第41話 熊の群れ
道の先には木彫りの熊が隊列を組んで並んでいた。
その犯人はフレンズの中でも屈指の分かりやすい見た目をしたフレンズだった。
犬みたいな耳にもっふもふの特徴的な尻尾。
キツネのフレンズだ。
しかし、キツネと木彫りの熊の間に全く関係性見当たらない。
とにかく木彫りの熊の出所を聞くべく声を掛けた。
何?
一声発しただけで分かるくらい酷く不機嫌そうな調子で返事を返してきた。
彼女に何をしているのか聞いて見ると、不機嫌ながらも何をしているのか語ってくれた。
彼女の名前はアカギツネ。
どうやら彼女は修行をしているらしい。
木彫りの熊を作る修行なのだろうか?
オオウミガラスが何の修行をしているの?と聞いて、キツネのフレンズは見て分からないの返す。
木彫りの修行ではないのか?
そう思っていたのだが、アカギツネの口から出たのは、まさかの言葉だった。
私は伝説のヒトになるために修行してるのよ!
やめろオオウミガラス。
貴女の口から発せられるであろう言葉は物凄く面倒な事を引き付ける予感がする。
何をどうして人なんかになりたいのか知らないが、今ここで目の前の彼女に人である事を知られるのは非常に嫌な予感がする。
そして、目の前のアカギツネは聞いてもいないのにベラベラと語り出す。
話の冒頭時点でもうこの島に私以外の人が居ないことははっきりと理解できた。
曰く、ヒトはジャパリパークの平和を守る守護者である。
曰く、ヒトはどんな困難でもあっという間に解決してしまう。
曰く、ヒトはフレンズをパワーアップさせる事が出来るのだと言う。
そうなのー?
オオウミガラスが私を見ながらそう問い掛けるが私は首を横に振る。
過去にジャパリパークが通常運営されていた頃は間違いなく人が管理しており、フレンズが何か困った際には手助けしていたであろうことは予想できる。
だが、彼女の表現は些か誇張し過ぎではないだろうか。
人はそんなに凄い動物ではない。
そして、その木彫りの熊の群れが何故人になることに繋がるのかさっぱり分からない。
どうして木彫りの熊を作っているのか聞くと、木彫りの猫であると訂正された。
猫の事を謝り再度聞くと、彼女は『げーじつ』を学んでいるのだと言う。
芸術か?
かつて、ヒトは『げーじつ』と言う技を持ってパーク内にある遺跡を作り上げたのだから、『げーじつ』を学べばヒトになれるのでは?と言うことらしい。
芸術か……
私は芸術とやらは一切理解できなかった。
かの有名な画家の作品を美術館で初めて見た際に、素でどうしてここに子供の落書きがあるのかと聞いてしまったくらいに芸術的センスがない。
芸術って何なのだろうか?
短い人生においてその答えが出る気が全くしない。
あと、パーク内の施設についてだが、芸術的な美的感性よりも、理論武装した構造力学の方が重要だと思う。
このジャパリパークの中でそれを学ぶのはほぼ不可能だろうから敢えて何も言わない。
そしてフレンズは人には成れないと言う彼女に取って残酷な現実突き付ける勇気の無い私は、彼女に労いの言葉を掛けてその場を立ち去るしか出来なかった。
努力は決して無駄にはならない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます