30、誠に自分勝手ながら

 はじめに:この文章はである。もしこの文章を読んで「私」の自分勝手さに苛立ったなら、この物語の最後にある「おわりに」を一読して欲しい。それでも苛立ちが収まらなければ、そのストレスに対する保証は、誠に自分勝手ながら一切行わないので悪しからず。


 誠に自分勝手ながら、「掌編短編集」の29は欠番とさせていただく。理由なんてないので悪しからず。一切の文句はスルーさせていただく。別に29という数字に恨みがあるわけでもなんでもなく、しつこいようだが29は欠番である。

 この文章を読んで居るあなたは、前のお話から飛んできて、番号が1つ飛んで居ることに気づかなかったかもしれない。気づいて指摘しようとしてくださったかもしれない。一覧から飛んで異変に気がついたかもしれない。どの話から読んでも良いと私自身が言っているので、適当に選んだ話がこれだった、なんてのも面白いかもしれない。

「何故29番が欠番なのだ! 馬鹿者!」と、思う人も、もしかすれば、もしかすればいるかもしれない。もしあなたがそうであったとしても、そこは許して欲しい。マスコミがよく言う忖度とか言う奴をして欲しい、とこの物語の主人公として、誠に自分勝手ながらお願いしたい。

 さて、この「掌編短編集」の3番でも描いた通り(どこから読んでも良いと言いつつ、前提として読んで欲しいものがあるというのも誠に自分勝手な話だが、許して欲しい)、小説家というものは、私のような木っ端、端っこの存在であっても、自らの書いた小説に於いては全知全能の神となりうるだろう。そう、全知全能である。硬派なSF小説を突然ハーレム系ラノベに変貌させても良い。良いのである。最高の主人公を突如悪役として登場した作者その人メアリ・スーが救いようのない展開で滅ぼしてしまうのもなかなか良いかもしれない。要は、物語の中の世界などである。自分勝手な作者がピタリと書くのをやめてエタってしまうのも一興かもしれない。とにかく、全知全能なのだから自由である。

 かく言うわけで、このお話は私の自分勝手で動かせるものではあるのだが、一応念のため、もう一度断っておこうと思う。


 誠に自分勝手ながら、29番は欠番である。理由なんてないので悪しからず。


 おわりに:この文章はあくまでである。紅葉林槭樹としては「私」の考えを。付け足すようで本当に申し訳ないが、「はじめに」は物語の一部としての性質を持たせてあるが、「おわりに」は独立したものであるとする。よって、ここを読んで苛立ちが収まらなかった読者さまには、紅葉林槭樹として謝罪する。

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