17、加速、減速、基準時間・体感時間・主観時間

 僕はある教授の話を聞きに来た。一通りの説明や自己紹介を聞いて、その後に教授は話し出す。

「今日、私が君たちにしたい話は、1秒の長さについてです。貴方にとって1秒とは長いものでしょうか?と聞けば、多くの人は短い、と感じるのではないでしょうか。貴方にとって、貴方の1秒は、短いものでしょう。では、貴方が貴方の1秒を短いと感じることが出来るようになったのは、いつでしょうか。きっと貴方達がとても小さい頃で憶えていないか、いつの間にかそう思うようになっていた、と言う人が多いと思います。先ほども言ったように、貴方にとって貴方の1秒は短いでしょうが、それは必ずしも、貴方が他人の1秒を体感した時に、それが短いと決まるとは限らないのです。貴方の隣の人の1秒を貴方が体感すれば、それは貴方にとっての一時間かもしれません。まずはこの基本、前提を理解しましょう」

 理解は出来る。が、意味は分からない。これが正しいかどうか、それは誰にも確認できない。悪魔の証明だ。

「整理はできましたか?これが理解できないと、この先からは訳がわからないですよ。では、続けましょう。私は、自分と他人との体感時間の差を利用して、主観時間の速度を変える方法を発見し、自らの体感時間の減速に成功しました。とは言っても、体感時間が変わるだけなので、体の中に刻み込まれた、動きの時間を変えることはできなかったので、周りの速度が遅くなるだけ、ああ、よく聞く交通事故にあった時、感じる時間の速度がゆっくりになる、そう言う状態を想像して下さい。ともかく、その状態を体感することができました」

 所謂スーパーゾーンって奴か。スポーツでもよく聞くな。

「私はその状態で、身体だけを長年刻み込まれた時間から解放する、これを研究して来ました。私はこれを理解し、研究を進める後継者を探したい。私の時間は足りない。今のままでは不十分、人を滅ぼすから」

 教授の見開かれた目を見て、ちらほらと席を立つ人間が増える。そうして会場に人はほとんど居なくなる。しかし私は、席を立つことができなかった。その不思議な魅力に負けた。

「それで良い。ここに残るのは理解が追いつく人だけで良い。肉体と精神の感じる時間を切り離して、その感じる速度を変えれば、尋常では無い効率化が可能である。社会は、世界は発展する。例えばこのリンゴを例にあげよう」

 教授はリンゴを手に取る。

「今からこのリンゴを投げる。その速さは君たちに新たな感覚を与えるだろう。ここに残った君達には」

 教授の皺が増える。彼が投げたリンゴは、彼の手から離れた瞬間に、異常に遅いスピードで弧を描き出す。

「今、君達の体感時間は加速している。この話を理解できれば、当然である。ああ、そこの君達は出来ていないか。出て行け。必要無い」

 私が目をやると、とても遅い足取りでその一団は出て行く。残りは私とあと3人、それに教授。

「あれだけの人数がいたのに、もうこれしかのこらないのか。まあ良いでしょう。ここに残った君達が、私の研究の成果だ。君達は私の話を理解する事で、ある暗示に掛かり、時間を遅らせる感覚を手に入れた。君達がすべきは、この技術の普及である。今から君達は、私を最後まで見てもらおう」

 教授の髪が真っ白になる。時計の秒針は、最早全く動かなくなった。

「私は基準時間1秒の間に、私の死体を目の前に出す。それを理解できれば、君達は時間の体感速度と、体に刻み込まれた時間を自由に操作出来るようになるだろう。そう仮説を立てた。これは君たち以外には一瞬である。この言葉も、君たち以外には速すぎて聞こえない」

 毛が抜け落ち、顔は皺だらけ、寂れた老人が現れる。

「最後に忠告だ。時間は速度を変えられても、完全な停止と逆転は出来ない。これは理論上分かっている。では、あとは————」

 秒針の動く音がした。死体がそこにある。叫びながら死体に近寄って行く2人首に、私は持っていたシャーペンを、突き刺す。3秒の間に。時間は戻せないから、もう後には戻れないな。さて、この感覚は僕のものだ。残念でした、教授。きっと歩いている僕が通ったあとは、一般人には一瞬点滅したぐらいにしか感じないんだろうな。僕は、飽きないかな。そんな事は、僕にも教授にも分からなかった。僕は、悠久の時を生き続けて、きっと首筋にシャーペンを突き立てるのだろう。それでも良いや。そう思いながら、僕は会場を後にした。


 人間の欲望は、悪意である。時間とは、人間が理解して良いものでは無い。それは悪用されて、やがて人間の首を絞めるものになるから。


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