しかしこの状況は都合も良かった。
ラウアーロはここにいる幽霊がライオットだと気づいていない。決して彼の存在を感づかせてはいけないと、ユキトの勘が囁いていた。
「正直、僕の計画を知ってる人間って多くないはずなんですよね。それとも色んな人間の情報を分析して辿り着いたのかな? 気になって仕方ないんです。君が教えてくれれば済むんですけど」
ユキトは一言も語らない。「ですよねー」などとラウアーロは茶化す。
「じゃあ仕方ない。計画の支障になる前に対処しましょう」
ユキトは咄嗟に剣を構えるが、ラウアーロはのんびりと腕を掲げた。
指を二本だけ立てる。
「君に選択肢をあげます。一つ、ここで殺される。もう一つ、僕の仲間に加わる」
意外な言葉にユキトが訝しむと、男は立てた指をそのまま彼に向けた。
「君の力は希有なんですよね。依り代として申し分ない。仲間になれば命だけは助けてあげます。なに、そう難しいことは要求しません。死と再生の神アマツガルムを崇拝すること。この国を諦めること。この二点だけです」
どこかで聞いた単語が紛れていた。記憶を辿り該当する事柄を引っ張り出す。
アマツガルムとは確か、ファビルから聞いた過激宗教組織メディウス教の信者が崇拝する神の名だったはずだ。
――まさか、メディウス教の生き残り……?
だとすればラウアーロの素性に多少の憶測が立てられる。
導師の中には超常的な力を持つ者がいるとルゥナは言っていた。黒い粒子を操る力はその一種かもしれない。ルゥナの奇襲で発生した黒い霧もラウアーロの能力だと考えられる。もしメディウス教の中で誕生した導師なら、霊が見えなくともこちらの能力を見抜く知識はあるかもしれない。
思考に没頭していると「さぁ答えを」とラウアーロが急かす。
ユキトはゆっくりと息を吐いた。返答など考えるまでもない。
「どんな条件だろうと仲間になるわけない……ルゥナを殺した、お前なんかの」
「あらら、昂ぶっちゃって。短い付き合いでも同情と憐憫は生まれますかね。それとも恋とか? 美人だからって死霊相手にそれは不健全だ」
『愚弄するのも大概にしろ……!』
傍らのライオットが歯を剥く。今にも飛びかかりそうな気迫だ。
ルゥナを殺した事実、そして恩人であるユキトを馬鹿にしたことが彼の逆鱗に触れていた。
ユキトは何も言わず険しい表情で睨み付ける。もはや答えるのも面倒だった。
ラウアーロは鼻白んだように笑みを消す。
「はぁ、そうですか。疲れるからあんまりやりたくないんだけど――」
瞬間、ラウアーロの体が黒い粒子に分解した。
「っ!?」
人型に固まった粒子はそのまま空中を飛翔する。まるで小蠅が群れで移動するようなおぞましい光景にユキトは戦慄する。
黒い粒子は川を渡って中州に降り立ち一カ所に集まった。ユキトが飛び退いて距離を開けると、黒い粒子は再びラウアーロの姿を形成する。
「殺しちゃいましょう」
麻布を纏った男が、その懐を開け広げる。
内部には闇が覗いている。その闇がぐにゃりと歪み、突起物ができてこぼれ落ちた。数は二つ。
切り離された闇は見る見るうちに人型となり、造形も人間そのものになっていく。
絶句するユキトとライオットの前で、二人の戦士が作り上げられた。
黒い鎧を纏い顔をフードで隠しているが、垣間見える毛や皺などの細部までも生物特有の質感を備えている。だが男たちの表情は人形のように虚ろで、白目と黒目が逆転した瞳が不気味だった。手には長剣が握られ剣呑な光を帯びている。
そこでユキトは気づく。中央州で襲いかかってきた弓兵と棍棒使いに酷似している。
やはりあの襲撃もラウアーロの仕業だった。
「君は今、ルゥナールを従えていない。円燐剣を使っていないのがその証拠です」
二人の兵士の後ろでラウアーロは余裕の笑みを浮かべた。霊視できなくてもユキトの挙動から判別していた。
「さぁどうします。考え直します? それとも今の死霊を使いますか? ルゥナールほどの力量はないにせよ戦うことはできる。足掻くのなら付き合いましょう」
ライオットは不愉快げに口の端を歪め、ユキトの肩を持った。
『悔しいが奴の言うとおり、僕はルゥナール様に遠く及ばない。だが、我が家名に誓って必ずや導師殿を逃がしてみせる』
「いや……俺がやります」
『なに?』
ライオットは困惑する。ユキトは構わず、黒の戦士相手に剣を向けた。彼は知らないだけで、今のユキトはそこらの剣士以上の力量を誇っている。
何より、ユキトはこの選択肢しか選べない。
既に一度目の憑依を行っている以上、二回目の憑依が途切れれば即座に昏倒してしまう。ラウアーロの能力が不明な以上、時間制限は設けたくない。倒れればアルルを運ぶこともできなくなる。
「じゃあユキト君。挨拶したばかりで残念ですけど、さようなら」
瞬間、二人の戦士が突撃した。両刃の長剣を上段から振り下ろしてくる。
ユキトはその斬撃をはっきりと視認していた。感覚は研ぎ澄まされ、肉体は意識することなく勝手に動く。
振り放った剣で二人分の斬撃を弾き、横飛びして間合いを開ける。一人が追撃し、もう一人の男が彼の背後に回った。
前方から襲来した剣を弾くと同時に、後方からも敵が斬りかかってくる。
だが、黒の戦士は腕を振り下ろすことができなかった。
ユキトは腕を振り戻す動作で柄の鎖を戦士の腕に絡みつかせ、動きを封じていた。
そのまま戦士の懐に潜り込んで鳩尾を蹴り飛ばす。
瞬時にもう一人の男が斬りかかった。ユキトは紙一重で斬撃を避けると、剣を逆手に持ち替え相手の顔面めがけて横薙ぎに振るう。
頭部を切断された男は膝をついて倒れた。血は一滴も流れ出ない。
それどころか体が分解し始め、黒い塵が空へ散り始める。
中央州の襲撃者と同じ現象だ。やはり人間の身体とは違う構造をしている。
しかしユキトは気を取られることなく即座に剣を振るい、襲いかかっていた男の斬撃を受け止めた。
同時に、柄から伸びた鎖が生き物のようにして敵の腕に絡みつく。
黒の戦士は強引に逃げようとしたがその前にユキトが足を払う。無様に転倒した男の腹に剣が突き刺った。
ビクリ、と震えた戦士だが、やはり塵となって肉体が崩壊していく。
黒い塵が舞う中、ユキトは静かに振り返りラウアーロを見据えた。
息は一つも乱れていない。
『円燐剣の双炎と天牢を……!』
ライオットが驚きの声を漏らす。だが彼でなくとも、円燐剣を使える人間がルゥナ以外に存在するとは思わないだろう。
しかしユキトは円燐剣を使いこなしている。それは八人の盗賊を倒した時点で自覚していた。
ただ強くなっただけではない。その本質は、ルゥナの剣術の精巧なコピーにある、と。
ユキトはこのとき妙な信頼感を抱いていた。たとえ得体の知れない能力だとしても、遠く離れた彼女の存在を身近に感じて不快感はなかった。
「……円燐剣だと?」
ラウアーロが胡乱げに呟き、双眸を細めた。
「まさかルゥナールが? いや、それなら無様に捕まるはずがない。どういうことだ」
まるで人が変わったかのようにラウアーロの声には抑揚がなかった。
警戒が薄れた。ユキトは疾走する。
だが放った剣は空を薙ぐだけだった。黒い粒子に変化したラウアーロは逃げるように移動し、別の場所で元の姿に戻る。
閉じたような薄い目の奥から、爛々と輝く赤い瞳が覗いた。
「人間のくせに我を欺くか」
男の身体から殺気が放出される。
今まで会ったどの人間よりも濃厚な殺意に、ユキトは鳥肌が立った。警戒心が膨れ上がり即座に剣を構える。
だがラウアーロはそこで、への字になった口元を指でぐいと吊り上げ強引に薄笑いを浮かべてみせる。途端に殺気も収まった。
「おっといけない。まだ肉体の制御が下手なもので、失礼しました。まぁ思い通りにいかないのも一興でしょう」
自分に言い聞かせるように言ったラウアーロは再び服を開け広げ、闇の突起物を生み出し始める。今度も二つほど塊がこぼれ落ちて人形を形成した。
だが先ほどの戦士達より図体が一回り大きい。手に持つ剣は片刃だが長大だ。元の世界でいう青龍刀に近かった。
「今度は強いのでいきますよ」
鎧を纏った黒い戦士二人が、ユキトめがけて一気に詰め寄る。
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