第41話

ぼくはその疑問を、佳子さんに聞かずには先に進めない、と思った。

そこで僕は、杯を一気に乾かして、佳子さんの方を向いた。


佳子「わあ、ほんとに乾かした。すごーい」


佳子さんはそういうと、自分も杯を乾かした。

ふっと軽くアルコールを帯びた息をついた姿が、大人なのに大人びていた。


佳子「あたし、高校3年のとき、こっそりビール飲んだことあるんだよね。

   そのとき、パパが怒って」



ほら、今度は高校のときの話が出てきたよ。おかしいじゃん。

僕は、切り込んでいこうと決意した。


僕 「あのう、佳子さん」

佳子「なあに、ワンコちゃん」

僕 「あのう、この前代々木で会ったとき、

   若いころの記憶をたどるきっかけを次々忘れてしまって、

   思い出せる思い出が少なくなっていたって言ってたよね」

佳子「うん」

僕 「それなのに、こんなに事細かに昔のことをすらすら言えるって、

   おかしくない?」



僕はわりと、決定的なことを言ったつもりだった。

しかし、佳子さんは、にべもなかった。



佳子「別に。おかしくないと思うけど」

僕 「ええ、だってずいぶん記憶が鮮明だと思うけど」

佳子「そうかなあ。あたし、だいぶ記憶をたどるきっかけを失ったんだよ」

僕 「じゃ、なんでこんなすらすら出てくるの」

佳子「えー、これでもたどたどしい方よ」



僕は何を言っているんだと思った。



僕 「全然たどたどしくないじゃん」

佳子「あら、そう?昔に比べるとかなりたどたどしくなったのよ」

僕 「じゃ、昔はどんだけだったの?」

佳子「昔?ああ、世界史の本は、全部覚えたわ。一晩で。」


僕は一瞬言葉に詰まった。さらに佳子さんは続けた。


佳子「あと、英語の単語帳もだいたい一晩ね。

   高校3年のとき、英語で弁論大会があったけど、これも一晩で台詞覚えたの」



はい?どれだけ記憶力が抜群だったんだ?



そういえば、チューターとしての佳子さんのキャッチコピーは

「偏差値78の歌姫」だった。


模試では平均で偏差値78をとってたって予備校の先生が言っていたな。

その上、歌がうまいという触れ込みだった。

実際に歌ってくれたことはなかったけど。



そんな話を思い出している僕を尻目に、佳子さんはさらに続ける。



佳子「あと、円周率も1万桁くらいまで覚えたなあ」


ずいぶんすごい話をさらりとする。


佳子「それと、予備校の生徒の顔と名前はみんな一致するんだよ」


僕と佳子さんが通っていた予備校は、当時ものすごく生徒が多くて、

同じ学年だけで500人はいた。その顔と名前を全部覚えていたなんて、すごい。



ん?

でも、全部覚えていたはずなのに、

なんで僕は「覚えていない」と言われたんだ?

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