麦わら帽子の女神 ヘスティア視点

 私だけが知っている研究室。部屋というよりは一つの宇宙だね。

 実験用に無人の世界を作り出し、そこにラボを建設。

 先生にも内緒のこの空間で、何度目かもわからないため息をこぼす。


「やっぱり駄目だったか」


 今回は敵に変化球が多い世界を選んだ。

 特殊能力者なら、先生を楽しませられると思ったからだ。


「少しは楽しんでくれたみたいで、そこだけは救いだね」


 それでも満足には程遠いだろう。

 あの忍者世界でも、先生と戦える存在はいなかった。

 どうしようもない。やはり作るしかなかったのだ。私の判断は正しかったんだね。


「これだけ集めたんだ。これをどこかの世界に解き放つか、直接先生を呼んでもいい。ほんの少しでも、その満たされない心を癒やして欲しい」


 魔王と邪神を隔離し、死ぬまで脱出できない特殊空間を作った。

 殺し合い、勝つと相手を吸収できる。

 以前首輪をつけた邪神も入れた。


「魔王と邪神で満たされた、広大な空間。魔神空間とでも名付けようかな」


 無限に広がる宇宙と、そこに輝く星々を再現した。

 ここをもうすぐ帰ってくる先生のバトルフィールドにしよう。

 ちゃんと無人の世界だ。魔王と邪神だけ。


「願わくば、この空間が先生を楽しませられる場所であらんことを」


 勇者に救うべき世界を。最高の宿敵を。

 女神として、勇者のパートナーとして、精一杯の恩返しだ。

 できることなら、私がライバルになりたかったよ。


「先生が喜んでくれるのなら……そのためなら、私がどうなろうとも構わない。いっそ私の分身をコアに魔神作成でもしようかな」


「あら、それは困るわね」


 突然聞こえた、知らない女の声に振り返る。

 その女からは、女神の気配がした。


「誰だい? 人のラボに勝手に入ってくるなんて、最近の女神は教育がなっていないね」


 麦わら帽子を深く被り、その顔は伺い知れない。

 白いワンピースを着ている黒髪の女神だ。


「ごめんなさい。なんだか邪神が悪さをしている気配がしたものだから」


 軽く魔力によるプレッシャーを与えているはずなのに、この子は平然としている。

 そもそもここまでどうやって来た?

 ここは私しか知らない。先生にすら教えていない秘密の場所。怪しいね。


「君が気にすることじゃない。ここは私の空間だよ。救って欲しい異世界の相談ならリビングで待っているといい」


「その扉の先が魔神空間かしら」


 奥の扉に気づいたか。咄嗟に部屋の広さを五百倍にする。

 空間操作くらい容易い。


「話を聞いてくれるかな? ここは半端な女神が立ち入ると危険なんだよ」


「ふうん……こんなものを勇者様が望んでいるとでも?」


「先生と知り合いのようだね」


「ええ、貴女よりもずっと深くね」


 流石の私でも、ちょっといらっとしたかな。

 それが顔に出ていたのだろう。軽く微笑みながら謝罪の言葉を口にしてきた。


「ごめんなさい。冗談よ。随分とやんちゃな女神を相棒にしていたのね、勇者様」


 先生を知る。おそらく先生と冒険し、鍛えられた女神だ。

 何故か魔力が測れないが、それも教えてもらった技術なのだろうか。


「とにかく、ここのことは他言無用。君には関係のないことだ」


「それは無理な相談ね。手段は違えど、私と同じ道を辿ろうとしているもの。勇者様の手を、二度も煩わせるわけにはいかないわ」


 プレッシャーを掛けているつもりなんだけれどな。

 本人も隙だらけ。なのにあの余裕は何だ。薄気味悪さすら感じてきたよ。


「あの人は勇者よ。それはもう骨の髄までね。だから、こちらが焦る必要なんて無いの。あの人は満足している。楽しんでいる。悩みはやがて悟る。全能を超えた男は伊達じゃないのよ」


「先生の理解者のつもりかい? わかった風な口をきくね」


「わかるわ。あなたよりずっと先生に近いから」


「どういう意味だい?」


「そうね、試してあげる。この空間は簡単には壊れないでしょう? 女神の限界を勝手に決めて、勇者様の望みを曲解するあなたに、ほんの少しのおせっかい」


 一瞬で、この空間に満ちた私の魔力を押しつぶし、消し飛ばし、自身の魔力で染めて。

 どこか楽しそうに弾んだ声で、その女神は言った。


「本当に強い存在というものを教えてあげる」


 そして戦いが始まった。

 最初は生意気な女神を教育してあげるだけで済ませるつもりだったよ。


「勇者様のお気に入りだけあって、なかなかやるじゃない。褒めてあげるわ」


 この女神は、私の想像を遥かに超えて強かった。

 その場から一歩も動かず、私の攻撃を受け止めて楽しそうにしている。

 打撃も魔術も通用しない。


「幻術? いや、実態はある。妙な力を使うんだね」


「トリックはないわ。ただ強いだけよ」


 ありえない。これでも女神界トップクラスだ。

 攻撃を避けられるならまだわかる。当たれば勝てると考えられる。

 当たっているのに倒せない。無事でいられる女神などいるはずがない。


「もっと全力で来ていいわ。持てる闘技の全てを出しなさい」


 こうまで差があるはずがない。これはちょっとあんまりじゃないかな。

 なぜダメージがない。なぜ動きが目で追えない。なぜすべてが一方的に押し負ける。


「君は……女神だろう?」


「ええそうよ」


 実にあっさりとした肯定。

 むしろ別の存在のほうがありがたかった気さえする。

 そして純粋に疑問が湧いた。


「どうやった? どうすればそこまで強くなる?」


「修行をしたのよ。ずっとずっと戦い続けて、限界を超えるまで鍛えたの」


「それだけじゃない。それだけなら、先生に鍛えられた女神はもっと強いはず」


 それだけでいいのなら、私はこいつと同じ強さでなければおかしい。

 何か秘密がある。だから女神でありながら、ここまで強いんだ。


「それよ。そこがあなたの限界。あなたが越えようとしていない領域」


 意味がわからない。間違いなく、私は女神界でも頂点に近いはず。

 なのにどうして届かない。限界ギリギリまで強くなった。

 これ以上どうしろというのか。


「無意識の中に根付いている。自分は勇者様のようにはなれないと」


 痛いところを突いてくれるね。物理的な攻撃よりも効くよ。

 謎の女神は攻撃を止め、ゆっくりと語り始める。


「超越者という存在がいるわ」


「初耳だね」


「それはそうよ。だって私が作った造語だもの」


 全力の拳を叩き込んだ。ダメージがないことは承知の上で。


「ごめんなさいね。挑発のつもりじゃないの。ごく僅かな存在で、誰も定義しないんですもの。私が不便だからそう呼ぶことにしただけ」


「それで、その超越者がどうしたって?」


 もう諦めて完全に座り込んで話している。

 時間操作も因果律の捻じ曲げも、あらゆる反則技がまったく通用しない。

 もう戦うのも馬鹿らしくなったよ。


「勇者様はその一人。彼らは人を超え、神を超え、全能で無敵な存在となってしまい、現実世界からも、創作世界からも疎まれる。そんな上位世界の絶対者」


「意味がわからないね」


 こいつは何を言っているんだ。

 そんな連中がいるのなら、なぜ女神界が観測できない。

 先生のような存在が複数いれば、もっと話題になるはずだ。


「地球タイプの異世界は知っているわね? では第四の壁という概念は? それが適用される異世界を知っている?」


「聞いたことがあるよ。それが?」


 先生から聞いた。私でも教えてもらえばできるらしい。

 手段も解釈も世界によって違うらしいけれどね。


「異世界は平行世界や過去・未来のすべてを含むわ。その中には地球のように異世界をファンタジーで架空の世界だと思い、ただ創作をする世界がある」


 未知のものへの憧れとでもいうべきかな。地球はそういったものが盛んだ。


「そして創作は形となって世界を作る。それは現実に希望や歓喜、時にはビターな話で受け手の心に残る。そして創作の世界は異世界として産まれ、またそこでも現実となって誰かが創作を紡ぐ」


「ある意味人の業だね」


「そうね。そんな世界がある限り、まったくの異世界にもかかわらず、あなたのような同姓同名の女神が別世界に産まれていく。ヘスティアという女神が自分一人じゃないと知っているでしょう?」


 世界の形は様々だ。同姓同名がいてもおかしくはない。

 特に神というものは、人が神話を紡ぐ限り生み出される。


「二つの世界は互いに支え合って生きているの。優劣なんてないわ」


 そこで少しだけ間が空く。次に聞こえた声は、どこか悲しい色が混ざっていた。


「でも、そのどちらにも馴染まないほど強くなってしまう存在がいる。現実では異端者として虐げられ、創作世界では強すぎて、登場しただけで勝ちが確定するため疎まれる。そんな悲しい存在よ」


「デウス・エクス・マキナというやつかい?」


「そんなしょぼいものと勇者様を一緒にしないでちょうだいな」


 ちょっとだけ幼子をたしなめる口調だ。

 言っている本人から、なぜか子供っぽさを感じる。

 どことなく先生に似ているな。少し悔しい。


「悪かったよ。それで、その超越者が先生だというのかい?」


「勇者様もその一人よ」


 不思議と納得できた。

 先生が規格外という言葉ですら生温いほど強いから。


「現実・創作世界のあらゆる存在は、超越者に勝つことが本当に難しいのよ。鍛え続けて、ただ純粋に強くなって、誰にも理解できない領域へと到達してしまった者だから」


 勝つどころか勝負にすらならない。

 それが先生を満足させられない私の苦しみ。本当に難儀な人だ。


「創作のたとえでいきましょう。作者が自分の創作物で、主人公の負けを書く。けれど主人公は作者のいる世界へ乗り込み、滅ぼし、自分の都合のいい展開へと書き直す。そういう荒業が可能な存在よ」


「強い弱いというより最早ギャグだね」


「そのとおりよ。その気になれば全世界を消せるわ。二度と人類も神も産まれない。現実も創作も消える。それだけの強さを得てしまったから」


「まるで見てきたような物言いをする」


「入り口には立てたわ」


 それだけの強さで入り口か。限界などない無限の力をもって入り口とする。

 先生が前に言っていた気がするね。


「先生は……その超越者がいる世界を救わなかったのかい?」


「両手ではちょっと足りないくらいの人数だし、ただそこで平和に暮らす民を倒す理由もない。そして、そこでも勇者様は頭一つ抜けて強かった。何よりその世界は永遠の平和。完全な楽園。勇者は必要とされない世界」


 先生がどれだけの悲しみに沈んだか、もう想像もつかないね。

 最強になり、自分と同じ領域に達したものの世界では、自分は必要とされない。

 それでもあの人は笑いながら世界を救う。


「勇者様がなぜ、自分で世界を救わないかご存知? なぜ忍者世界の妖怪と闇忍を初日に全滅させないのか」


「敵全員の居場所が特定できていないからだろう」


「嘘ね。それが有り得ないことくらい、理解しているでしょう?」


 我ながら白々しい回答だったと思うよ。でもそうでなければ説明がつかない。


「物語が続くようによ。創作風に言うならば、完全なる完結じゃなくて、続編が作れるように終わる。と言えば伝わるかしら?」


「勇者によって終わりを迎えるのではなく、その世界の住人によって物語が紡がれ続ける世界になって欲しい。といったところかい?」


「詰んでいる世界や、人類滅亡の危機は別としてね」


 少しだけ、先生の行動が理解できた気がする。

 あの人はそういうことを口に出さない。態度にも出さない。

 だから気になってしまう。心配してしまうんだ。


「はっきり言うわヘスティアさん。先生は敵が欲しいんじゃない。簡単に言えば寂しいのよ」


 寂しい。私やリーゼでは満足できないということか。

 それはそうだろう。だが女神ですら並び立てない男の孤独をどう救う。

 そもそも先生の願いとは何だ。


「先生にこの空間のことを話しなさい。この男を訪ねた後にね」


 空中に立体映像が投写される。

 先生がたまに使う、科学と魔法をごっちゃにしたオリジナル魔法だ。

 ご丁寧に異世界の座標と、男のデータまで書かれている。


「そのデータにある異世界で、映像の男を訪ねなさい。事情をすべて話すの。すべてよ。そうすれば、今の勇者様の悩みは解消されるわ」


「なぜわかる?」


「言ったでしょう。勇者様と長く一緒にいたって」


「どうして自分で動かない? 先生を慕っているのだろう?」


 私なら間違いなく自分でやる。

 先生に褒めてもらいたいから。先生の喜ぶ顔が見たいから。


「まだ出会う訳にはいかないの。できれば私のことは話さないで。貸し借りはそれで無しにしてあげる」


 そのまま去ろうとする謎の女神に、最後に声を掛けた。


「君は……何者なんだ?」


「勇者見習いよ。あの人をよろしくね、ヘスティアさん」


 それだけ言って消えた。

 顔すら見えなかったけれど、どこか先生に似た女神。

 きっと一生忘れない。


「先生に謝らなくっちゃあいけないな」


 私も今できることをしよう。そう思い、異世界へのゲートを開いた。

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